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ステファン・パーソン、ファストファッション王国

2014/12/05
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ファストファッションという言葉をご存じでしょうか。

最新の流行を取り入れながらも、価格を抑えた衣料品を短いサイクルで大量生産し、世界中で販売するファッションブランドのことです。

日本ではなんといってもユニクロが有名です。

しかし、世界にはユニクロを展開するファーストリテイリングの2倍を誇るファストファッション・ブランドがあります。

スウェーデン生まれのブランド、H&Mです。Zara、Inditex、Gapなど様々なライバルを押しのけて、203年度は2兆2,513億円(1500億9,000万クローナ(1クローナ=15円)の売り上げをあげ、ファストファッション・ブランドの世界一となりました。

日本でもたくさん店舗をだしているH&Mは、おなじみのブランドなのではないでしょうか。

このH&Mの会長ステファン・パーソンはフォーブズ長者番付の常連といえる富豪です。2014年には343億ドル(3兆4,300億円)を所有し、12位になっています。

創業者である父アーリンの功績

婦人服店ヘネス

H&Mが創設されたのは1947年、創業者はステファンの父アーリンでした。

創業した場所は、スウェーデン中部の都市ヴェステロースです。ヴェストマンランド地方の都市で、国内第6位の都市であり、紀元1000年前のヴァイキングの時代に植民が始まっています。

中世には大聖堂や修道院が建設され、国内最古の中等教育学校が設立された町です。とはいえ人口は13万程度です。日本の基準で考えると決して大きな都市ではありません。

この町で生まれた婦人服店が世界中に出店する一大ブランドになるとは、創業当時、予想した人はいなかったはずです。立ち上げた当時の名は、「彼女」を意味する「ヘネス」でした。

アーリンには他の店と差をつけるよい戦略がありました。ファッショナブルな服を魅力的な価格で売る、というものです。「ファストファッション」という言葉はまだ生まれていなかったとはいえ、その根本になる考えをアーリングはしっかりと持っていたのです。

この戦略があたったのでしょう1964年には早くもスウェーデン国外を飛び出し、ノルウェーに進出しています。

H&Mを正式のブランド名に

1968年にはストックホルムの狩猟用品店、「モーリッツ・ウィッドフォース」を買収します。この店が紳士服を取り扱っていたことから、以後、紳士服と子供服の販売を始めました。

名前もヘネスのHとモーリッツのMをとった「H&M」の略称を正式名ブランド名にしました。

株式上場と世界展開

1974年にはストックホルム株式市場に上場を果たします。上場によって資金を手にしたH&Mは大規模な拡大戦略をはじめます。世界中に次々と店舗を広げる一方で、コスメ、ティーン向け衣料品の販売、ベビー服の販売と取扱商品も増やしていきました。

ステファンの経営

二代目経営者

ファストファッション・ブランドH&Mの礎を築いたのは、創業者のアーリンであったことは間違いありません。

では、ヘネスが創立された年である1947年に生まれ、1982年に父より会社を受け継いだ二代目経営者のステファンが果たした役割は何だったのでしょうか。

それは、ファストファッションの理念をさらに徹底化して、会社を成長させることでした。

H&Mが大切にしているのは、ファッション性と質、そして手頃な値段のバランスを作りあげることです。実はこれはステファンの次の言葉からきているのです。

「価格か質か、価格かファッションか、価格かサービスか、いずれかを選ばなくてはならないということは断じてあってはならないと信じている」

顧客のロイヤルティを獲得

ステファンが特に重視したのは、顧客のロイヤルティの確保です。

「顧客のロイヤルティこそすべてだ。業界初のことを行っても、ロイヤルティを獲得できるものではない。最高の存在であることで勝ち取ることができるのだ」

顧客のロイヤルティを獲得するために様々な手を打ち続けました。

無駄の削減

まずは低価格を実現するために、無駄を削ります。

「費用は当社の企業文化にとって重要な面だ。1クローネだって使えば、価格と事業コンセプトに影響してくる」とステファンは言っています。製造単価の安い国での製造、物流コストの引き下げに積極的に取組み、コスト削減を徹底していきました。

