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ドラッグ漬けの親元で育った21歳のホームレス女性が、たった2年で億万長者に。。

2014/06/17
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ドラッグ漬けの両親のもとで育った21歳のホームレスの女性が、たった2年で億万長者に。。ウソでしょう?と思われるかもしれませんが、アメリカで実際にあったお話です。その名もダニー・ジョンソン氏。

彼女は、いまや5つの会社を経営し、成功の秘訣を説く講演やTV出演などで大忙し。あのオプラ・ウィンフリーの番組にも出演し、誰もが認める有名人です。

あまりにも辛すぎる幼少期

アメリカで1969年、生活保護の家庭に生まれ、両親はドラッグを常用していました。3歳から16歳まで、性的なものも含めたあらゆる暴力を受けて育ち、彼女はしらふの両親を見たことがありませんでした。

両親がコカイン漬けで彼女もそうなり、殴られるか襲われるか、その恐怖におびえるそんな毎日。家庭とはそういうものだと思って育ちました。6歳から自殺を繰り返した彼女は、両親のようにはなりたくないと思っていました。

そんな彼女が17歳で妊娠し、21歳でホームレスになったのも、そう驚くべき展開ではありません。

ホームレス&薬物依存の苦しみ

時は1990年のクリスマスイブ。21歳で、彼女はハワイにいました。

その直前まで約2ヶ月間、彼女はずっと泥酔し続けていたような生活でした。家はなく、8人の男性と関係を持つことで、ようやく生活していました。

今の自分が、嫌いだった両親よりもさらに悪い状態になっていることに気づいて、それが何よりもショックでした。

クリスマスイブに、ビーチで彼女は他のウエイトレスたちと一緒にどんちゃん騒ぎをしていました。

踊っては汗をかき、コカインをやり、翌朝10時にビーチマットで目覚めては、コカインをせがみました。そして歩き回りながらこうつぶやいていました。

「どこに行ったら、コカインがもっと沢山あるのかしら」。

その日、彼女はとうとうコカインのために売春をしました。そこまで落ちたのです。

彼女は自分が嫌で嫌でたまらなくなりました。自分なんか生きている価値がない、と。これから先、良い事があるとは思えず、こんな風に自分を育てた両親を恨みました。

彼女の人生は、守れなかった約束やウソや、盗みを働く人、彼女をぶつ人、彼女を嫌う人、そんなものだらけでした。

人生の転換期「天からの声」

ドラッグのせいで興奮状態にあった彼女は、何もかも終わりにしようと決意し、海に向かって歩き出し、波の中へ飛び込んでいました。

もう少し長く水中にいたら、彼女の人生は、本当にそこで終わっていたそうです。でも、その時、奇跡が起きました。

「マットを取って、歩きなさい」

そんな声がしたような気がしました。

その瞬間、コカインの感覚がさーっと抜けていきました。もう全然コカインを欲しいとは思わなくなったのです。

彼女は、ビーチマットを片付け、1マイルほどヒッチハイクして自分の車まで戻り、当時住んでいたビーチへと車を走らせました。

約45分間、運転している間中、彼女の中では2つの思いが戦っていました。

脳の左半分は「お前の人生、こんなつもりじゃなかったはずだ。酒はやめなさい。人生にはもっとやるべき事がある。」と言い、右半分は「お前はけがれた負け犬だ。両親より悪い。この車ごと海に突っ込め。」と言っていました。

心の中で戦争が起きているみたいで、文字通り、彼女はトランス状態にありました。彼女がなぜ、最初の声に耳を傾けたか、その理由はわかりません。

どうすればいいの?何をすればいいの?

彼女は自らに問いかけ始めました。「私に何ができるかしら?どうしたらこの状況から抜け出せるかしら?」

当時カクテルウエイトレスだった彼女には、お金がありませんでした。

ハワイの賃貸料は高く、アパートを借りるには4,500ドル必要でした。一方、彼女の収入はチップが大半で、4,500ドル貯めるには4ヶ月かかる計算でした。

かといって、この先4ヶ月間、ホームレスになる気にはなれませんでした。ハワイの賃貸料がいくら高くても、カリフォルニアに戻る航空券を買うお金もありません。お金を借りるあてもありません。

