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ロバート・デ・ニーロ、とことん役作りにこだわるハリウッド・スター

2014/09/01
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はじめに

アカデミー賞にノミネートされること過去、7回、主演男優賞受賞1回、助演男優賞受賞1回、ゴールデン・グローブ賞にノミネートされること過去9回。

他にも、主演男優賞受賞1回、セシル・B・デミル賞1回など、数々の輝かしい受賞歴を持つ偉大なる映画スター、ロバート・デ・ニーロ。

*セシル・B・デミル賞・・・ゴールデン・グローブ賞の部門の一つで長年にわたって映画界に貢献した人物に贈られる賞です。名前は映画製作者のセシル・B・デミルから来ています。

彼はハリウッドを代表するスターと言うより、ハリウッドの重鎮と言った方がふさわしいでしょう。彼はどうやってこのような輝かしい俳優としての歴史を築いてきたのでしょうか?

今回は、ロバート・デ・ニーロの、俳優としての軌跡を辿っていきたいと思います。

生い立ち

ロバート・デ・ニーロは、1943年8月17日、ニューヨーク、マンハッタンのグリニッジ・ヴィレッジで生まれます。母親はバージニア・デ・ニーロと言う名前で、画家であり詩人でした。父親は、ロバート・デ・ニーロ・シニアといい、画家で彫刻家でした。

ロバート・デ・ニーロが、3歳の時、両親は離婚します。それで、彼はマンハッタンのグリーン・ヴィレッジやリトル・イタリーで母親とともに暮らします。

彼の父親も歩いていけるくらい近くに住んでいたので、デ・ニーロはよく父親のところにも行き来していました。

*リトル・イタリー・・・ニューヨーク市マンハッタン区ロウワー・マンハッタンにある、イタリア系の住民が多く住む地区のこと

デ・ニーロは、民間の高校マクバニー・スクールに通います。後にロードス・プレパラトリー・スクールへと移ります。しかし、どちらの高校も卒業はしていません。

若いころ、彼はリトル・イタリ―のストリート・キッズ達とたむろして過ごしていました。このころ付き合っていた友達のうち何人かは彼の生涯の友人となっています。

でも、ちゃんと、デ・ニーロは、自分の将来について考えていました。

10歳の時、学校の劇「オズの魔法使い」でライオンのジークの役を演じていて以来、彼の目指すべき道は決まっていました。彼は、演技することで、恥かしがり屋の性格をなおし、そして映画についてとても惹かれていました。

彼は、役者の道を極めるために、高校を中退します。ステラ・アドラー院や、リー・ストラスバーグのアクターズ・スタジオで、演技の勉強を始めました。

*リー・ストラスバーグ・・・アメリカの俳優、演出家、演技指導者です。1949年、ニューヨークのアクターズ・スタジオの芸術監督に就任しました。

彼が指導した俳優は、マーロン・ブランドや、ポール・ニューマン、アル・パチーノ、マリリン・モンロー、ダスティン・ホフマン・・・など大物ぞろいです。

下積み時代

20歳の時、彼は初めて映画に出演します。ブライアン・デ・パルマ監督の映画「ご婚礼・ザ・ウェディング・パーティ」という低予算の映画に出演して、50ドルの報酬を得ます。この映画は、出来上がってから2年後に公開されました。

また、同監督が指揮を執った映画、「ロバート・デ・ニーロのブルー・マンハッタン/BLUE MANHATAN2・黄昏のニューヨーク」に出演します。

この映画は、ブライアン・デ・パルマ監督が、徴兵拒否をした実体験をもとにして製作され、1968年に公開されました。1970年には、ロジャー・コーマン監督の低予算映画「Bloody Mama」に出演します。

こうした、下積みを経て、1973年の映画「バング・ザ・ドラム・スローリー」に主演して、デ・ニーロは、視聴者の注目を浴びることになります。

デ・ニーロが演じたのは、メジャーリーグの野球選手で、白血病を患った二流キャッチャーの役です。主人公とエースとの友情が描かれています。この時の、デ・ニーロってとってもキュートなんです。

