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刘 永好 Liu Yonghao 養鶉業から中国初の民間銀行創業へ

2015/01/07
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社会主義国として独特の経済システムを持つ中国。13億人の人口を有する市場は世界が注目します。

そんな国営企業が強い社会構造の中にあって、民営銀行を立ち上げ、全国的な支持を得ているのが民生銀行です。その創業者刘永好 LiuYonghaoとはどんな人物でしょうか? 

子供時代

1951年、中国四川省成都生まれの刘永好は、4人兄弟の末っ子です。20歳になるまで新しい服を着たことがなく、今風の靴を履いたこともありませんでした。

一週間に一度、大好きなマーボ-豆腐と回锅肉[フイゴーロウ](どちらも四川省の名物料理)を食べられるようにー当時の彼にはそれが目標でした。当時中国人の一般家庭はたいへん貧しく`一年に1度正月に肉を食べる‘のが庶民にとっては大きな楽しみでした。

1968年、17歳の彼は当時の国の政策`若者は田舎に働きに‘の政策に基づいて、成都郊外の村へ働きに出ます。そこは水も電気もなく整った道路もありませんでした。ウサギさえ住まないーと言われるような場所です。

何年も後にこの時の経験を彼はこう語っています。

「4年9ヶ月そこで過ごした。そこで過ごしたことをとても光栄なことに感じている。なぜならそこでの経験は私の意思を強くし、精神、身体を鍛えてくれたから。

農村で多くのことを学ぶことができた。私に中国の農民、市場を理解させ、創業の難しさも教えてくれた。これらは全てとても貴重な社会経験で、同時に絶対に学ぶべき社会勉強だったと思っている」

夢に終わった初の起業

1980年旧正月。2番目の兄が、4歳になる子供に肉を食べさせたいと、路上でテレビ・ラジオの修理屋を開きます。一年に一度みんなが休む旧正月の一週間、元旦から7日間。これが当たって、たったの数日で10ヶ月分の給料に相当する額を稼いだのです。

この成功を目にして、彼ら4人兄弟は考えます。修理だけでもこんなにお金になるのだったら、自分たちで電気製品工場を開くのはどうだろう?

中国にはたくさんのアイディアを持つ人たちが数多くいます。しかし実際に行動に移すかどうかは別問題。大抵は構想のみで終わってしまいます。

思いたったら行動するーこれが刘4兄弟が他の人と違う点。コンピューターを学んだ長男、機械を学んだ彼、そして修理工の次男からすれば、電気製品工場をたちあげるのは難しいことには感じません。

まもなく国産のスピーカーを作り上げ、売り出すことにします。しかし、ストップが。グループと個人での起業は、資本主義の方法だと批判され中止させられてしまうのです。

養鶉業

しかし一度心に生じた`起業したい‘との思いは、どんどん強まります。自分たちで新たに法に則った電化製品工場を立ち上げるには、大きな投資が必要です。手続きも相当複雑です。

少ない資金でできることー彼が考えついたのは、養殖業。手持ちの資金で、さほど高度な技術も必要なくできそうです。

こうして自宅のベランダで鶉(うずら)を飼い始めたのです。鶉はどんどん卵を産みます。その卵を町に売りに行くのです。

しかし当時教職にあった彼は、町で生徒たちに見つかってしまいます。‘先生がジャラジャラとお金を持って、何しているんだろう?‘これでは大変都合が悪いです。そこで、町にある自宅ではなく、郊外の村に養鶉場を作ることに。

しかし以前の失敗を忘れてはいません。どうしたら資本主義でなく社会主義の方法で起業できるのでしょうか?当時の県書記に掛け合い、方法を聞きます。

実際のところさほど難しくはありませんでした。規模が関係していたのです。その条件を満たすため、銀行に借入れ、10戸の養鶉舎を建てます。彼らにとってその資金ー1000元ーは決して小さな額ではありませんでしたが、銀行からすれば大きな額ではありません。

そのため銀行側はもっと多くを借りるように圧力をかけます。家中の物品を集めて担保にし、なんとか自分たちの計画どおりの1000元を借入れます。

こうして本格的な養鶉業を開始。

発展

もともと勤勉な4兄弟。また大学卒で教師でもあった彼らのビジネスは順調に進みます。一度悪徳商人に騙され、半分以上の鶉を失ったこともありました。しかし自分たちで市場に販売に行きこの危機を脱出。

その後、養鶉に加え飼料生産もはじめ、四川一の飼料メーカーとなります。こうして1992年 中国初の国家商業局批准の民営企業グループ `希望グループ‘ 設立。

4兄弟それぞれの得意分野を生かし、科学技術生産、不動産、市場開拓等を手掛けていくのです。こうして、四川省だけでなく、養鶏業に加え中国一の飼料メーカーに。

同時にこの成功により、彼は民営商業経済界の代表に選ばれ、全国政策競技大会の席に出席するという大きな機会を得たのです。1993年のことでした。

銀行業へ

1993年、初めて出席した全国政策競技大会。人民大会堂で開かれたこの席上彼は`民営企業の希望‘というスピーチを行います。壇上から降りると大きな拍手喝采でした。この時から今までと違った、政治、経済界の要人たちと親交を持つようになります。

水を得た魚。もともと知識欲の強い刘永好。政界、学会、ビジネス界。新たに知り合った人々からどんなことでも学ぼうとします。

同じ年、他の41名の政策競技メンバーとともに共同提案ー`希望企業グループ‘を民営企業のための投資銀行と改めるー2年後中国初の民営銀行`民生銀行‘が誕生します。

現在

すでに中国全国に展開する飼料メーカーである`希望企業グループ‘、それを基盤に銀行業です。ですから地方銀行ではなく、いきなり全国規模のメガバンクとなったのです。

同時に、多くの国営企業が民営化される中、不安定な会社にいるより自分で起業したいと思う中国人が多い時世でした。庶民から始まった彼は庶民の味方。以前自分が断られた1000元でも相談に応じます。

多くの人が起業のため銀行に貸し付けを求め、経営は順調。また農村での仕事経験がある彼は中国の9億人と言われる農家の事情をよく把握しています。

自身もそこから成長してきました。そして現在、農民がお金を得ることが出来るように助け、次に彼らからお金を得る。この方法で中国大陸の富豪となったのです。

時代の波に翻弄されながらも、知識欲と向上心を忘れない。また、あきらめることをせず前進し続ける。肉を食べられるような生活を。そんなささやかな願いから始まった彼の生活レベル向上の努力は、刘永好が予想もしなかったほど大きな成果を上げました。

【参考URL】http://www.myoic.com/story/detail/20131/238727_1.html
http://baike.baidu.com/view/148174.htm?fr=aladdin
http://info.chinabreed.hc360.com/2009/09/18135344.shtml

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