マルハナバチというハチがいます。クマのプーさんの挿絵にも描かれているこのハチはヨーロッパではお馴染みのハチです。
このハチ、飛ぶことは航空力学上不可能と言われていました。飛べるはずがないと言われても、ハチはそんなことお構いなしに飛びます。自分は飛べると信じているからです。
そんなハチを会社のマスコットとした女性がいました。5000ドルの元手から売上高何十億ドルという巨大化粧品企業を作り上げた女性、メアリー・ケイ・アッシュです。
彼女は「できると思えば飛ぶことだってできる」ことを世界中の女性に語り続けた人でした。
母親の魔法の言葉で強くなる
メアリー・ケイ・アッシュことメアリー・キャスリン・ワーグナーは1918年5月12日、テキサス州ホットウェルズで生まれます。
父親が病気だったため、母親は家族を養うため1日14時間もレストランで働かなければなりませんでした。アッシュも高校に通う傍ら、父親の世話をし続けました。
彼女が7歳の時に兄も姉も家を出ていたからです。そんなメアリーケイに母親は言い続けました。「頑張って。メアリーケイ、あなたは絶対できる。」
メアリーケイは17歳で結婚し、3人の子をもうけました。第二次世界大戦が始まると、夫は戦争に行きました。
家族を養うため、メアリーケイは百科事典の訪問販売を始めます。この仕事でメアリーケイの素晴らしい営業能力が目覚め、すぐに家族を養うのに十分な稼ぎを得るようになりました。
ただし良いことばかりではありませんでした。いらないものを売りつけられたと友人たちを怒らせてしまったのです。そこで、彼女はもっと役に立つものを販売しようと考えました。
1939年、メアリーケイは家庭用品を訪問販売するStanly Home Productsで働き始めます。そこでは、パーティと呼ぶデモンストレーションを開催し、商品を家庭の主婦達に宣伝して販売していました。
入社してすぐの頃、彼女は会社が主催する大会に参加します。そこでは、最も成功した販売員が「セールスの女王」という栄誉が授与されていました。
負けず嫌いのメアリーケイは来年には女王になると誓い、そのとおり、翌年には本当に女王のタイトルを手に入れました。
夫との離婚、男社会への不満爆発
そんなふうに仕事で成功する一方、家庭生活は上手く行きませんでした。夫が戦争から戻るとすぐにメアリーケイは夫と離婚しました。
離婚後、1952年、メアリーケイはStanley Home Productsから同じ訪問販売の会社World Gift社に転職します。どんなに彼女がセールスで良い成績を上げても、自分より能力も知識も劣る男性たちが先に出世していくことにうんざりしたからでした。
World Gift社でメアリーケイはさらに販売テクニックを磨き、素晴らしい業績を収めました。しかし、ここでもやはり「ガラスの天井」にぶつかります。彼女がトレーニングした男性達が彼女より昇進し、倍もの給料を貰っていたのです。
1962年メアリーケイはWorld Gift社を退社しました。
25年間必死で頑張った仕事からの無念のリタイア。しかし、彼女のサクセスストーリーはこのときから始まります。
成功者への歩み
退職後、メアリーケイは本を書こうと思い立ちます。キッチンに座って、黄色いメモパッドに2つのリストを書きつけました。一つにはこれまでの経験を、もう一つには、こうあればいいなと彼女が思ったことを。
すべての人を対等に扱うこと。昇進は功績に基づくこと。販売する商品は利益優先より販売員が売りたい商品にすること。彼女はリストを眺めていて気が付いたのです。そこには夢の会社のビジネスモデルがあると。
夢の会社、女性に人としても経済的にも成功をもたらす無限の可能性を与える会社。そんな会社を作ろうとメアリーケイは決意します。それは自分が望んでも決して与えられなかったものでした。
会社を作って躍進していく
最初にしたことは、販売する商品を見つけることでした。
「信頼できて、心からお客様に薦めることができる商品。何より大切なのは、使い終わったら何度も注文がある商品でなくては。そんな商品あるかしら。」
それは彼女の寝室にありました。なめし革職人が「なめし剤」を混ぜ合わせて作ったスキンローションです。そのスキンローションの作り方をメアリーケイは買い取り、1963年、5000ドルの資本で2番目の夫と共に会社を設立します。
後にマルハナバチをマスコットにするMary Kay Cosmeticsの前身です。最初の店舗を作ろうとした矢先、夫が突然亡くなります。夫の死後、弁護士達は会社設立に反対しましたが、そんな意見には耳を貸さず、メアリーケイは息子と共に小さな店をダラスに開店しました。
9人の販売員でスタートした会社は、創業した最初の年に20万ドルとういう驚異的な売り上げを挙げます。その後2年間でMary Kay Cosmeticsは100万ドルの売上高の企業となりました。
メアリーケイのビジネスは、創業時から訪問販売ビジネスの中でもユニークでした。
売上げの数字にプレッシャーをかけるよりも、販売員達に自社の化粧品を使うとどんな風に綺麗になれるかを女性達に知ってもらうように指導しました。顧客達はその結果がわかれば、進んでその化粧品を買うからです。
また、成績の良い販売員にはインセンティブを与えるという戦略を取り入れます。年間売上げトップの販売員に、ピンク色のキャデラック、マルハナバチの形をしたダイヤモンドのピンなどをプレゼントしました。
メアリーケイが唱える3つの主義
- 自分がして欲しいと思うことを他人にもすること。
- 人生で一番大事なものは神であり、その次が家庭、仕事は3番目。
- 称賛と励ましがすべての人を成功に導くこと。
Mary Kay Cosmeticsはその後も成長を続け、2000年には売上高12億ドル、37か国、85万人以上のコンサルタントが働く、アメリカでも有数の巨大化粧品会社となりました。
メアリーケイは3冊の本を出版し、ベストセラーとなります。また数多くの賞を受賞し、アメリカの最も影響力のある女性25人にも選ばれました。
1987年、メアリーケイは経営の場から退き、会社の名誉会長となります。その後、慈善事業に取り組み、2001年11月22日、メアリーケイはダラスで亡くなりました。
主義への確固たる信念、見事な決断力、会社へのひたむきな貢献。これらすべてがメアリーケイの夢を小さな訪問販売の会社から有数の巨大企業へと育てました。
メアリーケイの伝説は自分の夢を実現したいと願う世界中の女性達に勇気を与えます。彼女の人生そのものが女性達に語りかけるのです。やればできる、だから飛びなさいと。
【参考URL】
http://www.entrepreneur.com/article/197602
http://www.marykay.com/en-US/About-Mary-Kay/CompanyFounder
http://www.thefamouspeople.com/profiles/mary-kay-ash-251.php
http://www.marykaytribute.com/HerLife.aspx
http://www.nytimes.com/2001/11/23/business/mary-kay-ash-who-built-a-cosmetics-empire-and-adored-pink-is-dead-at-83.html
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