ホームレス向けのシェルターもないので、ホームレスになれば、最悪の場合、レイプや誘拐、暴力をふるわれる可能性もありました。

暴力をふるわれるかと思うと、子供の頃の恐怖がよみがえってきます。そんな恐怖心をどこかへ追いやろうとしても、実際にホームレスになったら、毎日その恐怖と隣り合わせで暮らすことになるのです。

成功者へのステップアップ

その夜は答えが出ないまま車で眠った彼女ですが、翌日、ふとアイディアが浮かびました。

「その頃は、持ち物はすべて車の後部座席にありました。ホームレスになるずいぶん前に買ったダイエット器具が、車の後ろに置いてあったのですが、それまで目を留めたことはありませんでした。

でも、その時はなぜか目を引きました。

太陽の光をさんさんと浴びて、それが自分に語りかけているような気がして、手に取りました。その器具が『私がその答えよ』と言っているような気がしました。

最初は『違う。私はいまエクササイズして減量するつもりなんかないわ。そんなのありえない!』と思いました。」

でも、それは何か違う深みがありました。経験された方もあるでしょう、やりたくない事が実はやらなくちゃいけない事だったりする、そんな感覚です。

その後、器具の箱を裏返して、メーカーの連絡先を確認して、公衆電話から電話をかけていました。「ハワイでこの製品を売るにはどうしたらいいですか?」

そこで分かったのは、正式なライセンスを受ける必要があり、つまりお金が必要であるということでした。当然、彼女にお金はありません。

代わりに、彼女は知恵を使い、自分で商品を買った後、転売することを思いつきます。

「ダイエット器具のちらしを手で書いてたんだけど、連絡先の電話番号が必要だったのに、私には電話がなくて。。。だから、電話ボックスにあった電話帳でコールセンターを必死に探したの。

カクテルウエイトレスには小銭はたっぷりあるしね(笑)。で、小さなコールセンター会社を見つけて、担当者とおしゃべりして仲良くなって、ボイスメールサービスの料金を聞いたの」

彼はこう言ったわ。

「お支払いにここまで来ていただく必要はないですよ。15ドルの小切手を送ってください。ご利用いただける電話番号はこちらです・・・」

彼女は大喜び。今週も残りわずか、というタイミングで、彼女は欲しかった電話とその受付の人を手に入れたのだ。

「そして、街で誰もが行く郵便局にチラシを出したの。3時間後、メッセージが入ってるとは全然思わずにチェックしたら、ボイスメールに「そのダイエット器具を買いたい」というメッセージが25件も入ってたのよ。もう嬉しくて、どうしたらいいか分からなかったわ!」

こうして最初の一ヶ月で、彼女はそれまで会ったこともなかった人から合計40枚の小切手を受け取り、総額4,000ドルにもなりました。

最後の一難も簡単にクリア

そこで、彼女はメーカーに電話をかけて最初の発注をします。ところが、製品の送り先になる住所を聞かれたのに、彼女には使える住所がありません。

ここでも彼女は知恵を発揮します。地元の酒屋に頼み込んで、店の住所を使わせてもらうことができました。

このダイエット器具の販売で、彼女は最初の1億円のうち約1/4を最初の1年で稼ぎ、翌年、1億円を超えて億万長者の仲間入りをしました。

その後、全米に18カ所の減量センターを開設し、1996年にその事業を売却した時には数億円を稼ぎました。

いまや彼女は、成功者として、著書も売れ、講演依頼が後を絶たない有名人となり、2年前までホームレスだったとはとても思えない変貌ぶりです。

もちろん、ハワイという全米の中でも肥満が多い地域に対してダイエット器具の販売という事業が適切だった、という点はあるでしょう。

しかし、彼女の大きな成功も、たった一つの心の変化から起きたことは間違いありません。そして、ちょっとした知恵や工夫がその変化を後押ししたのです。

お金がない、能力がない、と嘆くのは簡単です。でも、大抵の人は、21歳の彼女よりひどい状況にはありません。逆に言えば、少し工夫して頑張れば、彼女以上に成功できる可能性もあります。

ダニ・ジョンソンのたった2年の成功物語は、私たちに多くのヒントを与えてくれます。

【参考URL】http://www.danijohnson.com/

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この記事に対するコメント
  1. 日本の名無しさん より:

    自分も成功しよう!

  2. 日本の名無しさん より:

    おいおい
    そんな簡単に信じられるかいな、この手の話。
    と言う私も昔は信じていたお人好しだだのだが…

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