お金の学校

  1. >
  2. 金持ちの成功者から学ぶIT業界の女王 シェリル・サンドバーグのお話。
PR

IT業界の女王 シェリル・サンドバーグのお話。

2014/07/31
このエントリーをはてなブックマークに追加


シェリル・サンドバーグという人物をご存知でしょうか。彼女は「Lean In」というベストセラーの書籍を執筆しており、日本でも書籍が平積みにされているので顔を見たことがある方も多いかもしれません。

彼女はフェイスブックのCOO(チーフ・オペレーティング・オフィサー)として成功し、アメリカのIT業界では知らない人はいないほどビジネス・政治に影響力を持っています。また、彼女は慈善事業家としても知られており、多くの寄付を行っています。

フォーブズ誌の「最もリッチなアメリカ人」の特集では毎年上位にランクインしており、セレブとしての地位を確立しています。

彼女は、最初はマイスペースという名のソーシャルネットワーキングサイト(ミクシィのようなサイト)で働いていたものの、マイスペースがフェイスブックに追い越され、その後フェイスブックのCEOであるマーク・ザッカ―バーグ氏にヘッドハンティングされました。

そんな彼女ですが、実は政界でも官僚として働いた経験もあるのです。

小さなころから頭脳明晰で成績優秀だったサンドバーグ女史。彼女はそんな自身の才能に甘えることなく、勤勉・勤労で地に足の着いた一面も見せています。そんなサンドバーグ女史の成功の秘訣を探っていきましょう。

サンドバーグ女史の生い立ち

教育熱心な両親の元に生まれる

シェリル・サンドバーグは1969年にワシントンDCのユダヤ教アメリカ人家庭に誕生しました。母親アデルと父親ジョエル・サンドバーグのもとに三人兄弟の長女として育ちます。

彼女の父親は眼科医で、母親はフランス語の博士号を保有し、サンドバーグ女史が誕生するまではフランス語の教授として大学でフランス語を教えていました。

その後、サンドバーグ女史が誕生し、子育てに専念するために教授としての仕事を辞め、三人の子供たちを教育熱心に育てました。

彼女の祖母は世界大恐慌の時代に貧しいユダヤ教系アメリカ人の家庭に生まれ、ニューヨークの狭いアパートに家族がぎゅうぎゅうになって育ったにも関わらず、後にUCバークレーを卒業し、家族を経済的崩壊から助けたという、志溢れる人物だったのです。

そんな祖母の血を受け継ぎ、サンドバーグ女史の弟もハーバード大学を卒業しており、マイアミの小児科で神経外科医として活躍しています。

妹のミッシェルも同様ハーバード大学を卒業し、カリフォルニアで小児科医として働いているのです。

文武両道な高校時代

サンドバーグ女史の家族は、彼女が二歳の時に北マイアミビーチに移住し、彼女はそこで北マイアミビーチ高校に通いました。

高校時代、彼女は常にクラスでもトップの成績を維持しており、卒業時には通常4.0が最高のところ、4.6というハイスコアの成績で卒業。

彼女は生徒会長を務め、「国家名誉会」のメンバーとしても選抜されます。また、エアロビクスを教えるなど、アクティブな高校生活を送りました。

ハーバードでもトップに!

1987年にはハーバード大学に入学し、経済学の修士号を学年でもトップの成績で卒業し、ジョン・ウィリアム賞にも表彰されました。

ハーバード大学在学中は世界的にも有名な経済学の教授であり元世界銀行トップのラリー・サマーズのゼミに所属しており、そこでサマーズ氏はサンドバーグ女史を卒業後、世界銀行での仕事のアシスタントとして働かないかと声をかけます。

そこで彼女はインドのエイズ問題や感染病、盲目などの公共衛星についてのプロジェクトに携わり、一年間ほど働きます。その後、1993年にはハーバードビジネススクールへと進学し、そこで修士号のMBAを取得するのです。

サンドバーグ女史のキャリア

キャリアの始まり

1995年にハーバード大学ビジネススクールを卒業した後、彼女はマッキンゼー&カンパニーでマネジメントコンサルタントとして約一年間働きます。

その後ラリー・サマーズ教授がトップを務める財務省でビル・クリントン政権の下ではたらきます。そこでアジア経済危機で打撃を受けた発展途上国への債務をなしにするようプロジェクトを遂行するのです。

