ライト兄弟が世界初の飛行機による有人動力飛行に成功したのは1903年12月17日のことです。合計4回行われた飛行の成功は次の通りです。
- 1回目: 12秒、120ft(約36.5m)
- 2回目: 12秒、175ft(約53.3m)
- 3回目: 15秒、200ft(約60.9m)
- 4回目: 59秒、852ft(約259.6m)
飛行に成功といっても、1分足らずの時間に短距離走の距離しか飛べなかったことがわかります。
ところが、早くも1927年にフロリダ州キーウェストとキューバ共和国ハバナを結ぶ国際線を開設した人物がいます。ファン・トリップ(1899-1981年)です。1968年に引退するまで、約40年にわたり、航空業界をリードし続けました。
パンアメリカ航空創業まで
「ファン」という名を聞くと、スペイン系ではないかと思ってしまいますが、そうではありません。母の祖先が南米の入植にかかわっており、大叔父が結婚したベネズエラ人のファニータ・テリーにちなんで名付けられています。
父は裕福な投資銀行家でした。父方の祖先はイギリスのケント州から1698年にアメリカのメリーランド州に移り住んでいます。
幼い頃から飛行機に魅入られていたといってよいでしょう。
まず、ライト兄弟が1909年にニューヨークで自由の女神を一周した試作飛行を目撃しています。1917年には初めてフロリダで飛行操縦クラスを受講します。
第一次世界大戦では海軍のパイロットを志望しました。ところが視力が悪かったため、海軍にはいることはできず、東部の名門校イエール大学に進学することになります。
卒業後は父と同じ金融業界で働き始めますが、飛行機と縁が切れることはありませんでした。航空会社への資金調達を手がけています。
飛行機に大きな将来性を感じていたトリップは、本格的に航空業界に身を投じます。
海軍から買い取った飛行機を使って1923年、ロングアイランド・エアウェイズを設立し、1924年にはコロニアル・エアトランスポートとしてニューヨークとボストンを結ぶ便を開設しました。
しかし、大きな成功をおさめるまでには至りませんでした。
パンアメリカン航空の設立と躍進
1927年、コロニアル・エアトランスポートを辞任したファン・トリップは、3つの航空会社を合併してパンアメリカン航空を設立し、社長取締役に就任します。
まずは、フロリダ州キーウェストとハバナを結ぶ90マイル(約145km)の便を開設しました。同時にアメリカ政府を顧客に取り込むことに成功します。
国際定期郵便輸送の契約を取り付け、南米ではアメリカ政府職員がパンアメリカン航空の利用するようにロビーイング活動を行ったのです。パンアメリカ航空の利用がアメリカの戦略的、経済的利益にかなうとした説得はうまくいきました。
合衆国政府の支援獲得に成功したファン・トリップは、会社を拡大させていきます。
1929年にブエノスアイレスの航路を所有していたグレース航空を買収し、中南米23カ国への航路を確保しました。
1930年までに、世界最大の航空会社となったパンアメリカン航空は、無線を使って同社がはじめた気象観測部門の情報を北米のみならず、中南米でも利用するようになりました。
その後もパンアメリカン航空は飛躍を続けます。
大西洋単独無着陸飛行に成功したチャールズ・リンドバーグを技術顧問に迎え、1935年にはサンフランシスコとマニラ間を結ぶ世界初の太平洋横断空路。
1939年にはニューヨークからサザンプトンに飛ぶ北大西洋路線とニューヨークからマルセイユに飛ぶ中部大西洋路線が次々と開設していきました。
パンアメリカンの代名詞となったクリッパー
1930年代には、まだアメリカとアジア、ヨーロッパを直接飛ぶことは非常に困難でした。9世紀発達した大型帆船「クリッパー」を研究したトリップは、中継地点網を作う方法を思いつきます。
たとえばサンフランシスコとマニラを結ぶ太平洋路線ではホノルル、ミッドウェイ島、ウェーク島、グアムというアメリカの領土や植民地などを中継地点に選んでいます。
この長距離路線戦略のヒントとなった「クリッパー」は、パンアメリカン航空の代名詞となります。「チャイナ・クリッパー」、「アメリカン・クリッパー」、「アトランティック・クリッパー」など、多くの機体の愛称になりました。
無線で使われるコールサイン(識別信号。無線局を区別するための文字列)で、パンアメリカン航空が使ったのも「クリッパー」です。
また、第二次世界大戦後に広い座席サイズと機内食のレベルアップを目指して提供された中間クラスも、「クリッパー・クラス」と名付けられました。
このクリッパー・クラスはビジネス・クラスの先駆けといわれており、今でもビジネス・クラスがCクラスと呼ばれるのはこのクリッパーのCではないかと言われています。
アメリカ帝国主義の象徴に
続く第二次世界大戦では、国際線運用で培ったノウハウをアメリカ軍に提供し、アメリカ政府と太いパイプを築き上げました。このことが戦後の国際線拡大につながっていきます。
全世界で路線運行をする権利を獲得したのは、パンアメリカン航空だけという状況ができあがったのです。
