カルロス・スリム・ヘルはテレコミュニケーション事業、小売業、銀行業、保険、テクノロジー、車、製造事業など様々な事業に携わり、成功した人物です。
「ラテンアメリカ一リッチな男」や「ラテンアメリカのウォーレン・バフェット」とも呼ばれるほど多大な富を築いており、その地位を確固たる物にしています。
そんなヘル氏はどうやってこれまでの地位へと上り詰めてきたのでしょう。彼の成功の秘訣を探っていきましょう。
カルロス・スリム・ヘル氏の生い立ち
そんな大富豪、ヘル氏の人生もいつも順風満帆だったわけではありません。少年時代に父の死など、つらい事も体験します。そんなヘル氏の生い立ちを見ていきましょう。
ヘル氏の両親
カルロス・スリム・ヘルは1940年にメキシコのメキシコシティで誕生しました。彼の父親、ジュリアン・スリム・ハダッドとリンダ・ヘルはカトリック教を信仰していたレバノン人の子孫でした。
彼の父親、カハリ・サリム・ハダッドが1902年、14歳の時にレバノンからメキシコへ移住し、ジュリアン・スリム・ハダッドと改名したのです。
当時、レバノンではオットーマン軍へ15歳になると徴兵される制度があり、子供が15歳になる前に外国に送られることは稀ではなかったのです。
そして父親が14歳でメキシコに着いたとき、彼の兄弟も既にメキシコで暮らしていました。
ヘル氏の母親であるリンダ・ヘルはメキシコのチワワという都市に生まれ、彼女の両親が19世紀末にメキシコに移住して来ました。
彼女の両親は移住に伴いメキシコに移住し、レバノン人コミュニティのためのアラビア語雑誌を創設したのです。
1911年に父親のジュリアンはドライフードストアをオープンさせ、そのお店が成功し、1921年にはメキシコシティの繁華街に新しいお店をオープンさせました。
そしてこの事業がジュリアンに富をもたらし、裕福にしてくれたのです。
そして生活の見通しが立ち、1926年にジュリアンとリンダは結婚。六人の子供を設け、カルロスしは五番目の男の子でした。
父親の死
彼の父親は生前、子供達に国の経済をよく勉強しておくよう薦めていました。そんな父親の影響を受け、少年カルロス氏は数字に強くなり、12歳の時にはメキシコ銀行の株を買い始めていたのです。
いつも優しく色々な事を教えてくれる父親のことを慕い、尊敬し、彼と父親は強い絆で結ばれていました。
しかしカルロス氏が13歳の時に彼の父親が他界してしまいます。彼は悲しみに打ちひしがれ、その後一年はとても厳しい一年を過ごします。
大学でエンジニア学を専攻
しかしそんな厳しい状況を跳ね除けるように学業に励み、名門高校へ入学。高校時代には彼の父親が創業したお店で働き、週に200ペソを稼いでお小遣いとします。
高校卒業後、学業、特に数学と物理に優れていた彼はメキシコ・ナショナル・オート大学に進学し、エンジニア学を専攻します。
大学在学中から、数学とプログラミングのチューターとして大学で教え、学費の足しにしようと懸命に働きます。
ヘル氏のキャリア
今では世界屈指のヘル氏。そんなヘル氏はどうやって今のキャリアを築いたのでしょう。彼のキャリアの歴史を見ていきましょう。
キャリアの始まり
数年間チューターを行った後、ヘル氏は最初のビジネスに乗り出します。それは、バーサティル投資銀行でのブローカーとしての仕事でした。
そして投資銀行を退社後、自分自身の投資会社を立ち上げ、その投資先を個人事業や建設、製造、リテイル、レストランまで幅広く拡大していきます。
1966年には、彼の会社は4000万ドル(アメリカドル)もの時価総額があったのです。
ビジネス拡大
ヘル氏のキャリアを通しての興味は建設、不動産、炭鉱事業などに主に向いていました。
1976年には小売業、食品業、たばこなどにも事業を拡大し、様々な事業に投資し、特に個人事業者を助けるようになりました。
1982年にはメキシコ経済は主に石油輸出に依存しており、当時石油の値段が急降下したため、世界中で利子が跳ね上がり、銀行やビジネスが国営化されたり倒産したりしていました。
この時期にヘル氏は多くの投資を行い、後にそれらを売却することで多額の利益を得たのです。
テレメックス社の拡大
そして2000年には90%のメキシコの電話のラインが彼の元々創設した会社であるテレメックスで運営されるようになり、彼の資産は投資とともにますます増えていきます。