最新流行を追い続ける

刻々と変わるファッショの変化と顧客の変化に対応する必要もあります。決して発展をやめないこと、最新の流行を取り入れ続けることにH&Rでは労を惜しみません。

100名ほどの自社デザイナーには、毎年10回の世界旅行にいかせました。人は目にした生活からインスピレーションを得るものだからです。そうして旅先でインスピレーションを受けたデザイナーには、次々と新しい製品をデザインさせる体制を確立しました。

次々と新製品がでるために、商品の回転を速くすることもできました。一度売れてしまったものは、二度と店頭にはならびません。そのため消費者はよいと思った製品は今買わなければならないという気持ちになり、製品を買ってしまうのです。

顧客が一番ほしいクリスマス・プレゼント

しかし、自社デザイナーだけでは超えられない壁というものが実は存在していました。

「お客様にとって、一番のクリスマス・プレゼントは何か」について社内で考えたことが出発点となりましたH&Mがだした回答が、「ラグジュリーなもの」でした。

有名デザイナーとのコラボ

安い価格の製品をデザインすることになれた自社デザイナーにはラグジュリーなデザインをすることじたいが難しい注文でした。また、自社デザイナーでは顧客の期待する高級感を提供できるかという疑問もありました。

そこで始めたのが、有名デザイナーとのコラボレーションです。

第一弾は2004年、カール・ラガーフェルドとのコラボレーションでした。当時、シャネル、フェンディ、クロエ、自社ブランドの4つのブランドを展開していたラガーフェルドの服は一般人には手が届かない物でした。

「ラグジュリーなものをH&Mにふさわしい価格帯で幅広い客層に提供する」という方針で作られたコレクションは顧客を熱狂させました。

シルクのキャミソールが29.9ドル、ジャケットやコートも100ドル台、という価格は、シャネルの数十分の一の値段です。高級ブランドには手が届かないファッション好きにも十分に手に入れることができる値段でした。

ラガーフェルド自身もH&Mとのコラボに非常に乗り気だったようです。

ココ・シャネルがフェイクのジュエリーを使った例をあげ、「美しいものを着るのにリッチである必要などない。大切なのはその人のテイスト。H&Mとのコラボはファッションの歴史に残る出来事だ」と語っています。

ラガーフェルドの後も、ステラ・マッカーシー、川久保玲、イザベラマランなど、有名デザイナーとのコラボはその後も続き、顧客の期待を裏切らないイベントとなっています。

右肩上がりのH&M

H&Mの業績は右肩上がりが続いています。2011年は1,288億1,000万クローネ、2012年は1.409億4,800万クローネ、2013年は1,500億9,000万クローネです。

1年に店舗数を1.0%ずつ増やしていくという戦略もたてています。それによって、従業員も2010年の59,440人、2011年の64,874人、2012年の72,276人と増え続けています。

それに伴い、ステファンの資産も2012年に260億、2013年に280億ドル、2014年に334億ドルと増え続けています。この資産の中には、ステファンが買い取り、H&Mに貸している不動産の価格も含まれています。

【参考URL】http://about.hm.com/en/About.html
http://www.bornrich.com/stefan-persson.html
http://www.dailymail.co.uk/news/article-1187039/Swedish-billionaire-H-M-owner-buy-English-village-25million.html
http://www.mentorfoundationusa.org/
http://www.quoteswise.com/stefan-persson-quotes.html

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この記事に対するコメント
  1. Anisha より:

    Amigo de 11 de outubro de 2012 18:59,não sou advogada, porém, entendo que esta atitude cabe ao Procurador Geral da República.Há um problema na atualidade. Ele será julgado como civil, sem foro pra.olegiidi.v.Daí não sei mais o que acontece.Chris! Voce que é advogada, pode nos explicar?Flor Lilás

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