デノミネーション(デノミ)は「通貨切り下げ」という意味であり、超インフレで紙幣の額面が大きくなりすぎると、「明日からは、10000円が10円になりま~す♪」という感じです。
もちろん良いことではありません。ハイパーインフレの賜物でもありますし、経済が大きく混乱している証拠です。しかし、世界の歴史を見れば「デノミしなければいけなかった国」が多くあり、それらを一挙に紹介していきましょう。
北朝鮮
出ました!ジンバブエ、韓国、中国と並ぶお笑い国家、「マンセー豚」が統治する国「北朝鮮」の登場です!深刻な物資不足でハイパーインフレが発生。
んで、2009年11月に新ウォンに改定しました。その時に「100分の1」のデノミを行ったんですね。日本で例えると、「100円が1円」になったようなものです。でも経済の混乱は抑えられず、デノミを指揮した責任者は銃殺刑に…マンセー!マンセー!
アルゼンチン
1970年1月1日(100分の1)
1983年6月1日(10000分の1)
1985年6月15日(1000分の1)
1992年1月1日(10000分の1)
過去に計4回、デノミをしました。ブラジルがドルペッグ制から先に離脱して、アルゼンチン製品に対して価格競争力の面で大きくリードしました。んで、急速に景気が冷え込み、物資不足も手伝ってハイパーインフレ勃発。学習しないアレな国なんですなぁ…
ドイツ
1923年、古い話ですが、この時に「1兆分の1」にデノミしました。第1次世界大戦に負けて、莫大な賠償金を求められたドイツ。んで、ハイパーインフレ勃発。年金暮らしをしている人は困ったみたいですよ~。
だってね、年金の支給額は物価に関係なく決まっていたのです。なので、バンバン物価が上昇しても支給額は変わらなかったんですね。結局、生活できずに自殺する高齢者が後を絶たなかったのだとか。戦争はいけませんな。何もかもをダメにしてしまいます。
韓国
意外なことですが、韓国もデノミをしていました。1962年、当時は「ファン」という通貨が採用されていたのですが、ウォンに変わった時に「10分の1」のデノミを行ったのです。
担当者A:「何となく、ゼロ多くねぇか?」
担当者B:「んだ。何となく多いな…」
担当者A:「新通貨発行のついでだしね~」
担当者B:「んだ。ついでにデノミすっか!」
という感じだったのでしょうか…?お大事に~♪
ユーゴスラビア
今は分裂して、国として存在していません。2003年まで東ヨーロッパの独立国家だったんですね。そんなユーゴスラビアは…
1966年1月1日(100分の1)
1990年1月1日(10,000分の1)
1992年7月1日(10分の1)
1993年10月1日(100000分の1)
1994年1月1日(1000000000分の1)
1994年1月24日(12000000分の1)
計6回もデノミしたのです。学習しろよ…
ルーマニア
地下92メートル、部屋数1100室と、無駄にデカイ国会議事堂を持つ国です。ちょっとフランスに雰囲気が似ていますね。「小パリ」なんて呼ばれていますから。日本で言う「小京都」という感じでしょうか?
ルーマニアのデノミは比較的新しく、2005年7月1日のことでした。「10000分の1」だったんですね~ルーマニアは、ハイパーインフレになっていたわけではありません。EUに加盟するために、新通貨の採用と「ついでにお札のゼロを取った」という感じです。
旧通貨「レイ」から、新通貨「レウ」になったんですよ。「レイ→レウ」って…「適当なネーミング」と思ってしまうのは私だけではないはずです。
ジンバブエ
出ました!みんなのアイドル、「愛されるお笑い国家」として名高いジンバブエです!ムガベ元大統領が、農業ノウハウを持った白人たちを国外に追放しちゃったもんだから、野菜なんて作ったことがない黒人労働者たちは困惑。
「この薬、農薬だっけ…?何に使うの…?」「大きな車だな~。えっ?トラクター?何それ…?」「水さえあげれば育つんじゃないの?えっ?枯れちゃった!?」な~んて感じになって、農業がダメダメになりました。
結果、深刻な物資不足になってハイパーインフレ勃発。1年で「1垓パーセント」という、もはや「宇宙の話」をしているかの如く物価が上昇したのです。
んで、2006年~2009年の間に3回もデノミですよ…最後の2009年は笑えますよ~「1兆分の1位にデノミ」ゼロを12個も取っちゃった♪なんだそりゃwww