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キッチンから世界的企業を創った女性

2015/01/17
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コーヒーはお好きですか?もしコーヒー好きなら、彼女には感謝した方がいいのかもしれません。コーヒーの歴史で画期的な発明をした女性は、家族のために美味しいコーヒーを手軽に淹れたいと望んでいた平凡な主婦でした。

彼女の名はメリタ・ベンツ。コーヒーのペーパードリップで有名なメリタ社を創設した女性です。彼女がキッチンで発見したアイデアは、やがて世界的な規模の巨大企業へと育っていきます。

これは滅多とあることではありません。そんな「滅多とないこと」をやってのけたメリタは、いつも家族に囲まれて、家族と共に歩んだ女性でもありました。

アマリエ・オーガスタ・メリタ・ベンツ

メリタ社の社名は、創業者アマリエ・オーガスタ・メリタ・ベンツの名前に由来します。

彼女は、1873年1月3日、ドイツ、ドレスデンで、出版社経営者の娘として生まれました。成人した後、学校の校長の息子だったエミール・ヒューゴー・ベンツと結婚し、夫妻の間にはウィリーとホルストの二人の男の子が恵まれます。

夫ヒューゴー・ベンツはドレスデンのデパートの支配人として働き、メリタは専業主婦として夫を支え、二人の息子を育てていました。そんなありふれた家庭の主婦として暮らしていたメリタに素晴らしいアイデアが訪れたのは1908年のことでした。

いつものコーヒーの不満をアイデアで楽に!

朝一杯飲むコーヒーはその日の活力を与えてくれます。そんな一杯のコーヒーを飲むことを夫妻はいつも楽しんでいました。唯一、気に入らない点、カップの底に黒く残るコーヒーの粉を除いては。

コーヒーに交じる粉は味を損ね、何よりコーヒーを濾過する器具の手入れが非常に面倒でした。

当時のコーヒーの淹れ方は、主に2通りありました。ポットを重ねて、底に穴のあいた上側のポットにコーヒーの粉末を入れ、その上から熱湯を注ぐ方法、もう一つは麻布を使い、コーヒーの粉を濾す方法です。

前者では、穴が粗くてコーヒーの粉も一緒に落ちてしまいますし、後者では、麻布の目が細かくて、濾過するのに時間がかかり、コーヒーが冷めてしまう欠点がありました。

しかもポットの穴にコーヒーのカスが詰まったり、麻布にコーヒーが染みつくなど、どちらも器具の手入れがとても手間がかかりました。

メリタはできるだけ粉を濾して、しかも手軽にコーヒーを淹れる方法はないのかと考えます。いろんな素材を試しましたが、上手くいきません。

そんな時、ふと彼女の目に留まったものがありました。長男ウィリーの宿題帳に挟んであったインクの吸い取り紙です。

「そうだ。紙はどうかしら。」さっそく古い真鍮製のポットを用意すると、底にハンマーで釘を打ち付け、いくつかの穴を開け、吸い取り紙をポットの底に敷きました。こうやって最初のメリタ・コーヒーフィルターが生まれたのです。

それまでのコーヒーの淹れ方に比べてずっと簡単で、何より素晴らしいことは、紙は使ったら手入れなどせず捨てることができたのです!

メリタの発明は夫妻の友達の間でも評判になります。好評なこの発明でメリタは事業を起こすことを決意しました。

起業を決意

1908年6月20日に特許を取得すると、6か月後の12月15日、メリタ社の前身、「M.Bentz」を商業登録します。当時家族が暮らしていたアパートの一室を工房とし、コーヒーフィルターの生産を始めました。

ヒューゴーはデパートの仕事を辞め、夫婦は一日中この新しい事業に取り組みました。二人の息子も学校が終わると二人を手伝いました。

1909年、ライプツィヒで開かれた見本市でコーヒーフィルターは1200個も売れ、1910年に開催された国際衛生博覧会では金メダルを獲得しました。事業は拡大を続け、ベンツ家の一番大きい部屋を使うようになりますが、すぐにそれも手狭になってしまうありさまでした。

