金持ちの成功者から学ぶ
授業案内
  • TOP
  • 世界経済に対する海外の反応
  • マル秘体験大公開!成功者から学ぶ
  • 知って得する!節約術
  • お金の学校について
  1. >
  2. 金持ちの成功者から学ぶアレキサンドリアに生まれた青年がハリウッドに渡り国際的大スターに!オマー・シャリフ

アレキサンドリアに生まれた青年がハリウッドに渡り国際的大スターに!オマー・シャリフ

2015/01/20
このエントリーをはてなブックマークに追加


「アラビアのロレンス」ではイギリスきっての名俳優ピーター・オトゥールと共演し、どこか影を持つカリスマ性を秘めたアリ酋長を演じてアカデミー助演男優賞にノミネートされました。

ハリウッド映画「ファニー・ガール」ではユダヤ系ギャンブラー役を演じ、フランス製作の「うたかたの恋」では、フランスが生んだ大女優のカトリーヌ・ドヌーブが演じる男爵令嬢マリー・ヴェッツェラと心中するローマ皇帝のルドルフ二世を演じました。

イタリア映画の「イタリア式奇蹟」では王子様役を演じ、ソフィア・ローレンと結ばれました。

ロシア革命を時代背景にした「ドクトル・ジバコ」では主役である医者であり詩人であるロシア人のユーリー・ジバコになり、憂いに満ちた表情の演技で全世界の女性のハートを掴みました。

「ジンギス・カーン」の映画ではモンゴルの大草原に馬をまたがって駆け抜くジンギス・カーン役を、「アナスタシア/日仮・ゆらめいて」ではロマノフ王朝皇帝ニコライ二世を演じました。

ベドウィン(遊牧民)役、イタリアの王子、オーストリア人役、ロシア人役、モンゴル人役….いつだって「異邦人」役を演じてきました。

一体そのミステリアスな俳優とは誰なのでしょう。その名はオマー・シャリーフ。エジプトのアレキサンドリアが生んだ国際的大スター。

オマー・シャリフと生まれた土地

オマー・シャリフ(エジプト風の発音だとオマル・シェリーフ)は、1932年に地中海に面したエジプトの第二都市アレキサンドリアで生まれました。

この街はその名のとおり、マケドニアのアレキサンダー大王がギリシャ都市を建設するために作り上げました。

世界最大の図書館の完成は世界をあっと言わせましたが、プトレマイオス王朝の時代においては、実は文学より科学のほうがはるかに栄えていました。歴史にその名が残る素晴らしい数学者、天文学者、地理学者、医学者たちも輩出しています。

一方でこの街は悲しみに満ちた歴史をも持っています。

かの有名なクレオパトラ七世が自殺を遂げたのも、アレキサンドリアの宮殿でした。(クレオパトラ七世とアントニウスの遺体はこの街のどこかに眠っているのではないか、と言われていますが発見されていません)

ギリシャ人の次はローマ人が来て、アラブが来て、トルコがやって来ました。人種や国の違いは宗教の問題も引き起こし、時には三つの宗教(キリスト教、イスラム教、古代エジプト教)の信者たちが互いに殺し合う争いも起きます。

トルコの次にはナポレオンが率いるフランス軍が入ってきました。その後はイギリスが入り、アレキサンドリアという街は、エジプトの都市でありながら、複雑で落ち着かない運命を辿ってきました。

オマー・シャリフが生まれた頃のアレキサンドリアはユダヤ人、ギリシャ人、イギリス人、エジプト人、フランス人、アフリカ人、アラブ人と様々な人種の人々が住む、非常にコスモポリタンな雰囲気を漂わす貿易港を持つ教育水準も高い街でした。

ユーセフ・シャヒーン

レバノン人の両親をもつユーセフ・シャヒーンは、オマーよりも5年前の1926年にこのアレキサンドリアで誕生。のちに国際的著名な映画監督になります。(特にフランスで高く評価されています)

1940年代のアレキサンドリアの街に住む18歳の演劇青年の青春を描いた「アレキサンドリアWHY」(1979年)は、日本でも公開されベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞しています。

言葉

オマー・シャリフの元の名前はミシェル・デミトリ・シャルホブ(Michel Demitri Shalhoub)。両親がシリア系レバノン出身で宗教はローマ・カトリック。

自宅ではフランス語を話していました。現在でも、アレキサンドリアにはフランス語を第一言語として流暢に操るエジプト人はカイロに比べて多くいます。

外ではフランス語の他にアラビア語、ギリシャ語、英語、イタリア語を喋っていました。当時のアレキアンドリアは、本当に人種のるつぼだったのです。

両親

上流階級出身のオマーの母親クララは、非常にチャーミングな美人の社交家でした。周囲の人間を虜にする天性の魅力に溢れた女性でした。恐らく、彼の容貌もオーラも口がうまいところも人を惹きつける才能も母親譲りなのでしょう。

当エジプトのファルク国王はアレキサンドリアに来る度にオマーの家にも訪れ、彼の母親とカードゲームを楽しんでいました。

父親は非常に事業に成功している裕福な材木商で、街ではなかなかの権力者でした。

甘やかされた子ども時代

恵まれた家庭に一人息子として生まれたのオマーは、非常にちやほやされて育ちます。あまりにも溺愛され何でも与えられてきた結果、彼はぽっちゃりした体型の甘ったれた性格になります。

息子を可愛くて仕方がない両親には、オマーが肥りすぎていることにまったく無頓着でした。
しかし、ほっそりした色白美人のクララとぶよぶよ肥えた体の年頃の息子が並んで歩いていると不釣り合いに見えます。

人々は「オマーを痩せさせなさい」と進言をしてきました。

ところが、目に入れても痛くない愛する息子が脂肪分たっぷりの肉やエジプトの甘いお菓子を欲しがると、クララはついつい何でも食べ物を与えてしまいます。心を鬼にしてダイエットに励ませることなどできません。

両親は自分たちでは厳しい育て方はどうしてもできない、どうしたものだろうと話しあいます。そこで非常に規則と教育が厳格なことで知られるカイロのヴィクトリア・カレッジの寄宿舎にオマーを送りこむことを決意。

実際にこの学校こは予想を遥かに上回るスパルタ教育でした。

しかしのちにオマーは「ヴィクトリアンカレッジに入り、自分はかなりストィックな性格になり精神も鍛えられた」と語ります。「厳しくて本当に良かった、自分のふにゃふにゃな根性が強いものなったとカレッジに感謝をしています」。

ヴィクトリアンカレッジでの生活

そのカレッジの寄宿舎はヘルシーフードのみを学生たちに食べさせ、そしてスポーツの授業に熱心でした。

その結果、オマーは一年たたないうちにみるみる体重を落とし、ひきしまった体つきになりました。余分な贅肉がそぎ落とされ二枚目な顔にもなります。もともと美人な母親譲りの容貌を持っていたので、痩せたらハンサムになるのは当然でした。

カレッジでは数学と物理を専攻し、クラブ活動では学生演劇会の委員長を務めます。体重が減ったことに気を良くして、なんとなく演劇を始めただけだったのですが、思わぬ才能が開花し、演技をすることの楽しさにすっかり夢中になっていきます。

とはいうものの、卒業後オマーはアレキサンドリアに戻り、父親のビジネスの見習いを始めます。

事業を継ぐのが当たり前

息子が父親の仕事を引き継ぐことは当たり前のことであり、むしろ義務みたいなものでした。

エジプトでは、学歴よりも出身階級や人脈と父親の職業が就職するのにあたって何より重要視されていたため、オマーも社会人になるにあたって父親の仕事を継ぐ以外のことを考えること逆に不思議なくらいでした。

父親の会社はとてもうまくいっており、経済的にも相変わらず潤っています。跡取りとしてこの成功している会社で働くことはかなり恵まれたものだったはずです。

演技を忘れる事は出来ない

しかし、オマーは演技への情熱を忘れることができず、地元の素人劇団に入団します。容姿もいい上天性のオーラを持ち演技力もある…舞台では多くの主役を務めます。

そんなある時、芝居好きのエジプト駐在のフランス大使がたまたま劇場に現れて、オマーのフランス語による芝居を観劇します。大使はオマーの役者としての才能に驚嘆し、楽屋に飛び込み直接本人に賞賛の言葉を浴びせます。

