お金の学校

  1. >
  2. 金持ちの成功者から学ぶポラロイドカメラ&インスタントカメラの発明王エドウィン・ランドってどんな人?
PR

ポラロイドカメラ&インスタントカメラの発明王エドウィン・ランドってどんな人?

2014/06/18
このエントリーをはてなブックマークに追加


写真は好きですか?撮った写真はその場ですぐ見たいですよね。そんな普段、何げなく思う気持ちを製品にした人物がいます。

スティーブ・ジョブズが尊敬する人物として名を挙げた、ポラロイド社の創設者エドウィン・ランドです。

写真は、多くの才能のある人々が次々と革新的な発明を行ってきた分野ですが、ランドはそこでひときわ輝く発明をした人物でした。

モノを発明するのではなく、そこにあるべきモノを発見する。つまり、ランドは、何かを発明しようとして製品に行き着くのではなく、行き着く製品のイメージがすでにあり、そこを目指す、そんな独創的なイノベーターでした。

エドウィン・ランドとは、どんな人物だったのでしょうか。

学生時代から優秀だったランド

エドウィン・H・ランドは1909年5月7日にコネチカット州ブリッジポートで生まれ、父親が金属スクラップ業を営む裕福な家庭で育ちました。ランドは、ノリッジのNorwich Free Academyに通います。

そこでの卒業アルバムにはこんな言葉が添えられていました。

「エドは勉強においてスターだった。彼はきっとカレッジで自分自身と母校の名を上げるだろう」

実際、後年、母校に彼の名前を冠した図書館が作られたのでした。

ハーバード大学に進学したランドは、まだ1年生の頃に、安価で効率の良い偏光板の発見に取り掛かることになります。きっかけは、その年、ランドがニューヨークのブロードウェイを歩いていた時の体験からでした。

車のヘッドライトや商店のネオンサインのギラギラした光に目が眩んだランドは、偏光によってこの眩さを低減できないかと考えたのでした。

これだと思ったらずっと研究に没頭

1926年、結局、1年でランドは大学を去り、ニューヨークに移ると、偏光の研究に集中するようになりました。研究の拠点が無かったランドは、夜が更けてからコロンビア大学の研究所に忍び入って実験をしました。その場所はいつも鍵が開いていたからです。

そこで実験を続ける傍ら、ニューヨーク公立図書館で偏光を作り出す材料や物質に関する文献を探し回りました。

やがてランドは、偏光を作る物質から作られた結晶を大きくする代わりに、ミクロン単位の何百万の整列した結晶を含むフィルターを作る方が簡単なことを発見します。

それは、やった!と叫びたくなるような瞬間でした。なぜなら当時偏光を作り出す物質は高価で大きなサイズのものしかありませんでしたが、ランドの発明した偏光板は、安価なだけでなく、薄く様々に応用することができたからです。

さらに研究を進めるために、ランドはハーバードに戻ります。しかし、ランドはハーバードで学位を取ることなく、1932年、指導教授の一人と共同で「ランド・ホイールライト研究所」を設立しました。そこでさらなる発明の完成を目指します。

ポラロイドが生まれた瞬間

1934年、イーストマン・コダック社が研究所に1万ドル相当の偏光板を発注します。

コダック社が望む製品をランドもホイールライトもどんな風に作ればいいか考えも及びませんでしたが、その注文を受け、結果、プラスチックの薄い板を使った偏光板を作ることに成功しました。

そして、その製品を「ポラロイド」と名付け、1937年、研究所はポラロイド社と社名を変更しました。「ポラロイド」という言葉が生まれた瞬間でした。

ランドが開発した技術は、初めはサングラスや科学的研究などに使われていましたが、じきに様々な分野に応用されるようになります。

1950年代の当時、3D映画は大変人気だったのですが、これはポラロイドの技術で安く3Dメガネを作ることができたからです。また、今日ではお馴染みのLCDにもポラロイドの技術が使われています。

第二次世界大戦中、ランドとそのチームは軍装備品の開発に携わります。暗視ゴーグル、敵のカモフラージュを見破るベクトグラフと呼ばれる映像システムなどの改良にその技術を応用しました。

戦後、チームはU-2偵察機の開発にも貢献しました。当時の従業員は、ランドは何かに駆り立てられるように仕事に没頭し、研究室に何時間も籠っていたと語っています。

娘の一言が「ポラロイドカメラを生む」

彼の転機となる発明は戦後訪れます。サンタフェのある晴れた日、休日を過ごしていたランドに3歳の娘が尋ねました。

「どうして写真を撮ったらすぐに見れないの?」

ランドはフィルムを現像しないといけないことを説明しますが、3歳の娘はちっとも納得できませんでした。そして、ランドは、閃いたアイデアを基にワンステップで写真撮影ができるシステムを開発します。

この発明は、写真撮影の歴史にとっては革命的な発明でした。インスタント写真の誕生です。それは、カメラのレンズで記録した映像を感光面に直接写す方法で、もはやフィルムを現像する必要はなくなったのです。

インスタントカメラの誕生

1944年、ランドは、「Land Camera」と名付けたインスタントカメラを発表します。それから2年後に、製品は販売されました。

ポラロイド社はしばらく在庫を抱えることになるだろうと考えたのでしたが、1948年のクリスマスシーズンの初日にカメラは完売してしまいます。

ランドの作ったカメラは、技術はもちろんのこと、誰でも扱いやすく、そして値段もお手頃なカメラでした。そんな「魔法のカメラ」は人々を魅了し、爆発的に売れたのでした。

1977年、ランドの優れたビジネス能力にも関わらず、ポラロイド社は、ポラビジョンと呼ぶ新しい画像事業に失敗し、重大な損失を被ります。

その結果、ランドは、1980年3月、会長の座から退きました。引退後も、ランドは研究所を設立し、長年興味を持ち続けた色覚などについての研究を続けました。

エジソンに次ぐ特許の数

ランドは終生を研究に捧げた科学者である一方、多くの発明をした発明家でもありました。生涯で特許を取得した発明は535にもなります。これはエジソンに次ぐ数です。

1991年3月1日にエドウィン・ランドは、マサチューセッツ州ケンブリッジで亡くなりました。彼の死後、ランドの助手が書類を処分したため、ランドの歴史的な業績とポラロイド社の発展とを結びつけるのは困難になってしまいました。

しかし、彼の独創的な研究や発明の数々は、当時の人々と同様に今も多くの人々を触発しつづけます。スティーブ・ジョブズがその名を挙げるように。

【参照URL】http://www2.rowland.harvard.edu/book/edwin-h-land
http://www.biography.com/people/edwin-land-9372429#early-life&awesm=~oE3H9kQgT3oYg6
https://signalvnoise.com/posts/2666-the-story-of-polaroid-inventor-edwin-land-one-of-steve-jobs-biggest-heroes
http://www.famousscientists.org/edwin-herbert-land/
http://inventors.about.com/library/inventors/blpolaroid.htm
http://www.answers.com/topic/edwin-herbert-land
http://www.nap.edu/html/biomems/eland.html

PR【お金の学校】では、アフィリエイトプログラムを利用し、アコム社から委託を受け広告収益を得て運営しています。
このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す