ピエール・オミジャールはオンラインオークションサイトを立ち上げ成功し、億万長者となった人物です。
彼の立ち上げたサイトはその名もイーベイ。オミジャール氏の知名度は高くなくとも、イーベイの名前は日本でも有名なのではないでしょうか。
彼は31歳と若くしてイーベイの株式公開で億万長者となり、フォーブズ誌などの「最もリッチなアメリカ人」などの特集では常に上位ランクインされています。
そんなセレブの地位を確立したオミジャール氏。慈善事業家でもあり、妻のパメラと共にオミジャールネットワークという慈善基金を立ち上げたことでも有名です。
これらの基金で集めたお金は非営利組織へと寄付されています。また、オミジャール氏はオンラインジャーナリズム事業にも乗り出し、ホノルル・シティ・ビートという会社の社長も務めているのです。
それに加えて、有名新聞社の記者と共同で「ファースト・ルック・メディア」というベンチャー企業の立ち上げも行っています。そんなアクティブなオミジャール氏。
彼がここまでの地位へと上り詰めた成功の秘訣を探って見ましょう。
オミジャール氏の生い立ち
そんな大富豪オミジャール氏はどのようにして生まれ育ったのでしょう。オミジャール氏の生い立ちを見ていきましょう。
変わった名前?!
ピエール・オミジャールというのはアメリカでよく聞くような名前ではありません。そう、彼はフランス生まれのイラン系アメリカ人なのです。
ピエール・モラド・オミジャールは、1967年6月21日にフランスのパリで誕生します。その後彼の父親がジョン・ホンプキンズ大学の大学病院で働くために、オミジャール氏の家族はアメリカのメリーランドに移住します。
彼が最初にコンピュータープログラムを書いたのは14歳の時で、学校の図書館の本を見て独学でプログラミングを勉強したのです。
オミジャール氏のキャリア
イーベイを始めて大富豪となったオミジャール氏ですが、どのようなきっかけでイーベイを立ち上げる事になったのでしょう。彼のキャリアの歴史を見ていきましょう。
コンピューターキャリアの始まり
プログラミングだけでなく、その他の学業でも優秀だったオミジャール氏は高校卒業後名門タフツ大学へと進学します。
1988年にはコンピューターサイエンスの学位を持ってタフツ大学を卒業し、マッキントッシュ・ソフトウェアでシステムエンジニアとして働きます。
その後、アップルが援助していたインク開発株式会社というソフトウェア会社の立ち上げを手伝うのです。
その会社は後にイーショップと改名され、1996年にマイクロソフトに買収されています。
イーベイの始まり
イーベイは、現在では75億ドルもの利益を毎年上げる巨大オンラインオークション会社ですが、その全ては1995年の夏に始まったのです。
その夏、オミジャール氏は自身のウェブサイトに「オークション・ウェブ」というコーナーを立ち上げ、人々が自由に物をリストしてオークション形式で売り買いできるようにしていました。
そんな、気軽に立ち上げたサイトが、驚いた事にかなり多くの売り手と買い手からのアクセスが殺到し、別にオークションサイトを作らなければ対応できないほどになったのです。
そして売り手と買い手から数パーセントだけを手数料として取り、その他は人々が自由な価格でオークションをできるようにしたのです。そして、それをイーベイと名づけました。
この頃、オミジャール氏はジェネラルマジックというアップルが支援していたインターネット電話のベンチャー企業で働いていました。
しかし、その頃にはオークションサイトのキャパシティが足りなくなるくらいにアクセスが殺到しており、最初にこのサイトを立ち上げてから九ヵ月後、ついにオミジャール氏は仕事を辞めてオークションサイトのビジネスの方に専念するのです。
イーベイの成功
1998年、オミジャール氏はイーベイのチェアマンをメグ・ウィットマン氏に任命し、その後イーベイはウィットマン氏の指導の下どんどん成長していき、オーストラリア、カナダ、ドイツ、日本、イギリスにも展開し、グローバル企業へと発展するのです。
1998年の終わりには、イーベイは200万人の従業員を抱え、75億ドルもの収益を上げるようになります。イーベイは、当時IT業界でのリーダーの地位を確立していたアマゾンの注意までも惹き、1999年にはアマゾンも独自のオークションサービスを立ち上げます。
イーベイは多大なる成功を収め、業界では将来のイーコマースの独占的なビジネスモデルになるとささやかれていたのです。
痛みなしに成長なし?!