オマーは嬉しさのあまりすっかり舞い上がり、「やはり材木商になりたくない。役者を目指したいんだ」と父親に訴えます。当然父親は許しません。

オマーの反抗

オマーは反抗をし始めます。
材木を原価より安く売りさばいたり、注文の間違いをしでかしたりクライアントと揉めたり、仕事をさぼったり…。

息子がそういうことをわざとしでかしていることを分かっていた父親は我慢をし、何もとがめようとしてきません。父息子の忍耐比べです。

二年間、父親は辛抱し続けました。があまりにも息子のもたらす損益が大きくなり、これ以上放置するわけにいかなくなってしまったがために、ついに根気負け。

「息子よ、そんなに役者になりたいのか?だったらなればいいじゃないか。好きなことをなんでもしなさい」。息子が勝利を上げた瞬間でした。

本格的に演技を

本格的に演技を学ぼうと決意したオマーは、ロンドンの演劇学校に入学をします。イギリスに留学ができたというのは父親の豊かな資産のおかげで、結局は親におんぶにだっこされているぼんぼんなのです。

チャンス

ロンドンで順調に勉強を続けていましたが、ある時大きなチャンスが舞い込んできます。
(前述した、のちに世界的に有名な巨匠になる映画監督)同じアレキサンドリア生まれの5歳年上のユーセフ・シャヒーンが国際電話をよこしてきたのです。

オマーがアレキサンドリアの素人芝居をしていた時に、二人はすでに知り合っていました。

ユーセフはそれまでロサンジェルスで映画を学んでいたのですが、ちょうど帰国し初の映画作品を製作することになったのです。

「第一作目をエジプトで撮影することになったんだけど、もし興味があればスクリーンテストを受けてみないかい?」

シャヒーン監督はわりと自分の身近な人々を自分の作品に出すのが好きで、多くの映画に自分の子どもたちやいとこに姪や甥たち友達を出演させています。

「サービス精神旺盛だったから、普通は一般人が映画に出るなんてそうないでしょ?だからどんどん出してくれたんだ。それに実は割とナイーブな人だったから、自分の親しい身近な人々を出演させて、リラックスしようとしていたというのもあるんじゃないかな」

とロスに住むシャヒーン監督の甥は語ります。

しかし監督はオマーとはそれほど親しい仲でもなかったので、「出してあげる」という親切心でオファーをしたのではなく、やはりオマーの才能に気付いており、自分のデビュー作品にはぜひとも出て貰いたいと思っていたのではないでしょうか。

一流の映画監督になる天才青年には、オマーが金の卵でスターの原石であることが分かっていたのだと思われます。

当時のエジプト

オマーはすぐにロンドンからエジプトに戻ってきます。ちょうどエジプトが歴史的大転換を迎えている時でした。

1952年若き青年将校だったアブデル・ガマル・ナセル(のちのエジプトの第二代目大統領)たち自由将校団の若者たちが、カイロのタハリール広場を拠点に革命を起こします。

(オマーの母親と親しかった)ファルク国王を国から追放し、エジプトを王制から共和国に変えていきます。国中のすべてがひっくり返りました。

オマーはその激動時代をよそに、初の映画撮影に意気込みそして共演した大スター女優といちゃつき薔薇色の日々を送ります。

元々特権階級の世界に生まれ育ち、世の中に不平不満など抱くことなどなかったのんびりしたオマーには政府転覆だとか王制廃止運動などまったく感心がないことでした。いい意味でも悪い意味でも、争いを毛嫌いしていました。

デビュー作となる映画はエジプト革命が湧きおこった翌年の1953年に公開されました。オマーが21歳の時です。

結婚と宗教

その二年後には一本目で共演し恋仲になった大人気女優と結婚をします。

これから俳優としてますます伸びようようという時期だったにもかかわらず、いい家庭に育ったオマーは根がまじめで、男のけじめとしてちゃんとガールフレンドに求婚しようと決心をしたのです。

