ハワード・ヒューズ(1905-1976)はアメリカ・テキサス州生まれの実業家です。家庭は裕福でしたが、父親は不在がちでした。
生まれつきの難聴を抱えていたヒューズは、今でいう「引きこもり」のような青年として育ち、飛行機とアマチュア無線、そして映画に没頭しました。
父親が死去した後、莫大な遺産と父が取得した特許による収入を背景に、映画の監督や総指揮を務めたほか、配給会社を買収するなど、映画ビジネスに乗り出しました。
また、子供の頃から飛行機が大好きで、自分で操縦するに飽き足らなかったヒューズは、飛行機を製造する会社を設立したり、航空会社を買収したりするなどビジネスの手を広げました。
航空会社での利益への法人税対策として設立された会社「ハワード・ヒューズ医学研究所」は、今では全米2位の規模を誇る慈善団体として知られています。
そんなヒューズのトリビアには、こんなものがあります。
・映画監督もしていた関係で、キャサリーン・ヘップバーンなど数々の女優とのラブロマンスに事欠きませんでした。
・ヒューズは生涯にわたって3回結婚していますが、うち2番目の相手に、「ヒューズとは離婚していない」と後に訴えられ、それが認められたため、3番目の妻との結婚期間は重婚していた状態でした。(訴えはヒューズの死後であったため、彼自身は罪には問われていません。)
・ヒューズの半生を描いた映画があります。マーティン・スコセッシ監督、2005年公開の映画「アビエイター」です。レオナルド・ディカプリオがヒューズに扮し、アカデミー賞に数部門、ノミネートされています。
ハワード・ヒューズの生い立ち
ハワード・ヒューズは、1905年12月24日、アメリカのテキサス州ヒューストンに生まれました。母は名家の出身という裕福な一家でした。
ヒューズは、父と同じハワードと名付けられました。父(ビッグ・ヒューズ)は、ヒューズが3歳のとき、ドリルの主要部品であるドリルビットの画期的な設計に成功したことにより、莫大な利益を得ました。
テキサス州での産出量が多い原油の岩盤を掘削できるドリルビットの特許を取得したのです。
シャープ・ヒューズ・ツール社という、父が設立した会社の主力製品となったドリルビットの生産と石油会社へのリース料収入で、会社は規模を拡大していきました。
彼は裕福な家庭で育ったものの、ヒューズは、学校が嫌いで、何度も転校を重ねました。教室でじっとしているよりも、彼は機械をいじり、仕組みを知ることが好きでしたし、その能力にも長けていました。
たとえば、母はヒューズがバイクを持つことを禁じましたが、彼はモーターを自作し、それを自分の自転車に取り付けてバイクにしてしまいました。
ヒューズは、若くから一匹狼で、友達と呼べる人はほとんどいませんでした。
会社相続争いに打ち勝つ
ヒューズが16歳の時、彼を溺愛していた母が亡くなり、その2年後、彼の父も急死してしまいました。彼は父が遺した財産の75%、約87万ドルとドリルビットの特許を受け取ることになります。
ヒューズは、残りの25%の財産を相続した親戚たちがヒューズ・ツール社の運営上まで任されることに反対しましたが、私的財産を相続したとき彼は18歳で未成年でした。
テキサス州で成人とみなされる21歳までは法的権利がないため、法人の相続はできないとされたのです。
このことに不満を抱いたヒューズは裁判所に訴えを起こし、彼に法律上の成人としての権利を与えるという判決を得ました。
彼はその後、親族が持っていた会社の株式をすべて買い取りました。こうして19歳で、ヒューズはヒューズ・ツール社の唯一のオーナーとなりました。
映画クリエイターとしての活躍
1925年に、20のヒューズは、前年に結婚した妻を伴ってハリウッドに転居し、脚本家だったヒューズの叔父ルパートとともに過ごしました。子供のころから映画が好きだったヒューズが映画製作に没頭するのにさほど時間はかかりませんでした。
試行錯誤しながらヒューズは映画を作り続け、1927年の「美人国二人行脚」ではアカデミー賞喜劇監督賞、また1928年の「暴力団」では作品賞にノミネートされるなど、趣味の範囲にとどまらず、クリエイターとしての腕を上げていきました。
こうした反響がきっかけで、彼は飛行機に関する映画を作りたいと思うようになりました。そうしてできた作品が「地獄の天使」です。彼はこの作品に実際の戦闘機や爆撃機を使って撮影するなど多額の製作費をつぎ込み、完成に執念を燃やしました。
この作品は、そこそこのヒットを生み出したものの、1930年時点での百万ドルという巨額の製作費を回収するには至りませんでした。
しかしその後も、ヒューズは飛行機製造の傍ら、合計25作品の監督や製作に携わり続けました。
世界新記録の樹立と飛行機製造計画