そんな、短期間で大成長を成し遂げたイーベイですが、もちろん痛みなしに成長したわけではありません。
1999年に、イーベイはハッカーによるサービス妨害の攻撃を受け、それは22時間も続き、イーベイ上での取引に打撃を与えました。
イーベイは一万以上の電話をかけ、顧客に謝罪の電話をして回ったのです。
その後イーベイの顧客はすぐに回復し、2000年のドットコム企業がバタバタと倒産していく中で、イーベイは勝ち残りを遂げたのです。
ペイパル買収でリーダーとしての地位を確立
2002年、イーベイはオンライン決済会社であるペイパルを買収しました。
ペイパルはアメリカで最も使用されているオンライン決済企業で、ペイパル買収によりイーベイはサービスの多岐化に成功したのです。
また、イーベイはイーベイ開発プログラムと呼ばれるソフトウェアの開発者がアプリケーションをイーベイ内に組み込むことのできるシステムや、オークションカテゴリーのオープン化などを実践しました。
より多くの便利なサービスを提供する事で、現在eコマース業界でもトップの地位を確立しているのです。
イーベイの外でも
2000年の1月、オミジャール氏はイーベイ以外の会社からの重役への就任オファーが来ます。
彼は二つ返事でOKし、技術的サポートのオンラインマーケットプレイスであるウェブサイト、「イーピープル」の重役となったのです。
その後、オミジャール・ネットワークと言う慈善事業の会社を立ち上げます。
更に続いてジャーナリズムに日ごろから興味があったオミジャール氏はファースト・ルック・メディアを有名新聞のガーディアンの記者であるグレン・グリーンワルド、エドワード・スノウデンの二人と共に「ファースト・ルック・メディア」という出版社立ち上げます。
ファースト・ルック・メディアは、「自由で中立的なメディア」というコンセプトの元に立ち上がりました。
オミジャール氏の素顔
そんな大富豪オミジャール氏、実際にはどのような人物なのでしょう。彼のプライベートライフを見ていきましょう。
妻・パメラとの出会い
オミジャール氏がサンフランシスコに住み、システム技術者として働いていた頃、現在の妻であるパメラ・ウェスリーと出会います。
その頃パメラは生物学の大学院生で、後に経営コンサルタントとして活躍していました。
イーベイの始まりであったオークションサイトは、妻がペッツキャンディーのおまけを収集しており、その妻のためにサイトを作ったものだと雑誌のインタビューで答えています。
まとめ
イーベイの始まりは妻のために立ち上げたサイトであったというストーリーや、サービス妨害を受けた後の真摯な電話謝罪対応であったりと、 オミジャール氏の経営ストーリーやパーソナルストーリーから、オミジャール氏の真摯で誠意的な人柄が伝わってきますね。
イーベイは現在グローバル企業へと発展し、アメリカでは多くの人が利用しているサービスです。オミジャール氏がここまで成功を成し遂げた秘訣は、彼の挑戦し続ける姿勢と誠意ある経営手法にあったのではないでしょうか。
また、イーベイを成功させた後も、自身で出版業界のベンチャー企業を立ち上げたりと、オミジャール氏の新しいことへの挑戦は留まるところを知りません。
これから、彼がどんな驚くサービスを世に提供してくれるのか楽しみですね!
【参考URL】http://en.wikipedia.org/wiki/Pierre_Omidyar
http://www.biography.com/people/pierre-omidyar-9542205#!
http://www.achievement.org/autodoc/page/omi0bio-1