ところが大きな問題が二人の前に立ちはだかります。宗教です。

女優の方はイスラム教徒であったため、結婚をするのに同じイスラム教の男性しか夫に選べません。法律でそうなっているのです。

ところが前述したように、オマーはカトリック教徒。

オマーは悩みましたが、彼女と一緒になるために思いきって改宗を決意します。

イスラム教徒の男性は改宗することは禁じられていますが、キリスト教徒の男性はその反対に改宗を認められています。

とはいうもののいくら法律上で許されているとしても、現在でも結婚のために男が宗教を変えてしまうというのは、エジプトの社会においては大きな波紋を周囲に与えます。

通常は非難を浴びます。下手したら信用を失い今後生きていくのに一生後ろ指をさされかねません。

エジプトの社会で生まれ育ったオマーは当然そのことを十分分かっていたはずなので、よほど彼女を失いたくなく、かなり大きな覚悟と決心した上のことだったのでしょう。

レバノン系の両親がリベラルなブルジョアだったという影響もあったはずですし、国際都市アレキサンドリアで多くの外国人と知り合ってきたことや短期間とはいえロンドン留学したことも、彼に広い視野を持たせ大胆な決断を下させるきっかけになりました。

エジプト国籍だけども、親がエジプト生まれのエジプト人ではないため、周囲が割と寛大に彼の改宗を受け入れてくれたのはラッキーでした。

この改宗をもって彼はイスラム教徒の名前のオマー・シャリフを名乗るようになります。

オマーの人気は天井知らず

既婚者になったものの、オマーの人気はウナギ登りでした。

甘くて優しくてどこか哀愁を帯びた表情は国中の女の子を夢中にさせました。本人も戸惑うくらいあっという間にアイドル俳優になっていきます。

白黒の映画の中でオマーはよく歌声も披露していますが、彼が切なげに悲恋の歌を歌いだすと、劇場中で女の子の観客たちもすすり泣きだしました。

エジプトでスター街道をまっしぐら進み続けて順調にキャリアを重ねていたオマーの耳に、ある大きなニュースが飛び込んできました。

転機

1962年のことです。イギリス人の大物映画監督デヴィッド・リーンがとあるスペクタル大作映画撮影にあたり、アラブ人の俳優を探している、と。

アラブにいるアラブ人が世界中で上映されるであろう国際的な映画に出演できる機会など、そう滅多にあることではありません。

オマーはすぐに自分のPR写真をイギリスに送ります。それを見たリーン監督はオマーに会う為にカイロに飛んできます。リーン監督とのインタビューの時に、オマーは通訳を介さず直接英語で喋ってみせました。

ハンサムでオーラがあり求めている役柄にイメージがぴったりで、性格も温厚で真面目そうで西洋の文化も多少心得ており言葉の問題もない….オマー・シャリフ以外に適任はいるでしょうか。彼は見事に役を射止めました。

「アラビアのロレンス」の準主役といってもいいくらいの出番が多く、ストーリー上大変重要なキーパーソンとなる牧民のアリ酋長の役でした。

黒ずくめの民族衣装を身にまとい、二枚目の顔をしているのに立派な口髭を生やしいつも不機嫌そうにして砂漠を駆け巡るー主役を演じたアイルランド人の名優のピーター・オトゥールにひけをとらない堂々とした演技ぶりとカリスマ性と存在感を示しました。

西洋ではまったく無名の新人であったにも関わらず、エジプト人のオマーはこの役によりアカデミー助演男優賞にノミネートをされます。その後ハリウッドから「こっちに来ないか」と呼ばれるのは当たりの成り行きでした。

反対を押し切って

エジプトで生まれ育ったエジプト人の芸能人の中で、渡米し向うで成功を収めた芸能人は果たしてこれまでいたでしょうか。オマーとしては、ぜひ自分がその先駆者となり挑戦してみたいと思います。

しかし「アラビアのロレンス」のリーン監督は「慎重になれ。アメリカに渡っても役選びを間違えたらどうにもこうにもならない。俳優として伸びない」。

妻もアメリカ行きに難色を示します。息子も産んだばかりだった上、せっかく着実に俳優としてのキャリアを積み重ねている夫がそれを棒に振り、大西洋を越えたアメリカでゼロからやっていくなんて愚かで馬鹿げたことにしか思えませんでした。