そんな絶好調のテレメックス。2001年にヘル氏はアメリカ進出を試みます。
テレメックスUSAを設立し、トラックフォンというアメリカの会社を吸収合併します。同時期に、彼はカルソ・インフラストラクチャー・アンド・コンストラクションという建築会社を立ち上げ、更にビジネスを拡大していきます。
この時ちょうど心臓発作で倒れ、心臓の手術を受けるという困難に直面しますが、そんな困難もものともせず、病院から連携を取ったり、手術後にはすぐに現場に向かうなど、精神力の強さを発揮して会社の立ち上げに成功します。
また、その後更に航空会社やたばこ会社などへの投資も行い、どんどん自身の資産を増やしていくのです。
カルロス・スリム・ヘル氏の資産
世界屈指の大富豪と呼ばれているヘル氏。彼の資産はいったいどれくらいなのでしょう。
個人財産
ビジネスや投資でどんどん資産を増やしてきたヘル氏。資産をまとめると一体どれくらいになるのでしょう。
2007年の3月29日現在で、ヘル氏はウォーレン・バフェット氏を抜いて世界で二番目にリッチな人物として、個人資産530億ドルとされています。
翌年の8月4日にはウォルストリートジャーナルが彼の資産について特集を組んでおり、その記事によると、なんとバフェット氏だけではなく、世界屈指のお金持ちであるビル・ゲイツよりもリッチであるとのことなのです。
フォーチュン誌によるとヘル氏の資産は590億ドル、そしてビル・ゲイツ氏の資産は580億ドルとされています。
そして2011年には資産740億ドル、2012年には資産755億ドルと順調に資産を伸ばしていき、2013年には世界中で二番目に最もリッチな人物だとされています。
個人資産
そんな一生かかっても使い切れないほどの資産を抱えているヘル氏。使い道は何なのでしょう。
多くのセレブがヨットを買ったり、趣味へと費やしていますが、ヘル氏の場合は資産は不動産のみのようです。
ヘル氏はデューク・シーマンズ・マンションと、ニューヨークの五番街には440万ドルのビューク・アートハウスを保有しています。
デューク・シーマンズ・マンションの敷地は二万スクエアフィートにも上り、12部屋、トイレ・シャワールームが14室、地下にはかかりつけ医の診察室まであるのです。
慈善事業家としてのヘル氏
そんな、抱えきれないほどの資産を保有しているヘル氏。彼は有り余るほどの資産を使って慈善事業家としても活躍しています。彼はメキシコシティでアート、教育とヘルスケアの、スポーツのための三つの非営利機構を設立し、運営しています。
また、メキシコシティのソウヤマ美術館のスポンサーとしても有名で、彼の妻であるソウヤマ・ドミットの名に由来した美術館を設立しています。
ソウヤマ美術館は数多くのダリやピカソ、レオナルドダヴィンチなどの有名美術を展示していることで有名で、美術館のオープンはメキシコ大統領によって行われた程の名高い美術館を設立・運営しています。
まとめ
小さな頃に最愛の父が他界してしまって悲しみに暮れたヘル氏ですが、それをはねのけるように学業に励み、名門大学へと進んだり、新しい会社の設立を前にして心臓病を患っても現場に足を運んだりと、精神的な強さを見せつけます。
逆境に屈することなく、逆境をばねにして将来の良い事に利用する姿勢からは私たちも多く学ぶことがあるのではないでしょうか。
また、最愛の父の生前の「経済を良く知るように」と言う教えに従い、経済を勉強していたことも、ヘル氏を数字に強くし、投資で成功させた秘訣ではないでしょうか。
ほとんどの資産を趣味よりも慈善事業に費やしているヘル氏。今後も、彼の影響力と力を使って社会をより豊かにしていって欲しいですね!
【参考URL】http://en.wikipedia.org/wiki/Slim_helu
http://www.achievement.org/autodoc/page/sli0bio-1
http://en.wikipedia.org/wiki/Carlos_Slim
http://www.bornrich.com/carlos-slim-helu.html
http://www.woopidoo.com/biography/carlos-slim-helu/index.htm