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もやしっ子がプロバスケットボール選手に!マヌ・ジノーブリ

2015/01/06
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マヌ・ジノーブリはNBAのプロバスケットボールプレイヤーで、サンアントニオ・スパーズに所属し活躍している選手です。

ファンの間では「計画の無い男」と呼ばれ、そのお気楽なキャラクターながらにもトッププレイヤーの一人としてのスーパープレイがファンを魅了し、多くのファンを惹き付けている選手です。

彼の活躍がチームに貢献し、2014年にはサンアントニオ・スパーズはチャンピオンシップで優勝の座を手にしました。

「どのようにしてかはわからないが、僕の目的はボールが来たら、ゴールのバスケットの中に入れるだけだ。」-マヌ・ジノーブリ

ジノーブリ氏の生い立ち

今ではスタープレイヤーとしてMBAで活躍しているジノーブリ氏ですが、小さな頃はもやしっ子として、誰も彼がMBAプレイヤーになるなんて想像しないような、貧弱な少年だったのです。彼の少年時代を見てみましょう。

少年時代のジノーブリ氏

エマニュエル・デイヴィッド・ジノーブリは1977年7月28日にアルゼンチンのバヒアブランカで誕生しました。

父親のホルヘと母親のラクエルの間に生まれ、レオナルドとセバスチャンという二人の兄を持っています。

彼は、小柄で細身の少年で、誰も自分がバスケットボールのスターになるなど予想もしてなかったと彼は言います。

しかし、彼の体格とは裏腹にジノーブリ氏はスポーツの才能に溢れた少年で、彼はサッカーでもバヒア・ブランカの町でも類稀なる才能を発揮します。

バスケットボールで有名で、多くのバスケットチームがあるバヒア・ブランカの町。ジノーブリ氏の父であるホルヘも優秀なバスケットボールプレイヤーで、優秀なポイントガードとして活躍しました。

そしてジノーブリ氏の二人の兄、レオナルドとセバスチャンもチームのトッププレイヤーとして活躍していました。

そんな環境の中、七歳以上年が離れた兄達の試合や練習にくっついていき、小さいながらも一緒に練習したりし、バスケットボールへの興味をどんどん延ばしていきました。

バスケットボールに興味津々の小さな少年はどこへ行っても可愛がってもらったのです。

レオナルドのコーチは、少年のジノーブリ氏に目隠しをしたままドリブルをする技術を教え、セバスチャンのコーチ皆の練習中にはジノーブリしがいつもボールを触っていられるよう、スペアのボールを用意してくれました。

そんな、周りの配慮と優しさに触れながらのびのびとバスケットボールの楽しさを学んだジノーブリ氏。

しかし、彼の興味はバスケットボールが楽しいと思うだけに留まりませんでした。

ジノーブリ氏のアイドル

ジノーブリ氏は時間があれば常にNBAの試合を観戦していました。通常ゴールデンタイムに放送されるのはファイナルくらいで、他の試合は明け方や夜中に放送されていましたが、必ず起きて放送を閲覧していました。

彼のアイドルはマイケル・ジョーダンでした。ジノーブリー氏はマイケル・ジョーダン氏の勝利への意思、創造性、才能に惹き付けられ、彼の両親が許す限り、延々とマイケル・ジョーダン氏のプレイのビデオを鑑賞したのです。

親友ペペとの対比

父のホルヘはジノーブリ氏がバスケットボールへの情熱をどんどん大きくしていくのを嬉しく見守り、彼の友達もジノーブリ氏を応援していました。

ジノーブリ氏の少年時代の親友であったぺぺはジノーブリ氏同様スポーツに情熱を注いだ少年で、優秀なポイントガードでした。

ペペはジノーブリ氏よりも長身で体力も有り、小さな頃から国際試合などにも参加しており、町の多くの人々はペペの実力を認めていましたが、一方で、誰もジノーブリ氏がプロへの道を歩むなどとは想像もしていませんでした。

二人が高校生になる頃には、両者の進む道は明らかでした。ペペはアルゼンチン・ジュニアチームのスター選手でしたが、ジノーブリ氏はバヒア・ブランカの町のチームにも入ることさえ危うい状態だったのです。

ついにジノーブリ氏の時代が!