1947年、世界初の一周路線を開設します。ニューヨークからロンドン、イスタンブール、カルカッタ、バンコク、マニラ、上海、東京、ウェーク島、ホノルル、サンフランシスコを経てニューヨークに戻るというものでした。
1956年にはニューヨーク・パリを結ぶ直通線を開通するなど、国際線の充実を続けます。
路線拡大を続けることができたのは、なによりも航空機技術の革新を追い求める姿勢にありました。
1950年代にはジェット旅客機導入を開始します。当初、予定していた世界初のジェット旅客機デ・ハビランドDH.106コメットに設計上の欠陥がみつかると、代替機となるジェット旅客機として、ボーイング707型機を20機発注しました。
ボーイング707はもともとアメリカ空軍向けの大型輸送機としたもので、コメットの事故から得た教訓を生かした安全対策をたて、設計されたものでした。ボーイング707はニューヨークとパリ間の直行便、世界一周線など、国際線に使われました。
クリッパーの愛称はボーイング機にも使われ、ボーイング708-121はクリッパー・アメリカと名付けられています。また、ボーイングのライバル機ダグラスDC-8も25機発注し、運航します。
1960年には、ニューヨークのアイルドワイド空港(現在のジョン・F・ケネディ国際空港)にパンアメリカン航空専用のターミナル「ワールドポート」を建設しました。ジェット機に対応したサービスを提供するためです。
アジア太平洋地域への乗り継ぎ便のハブ空港として東京、ヨーロッパ便のハブ空港としてロンドン、フランクフルトを設けるなど、海外ハブの強化にも努めています。
国際ホテルチェーンの運用にも乗りだし、旅行客に宿泊サービスを提供しました。飛行機利用の普及をねらい、「ツーリスト・クラス」で割安の航空運賃も設定しました。
こうした経営努力の結果、パンアメリカン航空は1961年には4億6,000万ドルの収益をあげます。ビートルズ、オペラ歌手のマリア・カラスなど、世界の有名人が利用する旅客機としても華やかな話題を振りまきます。
汎アメリカ主義を意味する「パンアメリカン」という社名とあいまって、アメリカ帝国主義の象徴と呼ばれるまでになりました。
今も生き続けるビジョン
1968年の引退まで、このすべてを指導したのがトリップです。タイムズ誌は次のように書いています。
権限を委譲することなどありませんでした。大きな取引を経営陣に相談せず一人で決めてしまったのです。ほぼ一人で世界的な航空会社であるパンアメリカンを築き上げ、自分がまるで世界を所有しているかのように振る舞いました。
トリップの引退直後の1970年には乗客数は1,100万人となり、62カ国で19,000人を雇用する巨大企業であったパンアメリカン航空はその後、経営を悪化させ、1991年には破産、運航停止に追い込まれます。
しかし、創業した会社が終演を迎えた今も、自分が携わった事業を愛し冒険をおそれず邁進して成功をおさめたトリップの起業家精神とそのビジョンが人びとの記憶から消え去ることはありません。
「パンナムは今ではなくなってしまいましたが、トリップのビジョンは生き残っています」とタイムズ誌は書いています。
【参考URL】http://content.time.com/time/magazine/article/0,9171,989780,00.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Worldport_%28Pan_Am%29
http://www.documentary24.com/the-story-of-pan-am-juan-trippes-american-dream–1112/
http://www.encyclopedia.com/topic/Juan_Terry_Trippe.aspx
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=6&ved=0CE8QFjAF&url=http%3A%2F%2Fishc.com%2Fwp-content%2Fuploads%2FTrippe.pdf&ei=Ij6PU_uJIImalQW-h4GAAw&usg=AFQjCNEvtJ3wRH8C_DXAYIQi6WyJQL5Qfg&sig2=6LBuDBbX2d8p_ac9i-6z1w&bvm=bv.68235269,d.dGI
http://www.nytimes.com/1981/04/04/obituaries/juan-trippe-81-dies-us-aviation-pioneer.html
http://www.panamair.org/
http://www.pbs.org/wgbh/theymadeamerica/whomade/trippe_hi.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E5%85%84%E5%BC%9F