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美の帝国を築き上げた女性 ~ ヘレナ・ルビンシュタイン

2014/09/24
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化粧品ビジネスの世界で成功して、お金持ちになった女性は数多くいます。「美」がビジネスになることを、女性自身が一番良く知っているからでしょう。

そのパイオニアとも言える存在がヘレナ・ルビンシュタインです。

ポーランドの貧しい商店主の娘に生まれた彼女は、世界中の女性達が崇拝する「美の帝国」を築き上げました。ヘレナ・ルビンシュタイン。いったいどんな女性なのでしょうか。

片田舎の街から成功を夢見て

ヘレナ・ルビンシュタインことチャジャ・ヘレナ・ルビンシュタインは1872年12月25日、ポーランドのクラクフでユダヤ人の家庭の8人姉妹の長女として生まれました。

父親は小売店主でしたが、あまり商売は上手くいっていませんでした。人生の初めからヘレナは成功して金持ちになることを夢見ていたのでした。

年頃になると、両親はヘレナに縁談を勧めますが、ヘレナはことごとく断ります。ヘレナにとってクラクフで一生を過ごすなんてうんざりだったのです。

そして、彼女は生涯の賭けに出ます。叔父を頼って、オーストラリアに渡ったのです。24歳の時のことでした。

オーストラリアで野望の実現

ヘレナは、名前もチャジャからヘレナに改め、年齢も4歳も偽って、野望実現のためにオーストラリアでの生活をスタートします。

最初は、住み込みの子守やメイドをしながら、セレブな人々と知りあうようになりました。

彼女を雇っていたお金持ちの婦人達はヘレナの肌の美しさを称賛し、その秘訣を知りたがりました。オーストラリアの強い日差しやほこりは美容には良くなかったからです。

ヘレナは、クラクフから持参した美容クリームがその秘訣だと教えます。

そのクリームは母親の知り合いの薬屋が処方していたものなのですが、ヘレナは、家族に伝わる秘伝の処方で、カルパチア山脈(東欧の山脈)の希少な植物から作られていると答えたのです。

美の帝国は1個の美容クリームから

ヘレナは母に手紙を書くと、美容クリームを送ってもらい、それを販売しました。

評判は瞬く間に拡がり、ヘレナは母に早急にクリームを送る様に頼みます。そのクリームもすぐに売り切れてしまい、彼女は自分でクリームを作ることを思い立ちました。

幸運なことに、クリームを作るのに必要なラノリンは豊富に手に入れることができました。なぜなら、ラノリンは羊毛脂を精製して作られるもので、オーストラリアには大量の羊がいるからです。

ヘレナは、知り合いになったセレブ婦人達に出資をしてもらい、メルボルンに世界初のビューティサロンをオープンします。そして、最初の美容クリーム「ヴァレーズ」(ハンガリー語で”天からの贈り物”)を発売しました。

クリームの原材料費は安いものだったのですが、彼女は高価格でクリームを売り出します。

「女性達は安っぽいものを何であれ買うことはありません。高級品を買うことで、自分は特別な存在だと思いたいからです。」

ヘレナは、何をどう売り出せばいいのかについて天才的な勘を持っていました。

ヘレナはビジネスをメルボルンからシドニーへと拡げ、やがてロンドンにまで進出しました。オーストラリアに着いてから9年で彼女は1億円近くの財産を築きあげたのです。

ロマンスの訪れ

ヘレナは30歳になるまで、ほとんど恋愛もすることなくビジネスに打ち込んできました。

そんな彼女にロマンスが訪れます。ジャーナリストのエドワード・タイタスと出会ったのです。二人は1908年にロンドンで結婚します。

ヘレナはやがて二人の息子に恵まれ、エドワードを通じて、当時の芸術家や文化人と知り合いになっていきますが、結婚生活は必ずしも幸福とは言えませんでした。エドワードの浮気が絶えなかったからです。

それはビジネスで飛び回るヘレナのせいでもありました。ヘレナは夫を愛する以上にビジネスを愛したのです。

「私の心はいつも愛する人々と野望との間で引き裂かれてしまいます。」

美の帝国への階段

彼女は家庭よりもひたすら仕事に没頭していきます。様々な化学者と組み、ヨーロッパ中を旅して、次々と新製品を開発していきました。

そして、スキンケアの次にはメイクアップ商品を売りに出しました。今ではお馴染みのほほ紅や口紅、マスカラを開発し、最初に売り出したのはヘレナでした。

まずはセレブの婦人達にメイクアップ商品を使って貰いました。彼女達が使えば、他の女性達がきっとマネをすると思ったからです。

この作戦は大成功。社交界の婦人達はこぞってヘレナのメイクアップ商品を買い求めたのです。

アメリカでのサクセス

1915年第一次世界大戦が始まると、ヘレナは家族でアメリカに移り、アメリカでのビジネスを展開していきます。

各都市に瞬く間にサロンをオープンし、有名デパートがこぞって彼女の製品を取り扱いました。デパートの売り場で販売員がお客にスキンケアを教えるようにしたのもヘレナのアイデアです。

アメリカに進出したヘレナは、そこでもう一人の美の女王、エリザベス・アーデンと熾烈な競争を始めます。この二人のライバル関係は、消費者にとっては歓迎すべきものでした。なぜなら、二人は続々と新製品を発表していったからです。

1928年、ヘレナは、リーマンブラザーズの申し出でアメリカでのビジネスを730万ドル(現在の80億円相当)で売却します。

リーマンは、彼女の名前で製品を量産することを計画していました。ヘレナは、自分の事業が成功したのは「高級志向」だったからだと知っていたため、株を買い戻すことを決意します。

そのタイミングで世界大恐慌が訪れました。彼女は、急落した会社の株を100万ドルで買い戻し、売却益との差額は彼女の富となりました。

女王の晩年

1937年、ヘレナは若い女性と駆け落ちした夫と離婚します。そして翌年には、23歳年下のヨーロッパ王族の血を引く貴族と再婚しました。ヘレナは本物のプリンセスになったのです。

その後、1940年代に男性用の化粧品も販売しますが、まだ時期尚早だったため、思ったほど成功はしませんでした。

1965年4月、95歳でヘレナは亡くなります。世界中に研究室、工場、サロンなどを築いた「美の帝国」を受け継ぐ人はなく、彼女の息子により「帝国」は売却されます。

美の帝国を愛して

ヘレナの成功は、まだ化粧品が産業とも言えない時期に、美がビジネスになることに気付き、精力的に拡大したことにありました。

ポーランドの地方都市に生まれ、こんな街で一生を過ごしたくないと思った野心家の少女は、夢を叶え、「美の帝国」を築き上げました。

彼女の座右の銘は「醜い女性なんていない。いるのは怠け者の女性だけだ。」

家族よりも何よりも自分が築き上げた「美の帝国」を愛した人生でした。それが彼女の成功の秘訣でした。

【参考URL】http://en.wikipedia.org/wiki/Helena_Rubinstein
http://adb.anu.edu.au/biography/rubinstein-helena-8293
http://www.dailymail.co.uk/femail/article-2287532/Helena-Rubinstein-She-revolutionised-cosmetics-new-book-reveals-success-came-terrible-emotional-cost.html
http://jwa.org/encyclopedia/article/rubinstein-helena
http://www.welovethisbook.com/features/helena-rubinstein-beauty-queen
http://scandalouswoman.blogspot.jp/2014/05/helena-rubinstein-woman-who-invented.html

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この記事に対するコメント
  1. 日本の名無しさん より:

    しらなかったのでへぇ~でした。
    怠け者の女性しかいない…か
    たしかになあ

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