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アメリカ人をピザの虜にした女性。冷凍ピザの女王、ローズ・トティノ

2014/08/20
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冷凍のピザを温めて、TVで野球観戦を楽しむ。とてもアメリカ的な光景だと思いませんか。実は、この光景、ある女性の発明のおかげと言っても過言ではないのです。

その女性は冷凍ピザの女王、ローズ・トッティノ。家庭でも気軽にお店のようなピザを楽しめる冷凍ピザを発明した女性なのです。

貧しいイタリア移民の家庭に生まれた彼女は、冷凍ピザの発明で大金持ちになりました。アメリカ人をピザの虜にした女性、ローズ・トッティノとはどんな女性なのでしょうか。

貧しい移民の家庭に生まれて

1915年、1月16日、ローズ・トッティノこと、ローズ・クルチアーニは、7人兄弟の4番目として貧しいイタリア移民の家庭に生まれました。

大家族の家に生まれたローズは、幼い頃から一生懸命働いて、お金を稼ぐことの大切さを知っていました。大家族が食べていくのは生易しい事ではなかったのです。

ローズが14歳の時、1929年、アメリカを「大恐慌」が襲います。多くの家族と同じように、クルチアーニ一家も、1930年代アメリカ中を席巻した厳しい経済状況の中、生きるために悪戦苦闘しました。

ローズも家計を助けるために高校を中退し働き始めます。最初の仕事は、週あたり2ドル50セントになる個人家庭の清掃の仕事でした。その傍ら、母親の家事も手伝います。

特に得意だったのが料理です。

お母さんが作る、家族が大好きな「イタリアンパイ」。薄い生地の上にチーズやソーセージ、トマトソースがトッピングされた、今でいうピザを手伝いながらマスターしたのです。

皆大好き、お母さんの味のピザ

貧しくとも家族を助け、仕事づくめの毎日を送るローズに運命の出会いが訪れます。市の「バイキングダンスホール」でジム・トッティノと出会ったのです。

二人は、すぐ恋に落ち、1935年に結婚しました。ジム・トッティノもイタリア移民で高校を中退し、パン職人として働いていました。結婚後も二人は自分達の家族の近くで暮らし始めます。

社交的な二人は、隣人や友達を家に招いて、手料理でもてなしたりしました。

そのとき、特に評判だったのが、ローズが母から教わったピザでした。友人たちは、トッティノ家を訪れて、ピザを味わうことを何よりの楽しみにするようになりました。

当時、ほとんどのアメリカ人は、ピザについて全く知りませんでした。ピザレストランは都会に数軒あるだけだったのです。

スパゲッティとミートボールはお馴染みのイタリア料理でしたが、ピザは、パッケージが難しいなどの問題があり、一般家庭には普及していませんでした。

やがて、友人たちはこの若い夫婦に家族の伝統のレシピ「イタリアンパイ」を商売にすることを勧めます。夫婦は様々にアイデアを出し合い、レストランを開業することを決意しました。

繁盛するピザレストラン

開業するには1500ドルの資金が必要でした。ローズは自慢のピザを焼いて、銀行家の下を訪れます。彼らの商品の魅力を実際にわかって貰おうと思ったのです。

この作戦は大成功!銀行は夫婦に必要なお金を貸してくれました。

1951年、ミネアポリスに夫婦は最初のピザレストランを開店します。最初はテイクアウトの店としてオープンしたのですが、その場で食べたがる顧客のために飲食できるスペースを設け、ピザを楽しんでもらうことにしました。

ローズは、一日のうちほとんどの時間をレストランで過ごし、夫は自分の仕事と掛け持ちしながら店を支えました。夫婦の商売は、瞬く間に成功を収めます。

彼らの家族も店を手伝うようになり、次から次へとくる注文をこなしていきました。毎日、500枚ものピザが売れたのです。

ピザの大量生産をめざして

1962年、大繁盛するレストランを切り盛りしている夫婦に困ったことが起こります。原料費が値上がりしたのです。すでに二人で目一杯働いてピザを作っていたので、これ以上生産量を増やして、利益を上げることはできませんでした。

そのとき、ローズにあるアイデアがひらめきます。冷凍ピザを作って、家に持ち帰って焼いてもらうことを考えたのです。夫婦はレストランとは別会社「Totino’s Finer Foods」を設立し、冷凍ピザの大量生産を計画します。

