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さすがトム・ハンクス。セレブすぎる今とそこまでの道のり。

2014/08/07
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ハリウッドを代表する世界的に有名な俳優で、「フィラデルフィア」や「フォレスト・ガンプ/一期一会」、「幸せの教室」・・・等に出演しています。

彼は、一見したところセクシーな雰囲気とか、イケメンでかっこいいという俳優さんという印象は受けません。

どっちかというと、ごく普通のおじさんという感じです。そんな彼ですが、ハリウッドを代表する地位を現在築いています。

彼がどうして今の地位を築き、成功していったのか。今回は、そのわけを探っていきたいと思います。

トム・ハンクスの生い立ち

誕生及び家族について

トム・ハンクスは、1956年9月にアメリカ、カルフォルニア州コロラドで生まれました。父親のエイモス・メフォード・ハンクスは料理人でした。母親のジャネット・マリリン・フレイジャーは病院に勤めていました。

ハンクスの両親は1960年に離婚しました。彼の兄弟のうち上から3人、兄のラリーと姉のサンドラ、およびトムは父親と一緒に暮らしました。一番下の弟ジムは、母親のもとに引き取られました。

子供時代のトム・ハンクス

学校に通っていた頃、ハンクスはあまり生徒たちや先生たちから人気のあるような子供ではありませんでした。

雑誌”ローリング・ストーンズ”で、

「私はオタクで、無能な子供だった。恐ろしいぐらい傷つきやすく引っ込み思案な性格だった。でも、あまりトラブルに遭ったことはない。私はいつもいい子で、聞き分けのある子供だった。」

と、自分のことを語っています。

父の再婚、および高校時代

父親のアモスは、中国系のアメリカ人でサンフランシスコ出身の女性、フランシス・ウォンと1965年に再婚します。フランシスには子供が3人いました。その中の2人とハンクスは、高校生の頃一緒に暮らしていました。

ハンクスは、カルフォルニア州オクラホマにあるスカイライン高校へ通っていました。高校時代、彼はミュージカル「南太平洋」やその他の演劇に取り組んでいます。

高校を卒業してから

ハンクスは、カルフォルニア州ヘイワードにあるシャボー大学へと進学し演劇について学びます。2年後、彼はカリフォルニア州立大学サクラメント校へと編入します。

彼は、1986年雑誌「ニューヨーク」で「にぎやかで華やかなものを作ることが好きな人は、演劇の授業を受けるのが一番だと思います。」と語っています。

ハンクスは学生時代、車を運転してしょっちゅう劇場に行き、チケットを買ってシートに座り演劇を夢中になって見ていました。ブルトルト・プレヒト、テネーシー・ウィリアムズ、ヘンリック・イブセンなどの有名な劇作家が製作した演劇をよく見ていました。

役者を目指して

ダウリングとの出会い

演劇を学んでいる時に、彼は、グレート・レイクス・シアター・フェスティバル社の劇作家であるダウリング氏と出会います。ダウリング氏の勧めで、彼は、同社のインターンとなります。

下積み

彼は同社で、舞台照明、セットのデザイン、ステージの管理などあらゆる仕事をこなしていきます。3年間こうした裏方の仕事を夢中になってやりました。そうこうしているうちに大学をやめてしまいます。

また、裏方だけではなく役者として舞台に出させてもらったりもしていました。

大学をやめた頃、1978年の12月に彼は、シェークスピア作の「ヴェローナの紳士」のプローテュースを演じて、クリーブランド・クリティック・サークル賞の主演男優賞を受賞します。

初期の頃の活動

彼は俳優になることを目指して、1980年にニューヨークへ引っ越します。彼の映画デビューは、スラッシャー(殺人鬼)映画、「血塗られた花嫁」です。また、同年、ABCテレビのホームコメディ「Bosom Buddies」に、出演しました。

その後、彼は、マイナーな映画のシリーズものに出演し続けました。

次第に有名に

ハンクスが世間に広く知られるようになったのは、1988年の映画「ビッグ」に出てからです。彼は、この映画に主演して、ゴールデン・グローブ賞、主演男優賞を受賞しました。

