世界のIT精密部品市場トップシェアを誇るFOXCONN。もしかしたら今使っているパソコンの部品はそこで製造されたものかも知れない。
その創業者`郭台銘‘とははいったいどんな人物なのだろうか?
精密部品製造にいたるまで
中国山西省の貧しい家庭で育った彼は、1966年台湾の中国海事専門学校に入学する。働きながら、学費生活費を稼ぐ生活だ。
1971年台湾の復興航運会社に就職。1973年友人とともに10万台湾元で、鸿海塑料有限公司を設立。プラスチック製品を製造する会社だ。しかし、業績不振のため、1年経たずに、仲間は皆去っていく。
当時、台湾では白黒テレビが流行り始めた頃だった。それに目をつけた彼は、テレビのスイッチ部分の製造を始める。当時は従業員15人の小さな小さな会社だった。1975年に鸿海工業有限公司と改める。
1977年には日本から金型を購入、その後の発展のための土台を築き、その後続けて電気メッキ等の設備投資を進める。80年代、家庭にもパソコンが普及するようになっていく。
その機に彼は、習得したプッラスチック成型技術をもとに、コンピューターの様々な部品の製造に乗り出した。低価格で大量にーをモットーに。その後1600万元[当時1元=150円]を投じ、プラスチック以外にパソコン内部の精密部品の製造も始めていく。
創業当時の苦労をあげればきりがない。
毎朝6時に家を出、夜1時,2時をまわる頃帰宅。家族を起こさないようにと、妻と幼い子供と別々の部屋で寝た。
ある日彼は妻に尋ねた。「なんで、毎晩毎晩子供が夜泣きをするのか?」と。
妻はやっとのことで、打ち明けた。彼が3ヶ月間現金を家に入れていないために、節約せざるをえず、子供の粉ミルクを買わずに、スープですませていたと。だから、夜になるとお腹がすくために泣くのだと。
家でも会社でも、問題だらけだった。
工場では、消化器のセールスに悩まされた。朝やってくる彼らを追い返すと、午後には消防署の係官がやってきて、抜き打ち検査に入る。買わないわけにはいかなかった。
ある年の正月前、従業員に賞与を払い終わった彼の手元に残ったのは、2000元。1000元で正月の準備用品を買い、1000元は妻の実家に正月の挨拶で渡した。
成長発展の影には大きな苦労と犠牲が伴う。
下請けは親会社の景気に影響される。さらに間に仲介業者が入っていれば、利潤は一層低くなる。
彼は考えた。相手を選ぶことが大切だ。最新の製造技術が欠かせないー
当時唯一の海外顧客はアメリカのゲーム機器メーカーだった。ある日、彼は直接電話をかけ、こう掛け合う。
「もし仲介業社を通さずに、御社と直接取引できれば、御社の企業秘密であるその部品を、驚く程の安価で製造し、納品いたします。」
それに答えてそのメーカーは彼を呼び寄せ、`企業秘密‘である自社工場へ案内した。
そこで彼が見たのは、開発されたばかりの円形の機械。振動作用によって細い針のような部品を組み立てていくものだった。こうすれば、人が一つ一つ手作業で行うより、時間も人件費も大幅に削減できるのだ。
今となれば、当たり前のことかもしれないが、当時としては、かなり進んだ、最新のシステムだった。こうして彼は最新技術のオートメーション化に取り組んでいったのだ。
パソコン市場の可能性を見てとった彼は、日本から輸入した最新の設備のもと、開発を進めていく。彼は言う、「分からなければ人に聞く。メンツを保とうと聞かない人は、いずれ裏方さえ盗まれてしまう。成功の過程は、模倣・研究・創造・発明」だと。
世界に通用する企業へ
1985年にはアメリカに支社を設立、台湾外の市場開拓に乗りだしていく。FOXCONN[富士康]のブランドだ。FOXつまり狐。これまで企業として成長してきた様子が狐のように機知に富んで賢く、かつ変化し続けるーという願いを込めて、命名した。
彼の目標ははっきりしていた。台湾一、アジア一、そして世界一になることだ。その壮大な目標のために、彼なりの経営哲学を編み出していく。
この目標のために彼はあるとき、アメリカに行き自分で車を運転し、ひと晩12ドルのモーテルにとまりながらアメリカの52州を走り、32の世界企業との商談を行ったのだ。そしてDELL、Intel、COMPAC等と、契約を取り付けていく。
COMPACと提携するために、COMPAKC本社のすぐ横に自身の工場を建てるという投資まで申し出たのだ。そうすれば、新たなデザインが発表されてもすぐに、当日にでもそれに合わせたモデルを作ることが出来るというのだ。
こうして、長期契約を結ぶことに成功する。彼はあえて自分のブランドを立てずに、部品を提供する下請に徹した。
もちろん、一流の顧客を持つことだけでは、激しい競争には勝てない。彼自身の奮闘によるところも大きいはずだ。誰よりも早く出社し、一番最後に退社する。出張であっても、飛行場からまず会社に向かう。まさに企業戦士だ。
彼のビジネス戦略ー`しっかりとした強い製造基地を築き、長期的生存力を持つこと‘ このために、彼は中国大陸に進出することを決める。
1980年代末、台湾では毎月の基本給が1万台湾元を超えていた。それに対して、中国大陸では2200元ほど。台湾の経済成長に伴って、不動産価格も上昇。大陸には広大な敷地が有り、各地で工場誘致が盛んに行われていた。
すでに、設立後14年経ち、10億元の業績を生み出すようになっていた彼は、台湾と中国大陸での政治的リスクを突破し、正式に大陸に進出した数少ない企業の一つとなった。
こうして深センに、巨大な工業地帯を建設する。
その一帯、深セン宝安区は中国の輸出基地と化した。ここで、Apple、任天堂、フィリップ、モトローラー、NOKIA、SONY、DELL等の数々の精密部品が製造されているのだ。
現在のFOXCONN社と郭台銘
現在27万人もの従業員が働くこの場所には、従業員の宿舎はもとより、消防団、病院、プール、レストラン、銀行、雑貨店からインターネットカフェまで全てが揃い、10以上の大型食堂では昼食だけで15万食以上が提供されている。
統計によれば、現在世界で使われているパソコンの5台に一台は、鸿海工業有限公司[富士康]の部品が使用されているという。
こうして彼郭台銘の創業したFOXCONNは、電子機器の生産を請け負う受託生産で、世界最大の企業グループとなった。また台湾で4番目の富豪として知られている。
【参考URL】http://www.cnlzweb.com/lz_25/621115.html
http://www.17coolz.com/lizhirenwu/62545.html