計画では、個人客に売るだけでなく、スーパーマーケットに卸すことも目指しました。資金を連邦小企業庁から調達すると、廃業した工場を買い取り、夫婦は冷凍ピザの大量生産を始めたのです。

全米人気No.1の冷凍ピザ

シカゴから冷凍したピザ生地を購入し、ミネソタの工場で具材をトッピングしました。

ローズは、ピザ生地がまるで段ボールみたいな味がすると主張し、その品質にまったく満足できませんでしたが、トッティノの冷凍ピザは、冷凍ピザを販売している業者の中では最も成功し、アメリカ全土でブームとなっていきました。

第2次世界大戦後、欧州戦線から戻ってきた軍人たちが家庭でもピザを楽しむようになり、ピザはますます人気が出ます。多くの人達が食料品店で冷凍ピザを買うようになったのです。

1950年代から1960年代の間、トッティノの冷凍ピザは全米で人気No.1の商品になりました。そんな夫婦のモットーは「トッティノのピザは誰も真似できない」

サクサクピザの発明

1971年、ビジネスは拡大を続け、二人は250万ドルで2番目の工場を買収します。それでも増え続ける冷凍ピザの注文に追いつけませんでした。

やがて夫ジムが体調を崩し、ローズは、二人でやっていくことを限界に感じ、会社を売却することに決めます。そして、ミネアポリスにあるPillsbury社に2200万ドルで売却したのです。ローズは同社初の女性副社長に就任しました。

副社長になっても、ローズはよりパーフェクトなピザ生地を目指します。そして、冷凍や解凍しても「サクサク感」を保つピザ生地を作る方法を考え出しました。

オーブンで生地を焼くのではなく、油で焼く方法を考え付いたのです。この方法は、ローズの母親が生地を作っていた方法でした。1979年、この生地でローズは特許を取りました。

1981年、夫のジムが亡くなりました。その後もローズは、Pillsbury社のアドバイザーとして活躍し、「サクサク生地」の冷凍ピザは全米で売りに出され、同社の主力商品となりました。

願いはひとつ。美味しいピザを届けること

1994年6月21日、79歳でローズは亡くなります。高校も中退しなければならなかったほど貧しい家庭に生まれたローズは、ピザ・ビジネスで成功し、売上高何億円もの企業を作り上げました。

学歴もなくビジネスについて特に学んだわけではないけれど、ひたすら熱心に忍耐強く働きつづけ、家族や友達に喜んでもらった味をたくさんの人々に味わって欲しいと願い続けた人生でした。

彼女と一緒に働いた同僚はこう言います。

「彼女は優れた才能のあるビジネスウーマンであり、愛すべき妻であり母であり、そして私たちの作るピザの魂そのものでした。」

【参考URL】http://en.wikipedia.org/wiki/Rose_Totino
http://www.minnesotainventors.org/inductees/rose-totino.html
http://www.totinos.com/History
http://www.fofweb.com/History/HistRefMain.asp?iPin=WBL121&SID=2&DatabaseName=American+Womens+History+Online&InputText=%22Rose+Totino%22&SearchStyle=&dTitle=Totino%2C+Rose&TabRecordType=Biography&BioCountPass=1&SubCountPass=0&DocCountPass=0&ImgCountPass=0&MapCountPass=0&FedCountPass=&MedCountPass=0&NewsCountPass=0&RecPosition=1&AmericanData=&WomenData=Set&AFHCData=&IndianData=&WorldData=&AncientData=&GovernmentData=
http://capitalistchicks.com/?q=node/532
http://andersk6.wordpress.com/cutlural-site-introduction/biography/

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この記事に対するコメント
  1. 日本の名無しさん より:

    夫婦の魂が天国でも結ばれ来世でも一緒にありますように。

  2. 日本の名無しさん より:

    ピザデブの起源ですね、分かります

  3. 日本の名無しさん より:

    いやはや、いまじゃあ当たり前みたいな話だけど
    なにごとも第一歩が大事なんだねぇ
    彼女は大金持ちになったけどどー思ってるんだろう
    俺も冷凍寿司でも全米でやってみるかな

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