貧しい境遇の子供が努力によって成功をおさめ、億万長者になる。そんな夢のような立身出世物語を実現した億万長者は、少ないとはいえ存在します。
entrepreneur.comが昨年行った調査によると、世界で最も裕福な100人のうち、貧しい家の生まれで、大学にはいけなかった人物として、8人の人物があがっています。
- オラクル創業者のラリー・エリクソン
- 長江実業グループ創設者兼会長の李嘉誠
- ZARA創業者のアマンシオ・オルテガ
- ノルウェーの海運王ジョン・フレドリクセン
- ラスベガス・サンズのシェルドン・アデルソン
- イケア創業者のイングヴァル・カンプラード
- フランスの小売り会社ケリングのフランコイス・ビノールト
上記の人にならんで名前があがっているのが、世界一の眼鏡メーカーであるルクソティカの創業者であるレオナルド・デル・ベッキオです。
ミランでの日々
孤児院育ち、14歳で奉公に
1935年にミランでデル・ベッキオが生まれる5ヶ月前に、父親はなくなっています。母親には経済力がなく、息子を育てることができませんでした。そのためデル・ベッキオは7歳で孤児院に入れられます。
14歳になると働き始めなければなりませんでした。
まず、ミランの工具・染料製造者のもとに奉公にでます。担当したのは自動車と眼鏡の部品でした。特に眼鏡に興味を持ち、ただ部品を作るだけではなく、デザインもこなしたいと思うようになります。
そこで昼間は働きながら夜間学校に通い、産業デザインを勉強しはじめます。眼鏡のフレーム作りはデル・ベッキオを夢中にさせました。
創業~ミラノの見本市
イタリア最大の眼鏡生産地ベッルーノ県
1961年、25歳の時にイタリア北東部のアゴルドに向かい、会社を立ち上げます。
いかにもイタリアのビジネスの中心地といった観のあるミラノではなく、なぜ、わずか人口が4,300人しかいないアゴルドで創業したのでしょうか。
アゴルドはイタリア北東部のベネト州のオーストラリア国境に近いベッルーノ県北部にあります。ベネト州の州都はベネチアといえば、地図をみればなんとなく場所がわかるのではないでしょうか。
実はアゴルドのあるベッルーノ県は、イタリア最大の眼鏡の生産地なのです。
イタリアの眼鏡産業は世界でも有数の規模です。その80%以上がベネト州に集中しているといわれています。もともとこの地域は産業もなく、移民としてでていく者も多い貧しい山村しかありませんでした。
この状況を変えたのが、1878年に開かれた小さな眼鏡作業所でした。
眼鏡作りには大規模な設備や投資は必要ありません。また、眼鏡という軽い製品を輸送するのは簡単でした。安価な労働力を提供するこの地域の人民は、豊富な水資源と水力エネルギーを生かしながら粘り強く眼鏡作りに取り組んでいきました。
1883年には初めての眼鏡工場が設立されます。この工場はやがてサフィロというイタリア眼鏡産業5大企業の一角に成長していきます。技術者も育っていき、小さな家内工業で眼鏡フレームや眼鏡ケースが作られるようになりました。
第二次世界大戦後の1945年以降は専門化した下請が誕生し、特定の工程だけを扱う分業制度が確立していきます。
デル・ベッキオがルクソティカを立ち上げた時には、ベッルーノ県は眼鏡の一大産地としての基盤をととのえていたのでした。
見本市での成功
会社の立ち上げ当初は、ベッルーノ県によくある下請け家内制手工業にすぎませんでした。中でもよく使った素材はアルミニウムです。自身が1つずつ作ったフレームに家族が色を塗るといった方法で製造を続けました。
しかし単に注文通りの下請け仕事に徹しようとはしませんでした。こつこつとデザインや機能性を高めていきます。
1967年より、デザインから製造まで一貫した完成品を生産できる体制を作り揚げました。作成したフレームは、ルクソティカ・ブランドと名づけられました。
努力が身を結んだのは1971年ミラノで開かれた見本市でした。デル・ベッキオの眼鏡は評判を呼びます。下請け会社から眼鏡フレームメーカーに脱皮を遂げたルクソティカは快進撃を始めます。
成功の秘密
垂直統合型の経営
ルクソティカは見本市をきっかけに、イタリアの眼鏡界で成功の道を進み始め、認知度を高めていきます。とはいえ、デル・ベッキオは小さな成功に浮かれることはありませんでした。
今以上の成功を収めるのはどうしたらいいのか、と考えた末にたどりついた答えが「垂直統合型の経営」でした。