1932年、27歳になったヒューズは、新たな野望を抱いていました。飛行機に魅了された彼は、ヒューズ・エアクラフト社を作り、飛行機を数機購入すると、航空エンジニアや機体設計デザイナーを大勢雇いました。
彼は、とにかく早く目的地に着ける機体を欲しがり、1933年には、「トランスコンチネンタル・アンド・ウェスタン航空」(T&WA)を買収します。その後、1930年代に次々とアメリカ大陸横断などの飛行速度の記録を更新し続けました。
1938年、彼は1931年にウィリー・ポストらが樹立した8日間の世界一周の最速記録を破り、3日19時間17分での世界一周を成し遂げました。
その功績をたたえてニューヨークでは彼の到着を祝うパレードが開かれましたが、そのころの彼は、母親譲りの潔癖症などが悪化し、すでに公共の場に出るのを避けていました。
1944年には、第二次世界大戦中のヨーロッパで使用するための、巨大な飛行艇の設計を請け負う政府契約を結ぶことに成功します。
「スプルース·グース」(正式名称は「ヒューズH-4ハーキュリーズ」)というそれまでで最大の規模を誇る飛行艇は、開発にとても時間がかかりました。
戦後の1947年11月2日に初のテスト飛行(3回)を終えましたが、その後、再び飛行することはありませんでした。機体は保管され、2001年からはアメリカのオレゴン州にあるエバーグリーン航空博物館に展示されています。
事故の後遺症と隠遁生活
1946年、「XF-11」という機種の飛行中に墜落事故で重傷を負ったことがきっかけとなり、強迫性障害という精神疾患にかかったヒューズは、1950年代半ば頃から、ほとんど外出せずに一日中手だけを洗い続けるなどの奇行を繰り返すようになります。
1966年には、当時の妻、ジーン・ピータースと2人でラスベガスのデザートイン・ホテルの一室に引きこもってしまいました。
部屋の維持管理に悩んだホテルでは、居座るようなら退去してもらうとヒューズに警告しますが、彼は滞在しているそのホテルを丸ごと買い取り、そのスイートルームで隠遁生活を送ります。
孤独な晩年と遺言の謎
1970年にヒューズはピータースと離婚し、ラスベガスを出て、バハマ、ニカラグア、カナダ、イギリス、メキシコなど世界各地を飛行機で転々としました。
1976年4月5日にメキシコ・アカプルコからアメリカに戻る機中で、ヒューズは死亡しました。長年の精神疾患で極度にやせ細り、遺体は指紋鑑定をしないとヒューズだということがわからない状態だったといいます。
子孫のいない億万長者の遺産は、元妻3人、いとこなど22人に分割相続されました。
しかし、その中には財産の贈与を巡って真偽のはっきりしない遺言に基づくものがあり、死後40年近く経つ現在も判決の出ていないものがあります。
【参考URL】http://history1900s.about.com/od/people/p/hughes.htm
http://www.notablebiographies.com/Ho-Jo/Hughes-Howard.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BA
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AA%E7%A9%BA%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E5%B9%B4%E8%A1%A8
http://ja.wikipedia.org/wiki/H-4_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)#H-4.EF.BC.88.E3.82.B9.E3.83.97.E3.83.AB.E3.83.BC.E3.82.B9.E3.83.BB.E3.82.B0.E3.83.BC.E3.82.B9.EF.BC.89.E3.81.8C.E7.99.BB.E5.A0.B4.E3.81.99.E3.82.8B.E4.BD.9C.E5.93.81
http://www.hhmi.org/about/history
http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=17234
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=19109#3
http://club.coneco.net/user/16448/review/122450/
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