戦争、そしてデザイン

順調に行き始めたばかりの彼女の事業に突然影が差すようになります。1914年に第1次世界大戦が始まったのです。

ヒューゴーは徴兵され、紙は配給制となり、やがてコーヒー豆の輸入が禁止されます。フィルターの製造は中止せざるを得ませんでした。その後メリタは段ボール箱の販売をするなどして事業を維持します。

1919年に戦争が終わると、コーヒーフィルターの事業は再開され、再び事業は上昇し始めます。1925年頃には多くの競争者が現れ、メリタの発明は真似をされるようになりました。

こういった偽物と本物の区別をするために、メリタ達は赤と緑が印象的なオリジナルのパッケージデザインを取り入れました。このパッケージデザインは今でもお馴染みのデザインです。

事業拡大

従業員も増え、拡大を続ける会社は、ドレスデンではフィルターを生産するのに手頃な場所を見つけられなくなりました。物件を探しに出かけた夫妻は、ミンデンという小さな町で古いチョコレート工場を見つけます。

1929年春、その工場を買うと、事業を移転し、会社も「メリタ・ベンツ」に社名を改めました。すぐにメリタ社は10万個のフィルターを生産するまでに成長します。

1932年2月、夫妻は事業の経営を二人の息子に譲りました。息子に経営が譲ってから、大きく変わったことがあります。フィルターのデザインが大幅に変わったのです。

底が平らな金属製フィルターから円錐の形をし、内側の壁に溝のついたアルミや陶器製のフィルターへと変わりました。このフィルターに合わせて、オリジナルの現在の私たちにもお馴染みの三角形のペーパーフィルターも作られました。

経営を譲ってからは従業員の為に

メリタは実質的な経営を息子たちに譲った後も事業に関わり続けます。何よりメリタが気を配ったのは、従業員のことでした。クリスマスのボーナスを出したり、特別休暇を与えたり、従業員のために、今でいう社会保険のような基金も設立したりしました。

またもや戦争、そして息を引き取る

1939年、第二次世界大戦が始まります。再び、メリタ社は、その発展の歩みを止めざるを得なくなりました。工場の生産は政府により規制され、工場は軍用の調理器具などの生産を行いました。

やがて戦争は終結します。会社の工場やオフィスビルは戦火から免れましたが、すぐに連合軍に差し押さえられてしまいました。メリタ社は、仮の施設を立ち上げて、生産と販売を続けました。

1946年1月、夫ヒューゴーは亡くなります。戦争が終わって数か月後のことでした。メリタは、戦後の復興と会社の急成長の始まりを見届けて、1950年に亡くなりました。その年のメリタ社の売上高は47億ドイツマルクにもなっていました。

まとめ

メリタ社は、今ではヨーロッパを代表する企業のひとつとなり、その工場と支店のネットワークは世界中に拡がります。

メリタ・ベンツの成功の物語は、決して彼女一人で築き上げたものではありませんでした。そこには常に彼女と共に働く家族の姿がありました。けれど、会社の名前は「メリタ」。彼女の名前です。

どんなに事業が大きくなっても、家族の中心、ビジネスの中心には常に彼女、メリタ・ベンツがいた証ではないでしょうか。

【参考URL】http://en.wikipedia.org/wiki/Melitta_Bentz
http://www.answers.com/topic/melitta-unternehmensgruppe-bentz-kg
http://drinks.seriouseats.com/2011/04/coffee-history-melitta-bentz-inventor-of-the-paper-filter.html
http://www.disy-magazin.de/Melitta-Benz.221.0.html#.U4e_jSyKDIU
http://cameciob.hubpages.com/hub/melittapapercoffeefilter
http://blog.italcoffee.com/melitta-hand-drip/

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