デザインから製造まではすでに行っています。そこに販売、卸・小売り販売を加えたらいいのではないか、と考えたデル・ベッキオは合併に乗り出します。
その第一歩が、1974年のスカローネの買収です。スカローネはトリノの販売チェーンで、眼鏡市場でのノウハウと実績を持っていました。
1980年代になると海外で独立系流通企業の買収、子会社の設立、合弁契約を通じて、国際市場への進出を進めていきます。そのうち業界大手企業の買収にも乗りだすようになります。
欧米はもちろん、中国、中南米、インド、南アフリカ、フィリピンなど新興市場への進出も積極的に行っています。その結果、全世界の自社販売網は2013年の時点で7,000店舗を超えています。
売上高の97%は海外であげており、そのうち新興市場の売上は15%を占めていますので、ルクソティカの海外戦略は完全にあたったといえるでしょう。
1980年代から1990年代にかけては、生産工場の拡大も進めていきました。
創業の地アゴルドの工場での生産を続けながらも、ベッルーノ県内にあるセディコ、チェンチェニゲにも工場を設立します。同じベネト州のトレゾノ県、トレント県、ビエモンテ州トリノ県にも国内工場を設立しました。
海外ではアメリカ、中国、ブラジル、インド(ただし規模は小さい)に工場を所有し生産しています。
海外工場では、販売先にあわせた生産を行っています。たとえば、アジア人は眼鏡をかける鼻筋が低くて頬骨がつきだした顔をしています。それにふさわしくなるように微調整を加えた上で販売をしているのです。
ライセンス契約によるラインアップ拡大
眼鏡フレームやサングラスは実用的な用途だけではなく、ファッションの重要な要素となりうるのではないか、と考えたデル・ベッキオはデザインを追求することにしました。
まずは1988年に有名デザイナーのジョルジョ・アルマーニとのライセンスを締結しました。コーディネートに華を添えると評判を呼びます。
その後、ベルサーチ、ミュウミュウ、ブルガリなどのイタリアブランドはもちろんのこと、シャネル、ダナキャラン、ラルフ・ローレンなど海外ブランドとのライセンス契約を進め、ビジネスを拡大していきました。
買収によるラインアップ拡大
特にサングラス市場では買収によりラインアップを拡大する戦略をとっています。
ペルソール、レイバンといった古参企業を買収したかと思えば、スポーツウェアのトップにいたオークリーを買収するといった具合です。
固定ファンのあるブランドを買い取ると、ファンが離れていってしまうという現象はよくあることです。たとえばレイバンの場合は、産地が米国からイタリアに代わったことで、アメリカ時代の刻印BLがRBに変わるといった変更がでています。
とはいえ、買収後、数多くのレイバン復刻版として過去の人気モデルを復活させました。昔からのレイバン愛好家は復刻版モデルをチェックしているようです。
拡大路線は将来も継続か
今や世界一の眼鏡メーカーになったルクソティカですが、成長・拡大をもくろむ貪欲な姿勢を示し続けています。
今後、焦点をあてる対象として、ブラジル、中国、インド、メキシコ、トルコをあげ、さらにはチリ、ペルー、タイ、インドネシア、旧ソ連諸国にも投資を行っています。
79歳になる創業者ベル・デッキオ会長の拡大戦略はルクソティカに完全に根付いたものとなっています。
【参考URL】http://en.wikipedia.org/wiki/Luxottica
http://www.4-traders.com/business-leaders/Leonardo-Del-Vecchio-149/biography/
http://www.entrepreneur.com/article/226514?hootPostID=409d47aafaf765ece696fedc4e3aa72e
http://www.huffingtonpost.com/2012/10/08/leonardo-del-vecchio-luxx_n_1948324.html
http://www.jetro.go.jp/jfile/report/07001250/it_eye_glasses.pdf
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