その後2001年にはグーグルで国際オンラインセールス部門の副部長を務め、グーグルの広告やセールスオペレーションなどにも携わります。

フェイスブックからのヘッドハンティング

2007年にはフェイスブックの共同創設者の一人であるマーク・ザッカ―バーグ氏と、友人のクリスマスパーティーで出会います。その時ちょうどサンドバーグ女史はグーグルで働きつつも、ワシントンポストから社長のオファーが来ていたところだったのです。

ザッカ―バーグ氏は特に形式ばったCOO探しをすることもなく、サンドバーグ女史はフェイスブックのCOOに適役だと思い、オファーを申し出ます。その後二人は何回か一緒に世界金融フォーラムなどに出席し、お互いの事をよく知ることになります。

ついに2008年の三月、フェイスブックはシェリル・サンドバーグ女史をグーグルからヘッドハンティングしたことを発表したのです。

フェイスブックでの重要な役割

フェイスブックに入社してから、サンドバーグ女史はどのようにフェイスブックに利益をもたらすかに日々奔走します。彼女が入社する前、フェイスブックの主な理念は素晴らしいサイトを作れば、利益は後からついてくるというものでした。

しかし2010年には、フェイスブックは広告をサイトに掲載することで利益を上げるというサンドバーグ女史の提案に同意し、広告での利益を上げ始めます。

サンドバーグ女史はフェイスブックのセールス・マーケティング、新規開拓、人事、ポリシー、コミュニケーションなどのトップとしてフェイスブックを全般に管理していくのです。

サンドバーグ氏の素顔

サンドバーグ女史の巨額の資産!

サンドバーグ氏の給料は2011年には推定三十万ドル(日本円約3,000万円)に加え、フェイスブックの株のシェアを三億ドル(日本円約300億円)保有しています。

その他にも自伝であるリーン・インが全米ベストセラーとなったりするなど、サンドバーグ女史の資産推定は7億九千万ドル(日本円約700億円)にものぼるのです。現在フェイスブックの保有株はほとんど売却し、株として持ち合わせているのは十億ドル程度です。

素顔のサンドバーグ女史

彼女はそのセレブの地位にも関わらず、地に足の着いた性格で、あまり着飾ったり、背伸びをしたりすることはないとサンドバーグ女史を知る人は語ります。

高校時代は家庭が裕福で、学年トップの優秀な生徒だったにも関わらず、エアロビクスのインストラクターとしてのアルバイトをしたり、ファーストフードレストランでのアルバイトをするなど、他の高校生と変わらない高校生活を送っていました。

また、彼女は勤勉・勤労で、どんな仕事も自分の優秀さに甘えず、ひたすら働いて現在の地位まで上り詰めてきました。

まとめ

高校生の頃から家庭が裕福で、自身も成績優秀だったにも関わらず、その環境に甘えることなく勤勉・勤労を実践っしてきたサンドバーグ女史。そんな彼女の働きぶりが評判を呼び、社会に出てからも多くの起業からヘッドハンティングの声がかかったのですね。

一時は官僚として働いていた彼女が、今はやりのソーシャルネットワーキングの会社でCOOを務めているという事実も、地に足の着いた、周りの評判を気にしない彼女の性格を表しているのではないでしょうか。

巨額な資産を持ちながらも、まだまだ現役でFacebookのCOOとしても、書籍の著者としても活躍しています。今後のサンドバーグ史の活躍も楽しみですね!

※単位がおかしすぎましたので修正しました。

【参考URL】http://www.lifepaths360.com/index.php/biography-sheryl-sandberg-2746/
http://www.bornrich.com/sheryl-sandberg.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Sheryl_Sandberg

PR【お金の学校】では、アフィリエイトプログラムを利用し、アコム社から委託を受け広告収益を得て運営しています。
このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事に対するコメント
  1. 日本の名無しさん より:

    7億ドルは700億円じゃないですか?

    79兆円だとビルゲイツの10倍くらいににもなっちゃうし、経済大国日本の予算95兆円にせまるいきおいじゃないですか

  2. 管理人 より:

    1さん、ありがとうございます。直しました。感謝!

  3. 日本の名無しさん より:

    もってけ~♪

日本の名無しさん へ返信する コメントをキャンセル