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音楽と航空宇宙を結びつけた男 リチャード・ブランソン

2014/07/04
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主な経歴

リチャード・ブランソンは、1950年7月18日、イングランド・サリーで生まれたイギリス人実業家です。

10代後半で高校を中退するも、その直後に起業しました。やがて20代で始めたレコード店「ヴァージン・レコード」を通じ、音楽業界でそのキャリアを開花させます。

その後、航空業や宇宙観光など、他の分野にも積極的に参入して経営の手を大きく広げ、現在は億万長者(ビリオネア)となっています。

民間宇宙観光を手がける会社であるヴァージン·ギャラクティックを含め、彼が会長を務めるヴァージン・グループは200社以上にのぼります。

また、ブランソンは、単身で熱気球を使って海を渡りきるなど、冒険家・スポーツマンとしても知られています。

リチャード・ブランソンの生い立ちと経営者への道

チャールズ・ニコラス・リチャード・ブランソンは、イングランド・サリーで1950年7月18日に生まれました。

彼の父エドワード・ジェームズ・ブランソンは、法廷弁護士として働いていました。一方、母イブ・ブランソンは、飛行機の客室乗務員として乗務しており、比較的裕福な中産階級の家庭でした。

ブランソンは失読症を抱えており、学校生活は苦痛の連続でした。彼は13歳のとき、男子校であるスカイトクリフ校に通いましたが、成績が奮いませんでした。そこで、同じイングランドのバッキンガムシャーにある寄宿学校、ストウ校に転校させられます。

しかし、転校してもいっこうに学力は向上せず16歳で学校をドロップアウトしたブランソンは、『Student』という若者向け雑誌を創刊します。在学中の学生が同年代向けに発信するという新しいコンセプトのこの雑誌は人気を集めました。

1966年の創刊初年度で、およそ8,000ドルの広告収入に匹敵する売上があったのです。初版は50,000部で、無料配布でしたが、ブランソンは広告収入で出版コストをすべてカバーすることに成功したのです。

1969年、ブランソンはロンドンのコミューンに移り住みました。そこは音楽とドラッグに満ちた場所でした。この頃彼は、雑誌の出版費用を捻出するため、ヴァージンという、メールオーダーを利用したレコード販売事業を立ち上げようと考えていました。

この会社では派手な営業活動をほとんどしなかったにもかかわらず、彼のベンチャービジネスはあっという間に爆発的な成長を遂げました。その結果、ロンドン最大のショッピング街であるオックスフォード・ストリートにも実店舗の出店を果たしたのです。

このレコードショップの大成功により、成績不振で高校をドロップアウトした青年が、イングランドのオックスフォードシャーにプロミュージシャン向けの本格的な録音スタジオを建築することができたのです。それは1972年のことでした。

ヴァージン・レコード

音楽レーベルとしてのヴァージン・レコードに所属した最初のアーティストは、マイク・オールドフィールドといい、彼のファーストアルバム”Tubular Bells”は、ブランソンをはじめとしたチームの全面協力で1973年にレコーディングされました。

この歌は、すぐにスマッシュヒットを飛ばし、なんと247週もUKのチャ-トにランクインを続けました。

オールドフィールドの大ヒットが功を奏し、ブランソンは、当時人気のあった音楽グループと次々にレーベルの専属契約を交わします。セックス・ピストルズもその中の一員でした。

その後も、ザ・カルチャークラブ、ローリング・ストーンズ、ジェネシスなどの所属アーティストのおかげで、ヴァージン・ミュージックは、世界でもトップ6に入る巨大レーベルへと成長を遂げました。

多角経営事業の拡大

ブランソンはそれからも、幾度となく彼の起業の範囲を広げ続けました。この中には、1980年創業のボイジャー・グループという旅行会社や、1984年のヴァージン・アトランティック航空、そしてヴァージン・メガストアの創設が含まれます。

しかし、ブランソンの成功は常に約束されていたわけではありません。その証拠に、ヴァージンは1992年、突然経営不振に陥り、同年後半には、10億ドルでTHORN EMIに売却されることが決まります。

ブランソンはその巨額損失に大変なショックを受け、EMIへの売却契約にサインしたあとは泣き崩れたとも言われています。しかし彼は音楽ビジネスにとどまることを決意しました。

1993年に、ブランソンはヴァージン・ラジオという放送局を設立し、その後V2レコードという、彼にとっては2つ目のレコード会社を立ち上げます。

1996年に設立されたこのレコードレーベルには、サルコジ・フランス大統領夫人となったカーラ・ブルーニや、トム・ジョーンズなどのアーティストが所属しています。

ヴァージン・グループは、イギリス、アメリカ合衆国、オーストラリア、カナダ、アジア、ヨーロッパ、南アフリカ共和国を含む世界30ヶ国以上に200社以上、展開しています。

業種も多岐に渡り、鉄道会社やゲーム会社、携帯電話会社や宇宙観光旅行会社であるヴァージン・ギャラクティックなどがあります。このように、ブランソンは現在も、ビジネスの範囲を拡大しつづけているのです。

このような起業家精神をたたえ、1999年、エリザベス二世よりブランソンに「ナイト」の称号が与えられました。また、2009年には、フォーブス誌による「世界の億万長者(ビリオネア)」のリストにも登録されました。

彼は同誌の長者リストの261番目の人物であり、その個人資産は約25億ドルと推定されています。この中には、ブランソンが所有する、プライベート・アイランド2ヶ所の資産額も含まれています。

冒険家として

ブランソンによる有名なスポーツの成果は、1986年の、ヴァージン・アトランティック・チャレンジャーIIで記録を成し遂げた大西洋横断があります。他にも、1987年の熱気球による大西洋横断、1991年の熱気球による太平洋横断など、快挙にいとまはありません。

ヴァージン・ ギャラクティックの宇宙事業

このように冒険家としても知られるブランソンは、近年、宇宙観光事業に力をそそいでいます。彼は現在、スケールド・コンポジッツ社と提携し、商用の弾道宇宙船の開発を行う会社を運営しています。

そして、2013年4月、その宇宙船の中の一機であるスペース・シップ・ツーの試験打ち上げ成功により、この事業は大きな飛躍をとげました。

ブランソンはこのとき

「われわれは非常に喜んでおります。最初の飛行で音速の壁を破ることができましたし、万事順調に計画が進んでいるからです。」

とのコメントをNBCニュースを通して伝え、民間宇宙船の最初のテスト飛行が無事成功したことに喜びと手ごたえを感じていました。

2013年末には、このスペース・シップ・ツーのテスト飛行を終え、2014年中の商用化を目指しています。

2013年4月の段階で、すでに500人以上がこの宇宙船のチケットの申し込みをヴァージン・ギャラクティックに対して行っており、運行の実現を待っているということです。判明している中には、この搭乗リストに日本人も数名、含まれています。

プライベート・ライフ

ブランソンは現在、2度目の結婚をしており、妻であるジョアン・テンプルマンと、ホリーとサムという2人の子どもとの4人暮らしです。一家は、イギリス・ロンドン在住です。

【参考URL】http://www.biography.com/#!/people/richard-branson-9224520#!

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