いつだって女性の方がシビアな考え方をするものです。

悩み抜いたオマーは、改宗の時同様に思いきった決断をします。世間から反感を食らうことを覚悟し、新妻と幼い息子を国に置いて単身で渡米することにしたのです。

アメリカに渡って

とはいうもののアメリカにたどり着いてからは、妻が杞憂した通りの状況に陥ります。恐らくハリウッドに渡った日本人の俳優たちも経験した(している)であろう苦労を、当時のオマーは味わっていくのです。

超大作に出てアカデミー助演男優賞にノミネートされた俳優とはいえ、アメリカのショービジネス業界ではアフリカから来た非文明人のように扱われることもありました。

エジプト人というのは本来非常にプライドが高い人種です。(正確には彼の場合はレバノン系エジプト人ですが)

5000年もの歴史を持つエジプト文明を誇りにしているのに、たったよちよち赤ちゃんの歴史しか持たないアメリカ人に非文明国から来た田舎者の外国人のように馬鹿にさえ、ただのアラブ人として対等に扱われない。

華やかな国際都市アレキサンドリアで、裕福で教養を持つ両親の下で育った彼には耐えがたい屈辱でしかありません。

そしてオマーにはどことなく哀愁感があり「ここには属していない」と感じさせる浮世離れした印象もあったため、ハリウッドでオファーされる役は「異邦人」的要素をもつものばかりでした。

またまた転機

渡米後、なかなかこれという仕事に出会えず苦労したのですがリーン監督が再び大きなチャンスをくれます。「今度は主役でロシア人をやってみないか」

エジプト人の彼が一体どうやってロシア人のような風貌にしてみせたのかというと、カツラを被る前に顔の皮膚をおもいっきり強く後ろにひっぱりキツめの顔つきにしてみせました。レバノン系なのでもともと肌色は白いです。

英語はアラビア語訛りを極力ロシア語訛りに聞こえるように努力をしました。ちなみにオマーの息子はこの映画でユーリー・ジバコの少年時代を演じています。

1965年に公開されたこの「ドクトル・ジバコ」は世界中で大ヒットをします。ノーベル文学賞にもノミネートされた原作はちょっと小難しいのですが、リーン監督は映画では思いっきり恋愛の面をクローズアップして描いてみせました。

ロマンチックな音楽にロシア革命により引き離される運命にある男女…。誰もがこの映画を見て涙を流しました。

恐らく「ドクトル・ジバコ」がなければハリウッドで目も出ずエジプトに舞い戻る運命だったはずなのに、この映画のおかげでオマーはトップレベルのスターとして認知されていきます。

演技と時代と国籍

1968年にはもう一つの彼の代表作になる「ファニーガール」という映画に出演します。相手役の女優は大御所のユダヤ系アメリカ人のバーブラ・ストライザンドでした。

「私はあなたとぜひ共演したいのだけど、ユダヤ系の女優と共演することで、祖国で問題にならない?大丈夫?しかもあなたの役もユダヤの血が入っているギャンブラーという設定よ」

ここでこの年に着目をしてもらいたいと思います。

「ファニーガール」は1968年に公開されるのですが、その前年の1967年にはエジプトでは第三次中東戦争が起き、イスラエルと戦争をしています。(6日間で終了したので「6日戦争」とも呼ばれています。)

オマー中東戦争への抗議の意味も込めて「この映画に出る」ときっぱり答えます。実際に後に「ファニー・ガール」の上映はエジプトでは禁じられました。

エジプトはイスラエルへの攻撃を断続的に続けており、1973年には第四次中東戦争が勃発するという時でした。

この時期にエジプトを代表する国際スターがユダヤ人役でユダヤ人女優と共演…。エジプト政府が激怒するのは無理もなく、政府はオマーのエジプト国籍をはく奪しようとします。

「アメリカの国籍を取ればいいじゃないか。君ならすぐに取れるよ」周囲のアメリカ人たちは事も何気に簡単に言いましたが、「僕はエジプト人でいたいんだ。ただ民族同士で戦争をすることには反対なだけなんだ」そしてエジプト国籍を守り抜きます。