この頃のハンクスは、痩せていて、キュートです。

その後も、彼はいろいろな映画に出演します。1989年の「メイフィールドの怪人たち」や、1992年の「プリティ・リーグ」等、ヒットした作品が多いです。

ブレイク

フィラデルフィア

この映画は、エイズとゲイにまつわる世間の偏見を覆していくストーリーが、展開されます。主人公を演じるために、ハンクスは35ポンド(約、17・5キロ)も減量して、エイズとだけでなく、世間の偏見と闘う主人公を描いています。

この映画の主人公、アンドリュー弁護士は同性愛者で、エイズにおかされていることを隠して弁護士事務所に勤めていました。

エイズであるという理由で、彼は事務所から不当に解雇されます。アンドリューは、自分がいた事務所を告訴して闘うため弁護士を見つけようと奮闘します。

しかし、エイズであるために、どの弁護士からも断られます。この時の、彼の落胆しながらも真実を貫き通す姿、演技ではなくスクリーンを通して差別と闘おうとする彼の気概がみなぎっています。

ここまで辛く、しかし真実を貫き通す人間の顔は、見たことがありません。

”なんてすごい演技なんだろう。”と、思いました。彼は、この映画でアカデミー賞、主演男優賞を受賞します。

人々のエイズや同性愛者に対する偏見を覆すほどの迫力を、彼の演技から感じました。本当に、圧巻です。絶望の中から真の怒りを表現するってこんなことかなと思いました。

フォレストガンプ/一期一会

1994年ハンクスは「フォレストガンプ/一期一会」に出演します。

この映画で、ハンクスは知的にやや障害はあるが、純粋で心優しき青年、フォレストの役を演じます。フォレストは、その優しさと周囲の方たちの協力のおかげで、次第に、裕福に、幸せになっていきます。

「フィラデルフィア」のアンドリュー弁護士の時とは、まるで、別人です。清らかで美しい心の持ち主フォレストを見ていると、本当に強い人間ってこういう人かなと感動して涙が出てきます。

彼は、この映画で再びアカデミー賞、主演男優賞を受賞します。

その後の活躍

その後も彼は、1995年の「アポロ13」や、1998年の「プライベート・ライアン」、1999年の「グリーン・マイル」・・・等、数々の話題作に出演します。

2000年代に入ってからは、2004年の「ターミナル」や、2006年の「ダ・ヴィンチ・コード」・・等に出演しています。

収入

これだけの映画出演をしている彼ですから、収入の方もすごいです。2010年は4500万ドル、2011年は3500万ドル、2012年は2600万ドルと、驚異的な数字を記録しています。

日本円に換算すると、(1ドル=100円)それぞれ、45億円、35億円、26億円稼いだことになります。

また、総資産は3億5000万ドルと言われています。

まとめ

彼が成功したわけ

彼が成功したわけ、そうですね。学生時代にたくさんの演劇を鑑賞し、演劇の舞台の裏方の仕事をしながら、プロの生の演技をたくさん見て吸収してきたことが、今の彼の演技の土台になっていると思います。

生の演劇は、ごまかしがきかないですし、ましてや裏方で作業をしていたら、相手の息づかいや表情までつぶさに観察することができます。彼の一瞬も、目を離せない演技は、そうした経験がもとになって積み上げられていると感じます。

彼の、世界の人々の心をわしづかみにする演技力、まさに圧巻です。あらゆる人間の生き様を演じ分ける彼、すごいです。”普通のおじさん”なんて言って失礼しました。

これからも、味のある、人の心を捉えて離さない演技を見せてください。今後の映画を、期待しています。

【参考URL】http://en.wikipedia.org/wiki/Tom_Hanks

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この記事に対するコメント
  1. 日本の名無しさん より:

    ハムを焼いたらキムチで包もう

  2. 日本の名無しさん より:

    ※1
    キムチハムニダ

    1. 日本の名無しさん より:

      キムチハムニダ

  3. 日本の名無しさん より:

    フィラデルフィア、借ります。
    生い立ち知ることができてよかった。
    ありがとうございます

  4. 日本の名無しさん より:

    グリーンマイルなんかも良かったもんなぁ。

  5. 日本の名無しさん より:

    Catch me if you can もかなり面白かった。

  6. 亜紀 より:

    「プライベート・ライアン」を観ました。
    彼でなかったら観なかったと思う

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