ブレイク

1974年、デ・ニーロはフランシス・フォード・コッポラ監督の「ゴッド・ファーザー・2」に出演します。彼は、実際シチリア島に住んで、イタリア語をマスターして、映画の撮影に臨んでいます。

その努力の甲斐あって、デ・ニーロは、この映画でアカデミー賞、助演男優賞を受賞しました。

続く、1975年今度は、マーチン・スコッティ監督と組んで、「タクシー・ドライバー」に主演します。

彼の役は、タクシー・ドライバー、トラヴィス・ヴィクルです。この役を演じるために、デ・ニーロは、実際に数週間タクシー・ドライバーとして勤務しています。

途中からモヒカン刈りで登場するデ・ニーロは、内面から狂った主人公を表現しており、一目見ただけでも、後ずさりしたくなるよな恐怖を感じます。

この作品で、デ・ニーロはアカデミー賞、主演男優賞にノミネートされています。

1980年には、「レイジング・ブル」に出演します。彼の役はボクサーの役で、実際にボクシングを習っています。彼の試合中の動きは、本当に俊敏でパンチもするどいです。

この時の、デ・ニーロは「タクシー・ドライバー」の時と、本当に同じ人物なのかな?と思うくらい全くの別人になりきっています。

また、ミドル級のチャンピオンが、引退後太った様子を表現するために、体重を27Kgも増やしました。本当に、とことんリアリティを追及する人なんですね。デ・ニーロって。すごいです。

デ・ニーロは、この映画で、アカデミー賞、主演男優賞を受賞します。

1990年の映画、「レナードの朝」、こちらのデ・ニーロも、すごいです。まず、役作りのため数か月、撮影の行われた病院に、入院します。とことん役作りにこだわる彼、ここまで来ると、”芝居の鬼”みたいな印象を受けます。

この映画で、デ・ニーロは、パーキンソン病の患者を演じますが、うーん、演じるという言葉が果たして当てはまるのかどうか?というぐらいの芝居をやってのけます。

病気のため、思うようにならない人生を生きていく人間の苦しみ、悲哀を表現しているデ・ニーロ、本当に圧巻です。

人生において、つらいことだけではなく、力の限りを尽くしてもありったけの力を振り絞っても、どうにもならないことがあるのは事実です。その目をそむけたくなるような現実を、彼は肉体を通して表現しています。

彼はこの作品でアカデミー賞、主演男優賞にノミネートされました。

収入

さて、気になる収入の方ですが、アメリカのファッション誌「ヴァニティ・フェア」によると、2009年の彼の収入は約2450万ドルとなっています。日本円に換算すると(1ドル=100円)24億5000万円となります。

また、総資産は、2億ドルと言われています。人の心に感動を与えて続けていると、こんなに、ザクザクお金が寄ってくるようになるんですね。

終わりに

彼が成功したわけ、ズバリ彼は、「努力の天才」だからです。

「ゴッド・ファーザー2」で、イタリア語をマスターしたり、ボクサーの役柄の時は、ボクシングを習ったり、タクシー・ドライバーの役柄の時は、実際にタクシーの運転手で勤務したりと、とことん役作りを追及しています。

彼の芝居は、なんだか演じるというより映画と言うスクリーン場で、生きている、挑戦し続けている姿を、お客様にまざまざと見せつけていると言った方が適格でしょう。努力と言うより、執念のようなものさえ感じます。

努力し続ける人間には、映画の神様も、微笑むものです。現在70歳と高齢の、デ・ニーロですが、これからもなお、一層の活躍を期待したいと思います。

【参考URL】http://www.celebritynetworth.com/richest-celebrities/actors/robert-de-niro-net-worth/
https://www.youtube.com/watch?v=50sx16CuxQM
http://www.paywizard.org/main/salary/vip-check/robert-de-niro
http://www.starpulse.com/Actors/De_Niro,_Robert/Biography/
http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_De_Niro

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この記事に対するコメント
  1. 日本の名無しさん より:

    レイジングブルのラストシーンの余韻はトリ肌が立ちましたわ。

  2. 日本の名無しさん より:

    キングオブコメディの漫談でくそ笑ったわ すごかった

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