余談ですが往年の美人女優エリザベス・テイラー(リズ)が主演を務めた「クレオパトラ」もエジプトの映画館では上演を見送られました。主役のリズがユダヤ教に改宗したからです。

大女優に負けない

同年にオマーは、フランスが生んだトップ女優のカトリーヌ・ドヌーブと共演をします。「うたかたの恋」です。

イタリアを代表するソフィア・ローレンとも共演をします。

こういったようにオマーはずいぶんと一流女優たちと共演を果たしている感がありますが、不思議なことに、彼にはどこの国の大女優と共演しても引けを取らない存在感がありました。

そして常に女優をたてようという紳士さも持っていたので、共演女優の個性とぶつかってみせる、自分がもっと目立ってやろうということはまったくしませんでした。

オマーはエキゾチックな異国情緒に溢れる男性というだけでなく、まったくギラギラガツガツしておらず、非常に腰が柔らかい男性であるということで、実際に女優たちに随分と好かれました。

ドヌーブはイタリア人俳優のマルチェロ・マストロヤンニとのスキャンダルで有名ですが、「うたかたの恋」の撮影当時はオマーと恋愛関係に陥っています。

離婚

ゴールデン・グローブ賞にはすでに三度も受賞しました。オマーの懐には大金が舞い込んでくるようになります。

裕福な家庭に生まれ育ったとはいえ、ハリウッドで大人気スターとして稼げる金額は桁が違います。女性たちにもちやほやされるようになっていきます。

結局1974年になってから妻とは正式に離婚をします。

カードゲーム

普通の男性ならここで我を失い、高級品やグルメ旅行女性にお金をつぎ込み贅沢三昧の日々を送るところでしょうが、オマーのお金の使い方は少々変わっていました。ブリッジです。

アメリカに渡りブリッジのゲームに出会ったオマーはこのゲームに夢中になり、それは趣味の範囲を超えます。世界選手権に出場し、史上初となるプロのブリッジチームをイタリア人たちと結成。

オマー・シャリフ・ブリッジなる技も発明。ブリッジゲームに関する本を何冊も執筆します。

もしかすると母親がいつだって自宅でカードゲームにいそしんでいたので(特には国王も招待して)、ブリッジをすると無意識に懐かしい両親の家を思い出せたというのもあったのかもしれません。

初心に返る

ハリウッドで多くの映画に出演しましたが、前述したとおりどうしても「外国人役」の枠からなかなか抜ききれず、さらに多くの女性と浮き名を流したものの、最初の妻のように心底愛する女性にも巡り合うことはできませんでした。

「自分はとても孤独だった」

オマーは中年になってからアメリカを離れます。映画の中心地ハリウッドに長いこと固執し続け、実際にそこで居民の富を手に入れました。しかし、見栄や虚栄を捨て去る勇気を持てたのです。

「ハリウッド以外にもいい映画は作られている」ということに気が付き、ギャラの金額やネームバリューの大きさよりも、本当に良質の作品に出たい、本当に居心地のよいところに住みたいと思うようになりました。

「自分は約25年間、くだらないゴミみたいな映画にばかり出続けた。やっていられないと思いつつも、ゴミ映画がもたらすお金や名声があまりにも大きかったがために抜けだせないでいた。でもアラブの誇りを思い出した時に目が覚め真の役者に戻ることを決心したんだ」

アレキサンドリア出身のオマーはアレキサンドリア人としては当たり前なのですが、最初にも書いたとおりアラビア語、フランス語、ギリシャ語を流暢に話し、その上イタリア語とトルコ語も少し操ることができました。

よってハリウッドを去って以降、フランスとイタリアの映画界でも活躍していきます。

離婚したはずの妻とは何と再婚します。

「多くの美人女優たちとも出逢ってきたが、妻以上の素晴らしい女性は結局いないことが分かったんだよ」。

祖国に戻ったオマーは大歓迎をされます。エジプトが生んだ名優を人々は尊敬し愛し続けており、ここ何十年もの間エジプトのテレビでは、オマーの白黒の昔の映画を何度も何度も繰り返し放送し続けていました。

ご愛敬なのか、オマーは「クレオパトラ」というエジプトの水まわり住宅総合機器メーカー(日本でいうところのトイレ、バスルーム、システムキッチン、洗面化粧台 など扱うTOTO)のテレビコマーシャルに出演をします。

