はじめに
日本ではレオ様の愛称で親しまれているハリウッドスター、レオナルド・ディカプリオ、「ロミオとジョリエット」や、「タイタニック」など、数々のヒット作品に出演しています。
キュートでナイーブな雰囲気、最近では知性と重厚さも増し、世の女性のハートをわしづかみにしている俳優の一人です。
レオ様、どこか守ってあげたいという雰囲気を感じ取っているのは私だけではないはずです。本当に見た目からして、上品で、繊細な魅力がにじみ出ています。
また、彼の演技には「エドガー」に見られように自分よりずっと年上の方の役柄をこなすような重厚さも兼ね備えています。
本当に魅力的でいろんな引き出しを見せてくれるので、私は彼の演技にとても惹かれてしまいます。今回はレオ様こと、レオナルド・ディカプリオについて語らせていただきます。
生い立ち
レオナルド・ディカプリオは、アメリカ、カルフォルニア州、ロスアンジェルスで、1974年11月11日に生まれました。
父親の名前はジョージ・ディカプリオと言い、イタリア人とドイツ人のハーフで、アンダーグランドコミックを描いたり、アンダーグランドコミックの卸業者をしたりして、生計を立てていました。
また、母親の名前は、イルメリン・インデンバーゲンと言い、ドイツで弁護士をしていました。ディカプリオの母親は1950年代にドイツのルール地方から家族と一緒にアメリカに移住してきた女性です。また、母方の祖母はロシアからドイツに移住してきた移民です。
国際化が進んでいるとはいえ、日本では移住するという感覚がほとんどないに等しいので、ある意味そんな風な環境で育たないと、世界に通用しないのかも?と感じます。
あらゆる文化を共有し視野を広げていくって、俳優じゃなくてもこれから先必要になってくるかもしれませんね。
イタリアの美術館で、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵を母親のイルメリンが見ている時、母親のお腹の中にいたディカプリオが初めてお腹をけったので、彼を”レオナルド”と名付けたそうです。
この名前、初めて聞いた時、彼ってヨーロッパの人?と私は思いました。なるほど、こういういきさつがあって、レオナルドと名付けられたんですね。
ディカプリオの両親は、彼が1歳の時に離婚します。彼は、母親に引き取られます。また、子どもの頃、時々母方の祖父母のいるドイツで過ごしたことがあり、彼は流暢なドイツ語を話すことができます。
両親は離婚しましたが、ディカプリオは父ともずっと近しくしていました。
ディカプリオは小さいころから、人の真似をしたり、自分で違うキャラを演じて両親を笑わせたりすることが好きでした。
初期のころの活動
ディカプリオは、5歳の時教育番組「ロンパー・ルーム」に出ますが、やんちゃで、手が付けられないということで、番組から外されます。その後、彼は名前をレオナルド・ディカプリオから、レイニー・ウィリアムに変えるようにエージェントから勧められます。
彼の名前がエキゾチックであるという理由からです。しかし、彼はこれを断固として拒否し続けます。
つまり、エージェントは、この名前はアメリカの芝居の世界では似つかわしくないと言いたかったわけですね。アメリカこそ、多種多様な人種が集まってできている国なのに、このエージェントの話していること、私には、理解し難いです。
今思えば、この名前を、変えなくて良かったと思います。だって、レオ様なんて愛称つけてなかっただろうし、エキゾチックだから名前を変えろなんて失礼ですよ。
名前に対して、彼は誇りを持っていたんでしょうね。”レオナルド”、彼のエキゾチックな雰囲気にピッタリじゃないですか。
いろいろ葛藤がありましたが、1990年~1991年に放送された「パックン家の人々」に、ディカプリオは出演します。このテレビ番組に出演して以来、「名犬ラッシー」や、「Roseanne」等にも登場し、徐々にテレビ界でその存在感を示していきます。
ブレイク
彼が初めて、出た映画は1991年の「クリッター3」です。低予算で作られた映画でした。
1993年彼は、「ボーイズ・ライフ」に出演します。ディカプリオは、ロバート・デ・ニーロによって、400人もの候補者の中から選ばれました。「ボーイズ・ライフ」は、作家で、大学教授であるトバイアス・ウルの自伝的小説を映画化したものです。
主人公、トビーをディカプリオが、トビーの義理の父親をロバート・デ・ニーロが演じます。義理の父親は暴力的な役柄です。この映画によって、ディカプリオはただのルックスがいいだけのティーンエイジャーじゃないことを証明しました。
続いて、彼は1993年の12月に映画、「ギルバート・グレイブ」に出て、知的障害を持つ男の子の役を演じます。彼の演技は、アカデミー賞にノミネートされます。
彼の演技、半端ないです。笑顔とか仕草とか本当に自然なんですよね。前回の「ボーイズ・ライフ」の時と同一人物に見えないんですよ。天才的な演技です。
1996年、ディカプリオが22歳の時、映画「ロミオとジュリエット」に登場します。原作は、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」のままで、時代設定を現代に変えて製作されました。
この時のディカプリオ、とってもキュートで繊細で、たまらなく魅力的です。ディカプリオは、この映画でベルリン国際映画祭、銀熊賞(男優賞)を受賞します。
1997年の映画「タイタニック」この映画の出演で、ディカプリオは世界的なスターへとのし上がります。この映画の中で貧しい画家の卵、ジャックの役を演じます。そして、彼は上流階級の女性、ローズと運命的な出会いをして恋に落ちます。
そして、この映画で演じる彼の純粋な愛、あんなひたむきな目で見られたら、「うーん、女心は、あなたにぞっこんです。」となってしまいます。端正で純粋で華があるんですよ。レオ様は!
その後も、数々の映画に出演します。最近では、2010年の「シャッター・アイランド」、「イノセプション」等、どちらも世界的にヒットしました。
映画「タイタニック」の興行収入
映画、「タイタニック」は、世界歴代2位の興行収入の記録を持っています。その額、なんと、21億8537万ドルにもなりました。アカデミー賞も、作品賞、監督賞・・・等、なんと11部門も受賞しています。
総資産
2億万ドルと言われています。1ドル=100円だとしても・・・200億円です。すごいですね。
終わりに
彼の子どもの頃からの演技を見ていると、圧巻としか言いようがありません。ビデオを見ながら、私息を殺しているんです。
かつてエージェントが、こんな天才にどうして名前を変えろとか、小細工を勧めたのか、私にはわかりません。子どものディカプリオが、エージェントよりスケールが大きかったということでしょう。
彼は、間違いなくスターです。そして、役者としても天才です。彼が、成功したわけは・・・そうですね。彼の経歴や演技を見て言えることは、”自分の持っているもので勝負した”ということかなと思います。
エージェントに名前を変えるように言われても、本名を貫き通した彼の姿勢からも、自分に自信を持って生きてきたことがうかがえます。
彼は、自分の持っている見た目のエキゾチックな雰囲気、母親と一緒に生きてきた経験、繊細な感受性、そして洗練された感覚に基づく知性など・・よそから、取ってつけたようなものではなく、自分の中にあるもので、勝負し続けています。
生きていく上で、自分はどんな才覚を持っているのか、見つけて、耕していくのも、自分自身なんですよね。レオ様から、そのことを教えてもらいました。
【参考URL】http://www.biography.com/people/leonardo-dicaprio-9273992#personal-life&awesm=~oHmQGrz7MBHd7I
http://www.celebritynetworth.com/richest-celebrities/actors/leonardo-dicaprio-net-worth/
http://forest-cat.com/boxoffice/boxoffice1.php
http://en.wikipedia.org/wiki/Leonardo_DiCaprio