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~ 一夜にして世界を魅了した47歳の歌姫 スーザン・ボイル~

2014/07/27
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2009年1月、場所はイギリス北部スコットランド、国民的タレント発掘ショー「ブリテンズ・ゴット・ア・タレント」の第1回オーディションのステージに、風采の上がらない中年女性が立ちました。

「お年は?」歯に衣着せぬ批評で有名な審査員の一人が聞くと、「47歳です」。

・・・審査員は目を白黒。

「で、あなたの夢は?」
「プロの歌手になりたいんです」。
審査員達はあきれ顔、観客の中には失笑が広がりました。

ところが、彼女がミュージカル「レ・ミゼラブル」の「アイ・ドリームト・ア・ドリーム(夢やぶれて)」を歌い始めると・・・・・。

そのあまりにも美しく力強い歌声に、審査員連は驚きで口をあんぐり、観客は騒然、中には感動で涙ぐむ女性も。歌い終わるまでには会場は総立ち、割れんばかりの拍手が鳴りやみませんでした。

この女性はスーザン・ボイルさん。スコットランドの小さな村で生まれ育った、本人が言うところでは、「結婚どころかキスもしたこともない、猫と暮らす失業者」。

音楽だけが慰めだった少女時代

出生時に酸素不足で軽い脳障害が残ったと言われ、子供のころから「おバカのスーザン」といじめられていたスーザンは、音楽に拠り所を求めました。

炭鉱労働者の父親とタイピストの母親の間の8人兄弟の末っ子として生まれたスーザンには、正式な音楽の教育を受ける機会はありませんでしたが、それでも歌好きの父と、歌とピアノができた母親の元で趣味で歌い続けました。

スーザンの音楽の才能を見抜いた先生の中には、音楽の道に進むよう励ます人もいましたが、スーザンは学業の修了認定もほとんど得ないまま、17歳で学校を終えたのでした。

その後、唯一職業と言えるものに就いたのは学校の給食室での見習いコックとしての6カ月間で、その後は失業者の為の公的職業訓練プログラムに参加したりしながら、親元で質素に暮らす毎日でした。

でも、スーザンの歌に対する情熱だけは衰えることがありませんでした。教会の聖歌隊で歌ったり、地元のパブのカラオケイベントでは常連でした。

歌手になる夢をあきらめず、別のテレビのオーディション番組にも何度も出演しましたが、一般的なスターのイメージに当てはまらない年齢と風貌の為か、いつも即落選。

たまには、地元の劇場にプロの歌手の歌を聴きに行ったりもしました。オーディションで一夜にして世界を魅了した「アイ・ドリームト・ア・ドリーム」を初めて聴いたのは、こんな時でした。

スーザンはその時の感想を、「息をのむほど美しい歌で、驚いたわ」と言っています。

次々と訪れる家族の死がスターダムへのバネに

1997年に父親を亡くしたスーザンは、8人兄弟の中で唯一家庭を持たない子供として責任を感じ、音楽活動も控え、老いた母親の世話に専念しました。それでも仲良しの母娘は、スーザンの歌手になる夢について語って過ごしたのでした。

常に娘の才能を信じて疑わなかった母親ブリジットさんは、スーザンに歌のオーディションに出演することを勧めつづけました。スーザンは後で語っています。

「ブリテンズ・ゴット・ア・タレントへの出演を私に勧めてくれたのは母だったの。いつも母と一緒に番組を観ていて、母は私が出れば優勝できると思っていたわ。」

そんなスーザンの家族を2000年にまた悲劇が襲います。スーザンのお姉さんの一人、キャサリンさんが喘息の発作で亡くなったのです。

悲しみにくれるスーザンは、更に音楽に慰めを求めるようになりました。2002年にはプロの先生に付いて歌のレッスンも受け始め、地元で機会あるごとに歌い続けました。

ところが2007年、今度はスーザンの最愛の母親が亡くなったのです。スーザンは悲しみのあまり、その後2年間は歌うことさえ拒み、母と暮らした家に猫と静かに暮らしながら、教会で老人たちの世話をするボランティア活動に専念したのでした。

しかしスーザンの才能を信じていた歌の先生の一人から「ブリテンズ・ゴット・ア・タレント」に挑戦するよう励まされたスーザンは、「歌うことが母への最期の追悼となる」と考え、2009年のオーディションへの出演を決意したのでした。

スターとなった今も一番の喜びは歌うこと

このオーディションの反響は冒頭の通り。

オーディションがテレビで放映された翌日には、職場もこの話しで持ちきりでした。

「彼女が舞台に出てきた時は、なんだ?!と思ったわ。強いスコットランド訛りでしゃべる野暮ったい田舎者で、ちょっとおかしいんじゃないかしら、って思ったわ。でも歌い始めたら、もうびっくり!とにかくすごい!感動的だったわ!」。

スーザンの歌は一夜にして全世界を駆け巡り、オーディションの様子を流すYouTubeも、現在に至るまで記録的ヒット数を更新し続けています。

2009年11月には、スーザンの最初のアルバム「アイ・ドリームト・ア・ドリーム」が発売され、最初の6週間で100万枚以上を売る大ヒットとなり、イギリスとアメリカでチャートのトップを飾りました。

一躍有名になる前のスーザンは、自治体からの低所得者給付金に頼り、自治体が提供する低所得者用の住居に母親と暮らしていました。

スーザンが後から回想するには、
「オーディションの時は給付金暮らしで美容院に行くお金もなかったから、とにかくひどいヘアスタイルだったわ!」

スーザンの現在の資産は2千万ポンド(約34億円)を超えると推定されています。もう働かなくても十分に豊かな生活ができる大金持ちとなったわけですが、スーザンは言います。

「労働者階級で常にお金がないことが悩みの種だったから、お金がなくなることの心配はもう癖になっていて、今でも抜けないの」。

「歌手の仕事を辞めるつもりは毛頭ないわ。とにかく歌うことが大好きだから、人に自分の歌を聴いてもらえなくなるのが一番悲しいもの」。

今は、ツアーで忙しく世界中を飛び回る合間にも、自治体から買い取った家族との思い出の家に戻り、教会で老人の世話のボランティアを続けるスーザン。

数々の苦境を乗り越えた遅咲きの歌姫の歌声は、今も人々の心を惹き付けて放しません。

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