「クレオパートラ、クレオパートラ」とオマーが囁くコマーシャルです。人々は彼のそんな茶目っけぶりにも喜びました。

2003年にはフランス映画「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」に出演し、セザール賞最優秀男優賞を、ヴェネツィア国際映画祭栄誉金獅子賞を受賞します。

イスラム教徒の老人とユダヤ教徒の少年が心を通わせていく内容を描いた映画です。

「この映画によって中近東の紛争が終わるとは思っていない。自分がパレスチナとイスラエルの問題を解決できるとも思っていない。ただし、自分には人は人を愛する努力ができるんだ、ということを伝えることはできる。だからこの映画にも出たんだ」

まとめ

国際都市アレキサンドリアで、シリア・レバノン系の家庭で生まれ育ち、イギリス系のカレッジに進みハリウッドで多くの人種差別にも負けずトップスターであり続け、数か国語の語学を喋り、様々な国の映画にも出演してきたオマー。

だからこそ、カトリックとイスラム教二つの宗教も持ったからこそ、中東に限らずこの地球上の民族宗教戦争をなくしたいと強く願ったのではないでしょうか。

ハリウッドで経験した多くの人種差別や偏見にも孤独に立ち向かい頑張ってきたオマーだからこそ、「この世から紛争は失くさなければいけないんだ」と強く感じたのではないでしょうか。

老人になったオマーはメディアを通し、平和を唱え続けるようになります。

「民族宗教紛争は愚かだ、人間は少なくとも互いを理解し愛し合おうと努力をするべきなんだ」。

2005年にはユネスコのアインシュタイン賞を受賞。2006年にはブリッジの世界から完全に引退をします。

オマーの「正しいと思う信念は口に出して発言し、行動すべし」精神は孫のオマー・シャリフ・ジュニアに受け継がれます。

ジュニアは同性愛を認めないアラブの国にいながら、自分はゲイであることを堂々とカミングアウトし、2011年のアラブの春でも革命運動に大きく関わります。

今年の2014年に入り、インターネット上で

「オマー・シャリフ再婚説(前妻はすでに他界)」
「オマー・シャリフ死亡説(生存しています)」
「オマー・シャリフが次期ジェームズ・ボンド役に抜擢」
「世界で一番高額ギャラ俳優説」

などオマーにまつわる様々な噂が登場し、議論が沸騰しました。

80歳を超えても若者たちのスキャンダルネタの対象になるとは….しわしわのおじいさんになっても、若い時の強烈な存在感とカリスマ性は相変わらずであるため、常に話題の人物です。

かつて「ファニーガール」の映画に出演した時、多くのアラブ側のメディアに聞かれました。

「映画の中の演技といえども、祖国がユダヤの国と戦争をしている時に、あなたはユダヤ人のバーバラ・ストライザンドにキスをするのはどういう心境でしたか」

「映画のスクリーン上の演技でも実際の私生活でも自分は大勢の女性を口説いてきた。いずれも一度足りともキスをする前に、その女性に国籍と宗教を尋ねたことはない。女性にキスをするのに国籍や宗教は関係ない。キスをするのに大切なのはLOVEだけだ」

多くのエジプト人が言います。

「我々がいつだってオマー・シャリフを尊敬し好きでいるのは、彼がアメリカで成功し大金持ちになったからではない。いつだって彼は愛してやまないスターだからなんだ」

【参考URL】http://www.saudiaramcoworld.com/issue/197101/omar.as.in.bradley.htm
http://www.bibalex.org/alexcinema/actors/omar_sharif.html

このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事に対するコメント
  1. 日本の名無しさん より:

    「ファニーガール」をBS放送で視てオマー・シャリフに魅入られました
    賭けごと師という役柄なのにそれとなく繊細なしぐさやたたづまいに上品さや威厳を感じ、どういう役者さんなのかな?と思ってプロフィールやエピソードなどネットで拝見しました。納得です「愛してやまないスター」ってことを!
    こういう役者さんが沢山出てくださると映画(ごみのような)が楽しくなります
                              映画愛好者

コメントを残す

キャラクター紹介