そんな友人を見て、焦りと羨望を感じたジノーブリ氏。

チームに入れずともめげずに毎日練習に励みます。なんと、彼が高校二年生の頃には彼の身長も10インチ以上伸び、小柄だった彼の身長は2メートルにも達していたのです。

体重も160ポンドとなり、バスケットボール向きのがっしりした体つきになってきたのです。その間に練習を休まず続けていたジノーブリ氏は、成長した体格と技術を合わせてめきめきと上達していったのです。

ジノーブリ氏は彼のアイドルであるマイケル・ジョーダンのように、ゴールを決める際に数秒長く飛んで、ゴールにぶら下がるようにして空中に浮くダンクを得意としています。

18歳になる頃には、ついに彼は親友ペペを追い越し、アルゼンチンでプロ入りを果たします。

ジノーブリ氏のキャリア

ジノーブリ氏はMBAでプレイし始めた当初はけがでなかなか練習にも参加できないなど、つらい時期も経験します。しかしそこから回復し、どんどんとキャリアを築いていきます。彼のキャリアを見ていきましょう。

キャリアの始まり

そして最初の何年かのキャリアはアルゼンチンとイタリアで培い、その間に多くの個人賞やMVPも受賞しました。

国際的なプレイヤーのなかでも、彼は早いスピードで迫力のあるプレイをするのが特徴で、それが多くのファンを惹き付けています。

NBAのチャンピオンシップ優勝とオリンピックの金メダル、そしてユーロリーグのタイトルの三つを全て獲得した選手はこれまでにジノーブリ氏とビル・ブラッドリー氏の二人だけと言う快挙を成し遂げています。

彼の最初のキャリアであるイタリアのキンダー・ボローニャでの活躍は特に顕著で、ジノーブリ氏はイタリアンリーグのMVP賞、ユーロリーグ・ファイナルMVP賞、そしてトリプルクラウン・チャンピオンシップのタイトルを獲得したのです。

ついにNBAへ!

そして1999年にはNBAの57番目のドラフトで指名され、ついにジノーブリ氏は念願のNBA入りをするのです。

その時指名されたサンアントニオ・スパーズに200万ドルの契約で入団し、それ以来現在でもサンアントニオスパーズでもスター選手として活躍しています。

2007-2008年のシーズンにはNBA全体で六番目のスタープレイヤーにランクインされ、そのプレイとファンからの人気を誇っています。

怪我が足を引っ張る

そうして念願のNBA入りを果たしたジノーブリ氏でしたが、サンアントニオスパーズの練習に最初に参加したばかりの頃は、アルゼンチン時代に故障してしまった足首がまだ完治していませんでした。

最初の数週間はベンチから練習を見ているだけともどかしい時期を経験します。

しかし、少しずつでもできる限りの練習を続け、そのシーズンのチャンピオンシップのゲームの頃には、チームメイトはジノーブリ氏が素晴らしいシュートの技術を持っている事に気づき、チームの一員として受け入れられ始めます。

その後はチームのスタープレイヤーの一人として、チームを引っ張っていき、2014年のチャンピオンシップではスパーズは優勝という栄誉を飾るのです。

過去にも三回チャンピオンシップの優勝を経験しており、スパーズを強豪チームへと成長させる重要なキーマンともなるのです。

そうして成功の道を歩み、現在、ジノーブリ氏はサンアントニオスパーズの中でもファンの最も多いプレイヤーの一人で、地元テキサスで多くのファンから愛されています。

まとめ

もやしっこで、バスケットボールの上手な親友を羨望の眼差しで見つめていた少年ジノーブリー氏。

バスケットボールが上手いとはお世辞にも言えなかった少年時代も、ずっと練習は辞めず、毎日練習を続けていました。その成果が実り、体格も成長して誰も予想していなかったアルゼンチンのプロチームでのプレイ、そしてついにはNBAプレイヤーまで上り詰めます。

そんな真摯で真面目な姿勢が、彼をトッププレイヤーの成功まで持ち上げたのでしょう。

また、NBAでプレイし始めたばかりの頃は足首の故障でなかなか思うようなプレイができなかった時期も経験しながらも、少しずつ練習に励みます。

そんな地に足の着いた地道な努力や、チームメイトに受け入れてもらえない時期にも耐え練習を続けた辛抱強さが、現在では彼をトッププレイヤーであり、ファンからも人気プレイヤーとして活躍する選手へと成長させています。

そんなジノーブリ氏の生き方から学ぶところは私達も多いのではないでしょうか。まだまだ、現役で活躍しているジノーブリ氏。

2014年のチャンピオンシップでの優勝を祝うと共に、今後の活躍も更に期待したいですね!

【参考URL】http://www.jockbio.com/Bios/Ginobili/Ginobili_bio.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Manu_Gin%C3%B3bili

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この記事に対するコメント
  1. 日本の名無しさん より:

    NBAとMBAが混在してるww

  2. 日本の名無しさん より:

    過去に「ジノビリ」で記事をあげているのに今回は「ジノーブリ」?

  3. 名無しさん より:

    単に体の成長が遅めに来るタイプの人だったってだけのような気がするがw

  4. 日本の名無しさん より:

    6thマン・オブ・ザ・イヤー賞は全体で6番目のスターと言う意味ではなくて、スタメンじゃないベンチ選手の中でもっとも貢献した選手に与えられる賞。

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