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クリス・ガードナー

2014/08/29
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ウィル・スミスが主演した映画「幸せのちから」。ご覧になった方もいらっしゃるでしょう。

妻に逃げられた文無しのホームレスから一念発起して証券会社のインターンになり、努力の末に億万長者になっていくストーリーの映画です。

多少の脚色はあるものの、ある人物の自伝をベースにしています。つまり実話なのです。

クリス・ガードナー。

子供時代

1954年2月にウィスコンシン州ミルウォーキーに生まれた彼の子供時代を語るとすれば、貧困と家庭内暴力、アルコール、性的暴力、そして教育のない家族といった言葉で説明することになるでしょう。

当時クリスは、父が誰なのかを知りませんでした。愛する母ベティ・ジーンがその後に結婚した相手は、母やクリス、妹たちに暴力をふるったため、日頃から恐怖を感じて育ちました。

福祉関連の不正受給を理由に義父が母を役所に通報したため、母が誤って逮捕され、その間、里子に出されたこともありました。母が義父を放火で殺害しようとしたとして逮捕され、再度里子に出されたこともあります。

こんな子供時代でしたが、精神的な強さを母から受け継いだことを、クリスは母に感謝しているそうです。

出自や現状がどうであれ、違った道をたどれること、自分で決めたゴールを目指すことができること、そして、頼れるのは自分だけで、騎士が助けに来てくれたりはしない、ということを学びました。

高校卒業後、海軍から研究助手へ

高校を卒業したクリスは、海軍に入ります。里子に出された間に出会った叔父の一人、ヘンリーが、海軍時代に世界中を旅し、幅広く見聞したことに影響を受けたためでした。

クリスは、衛生兵としてノースキャロライナに4年間駐屯した時に、サンフランシスコの心臓外科医ロバート・エリスと知り合います。

1974 年、ロバートからの誘いでクリスは海軍を辞め、サンフランシスコの大学病院等でロバートの研究助手として働き始めました。

そこで2年間勤める間に、クリスは研究室の管理方法や外科手術の技術を学び、ロバートと共著で執筆した何本かの論文は医学の専門誌に掲載されています。

結婚、離婚、そして結婚

1977年、23歳でクリスは結婚します。相手はバージニア生まれの数学教師シェリーでした。

当時、クリスは医者になることを考えていました。それまでの彼の経験や知識、人脈があれば、それも悪くありません。

しかし、医学の分野は変化も激しく、10年後、研修を終えて実際に医師として活躍し始める頃には、状況が大きく変わっている可能性が高いことも理解していました。

考えた末、26歳になる直前に、クリスは妻に告げます。医師を目指すことをやめ、もっと大きな可能性を追求するという決断を。

そして、この一件だけが理由ではありませんが、妻とは不仲になっていきます。

クリスはその後、歯科大生ジャッキーと恋におち、ジャッキーは間もなく子供を身ごもります。クリスは、子供の父になるために妻の元を去り、ジャッキーと暮らし始めます。息子が生まれたのは、1981年、クリスが27歳の時でした。

当時、クリスはまだ同じ大学病院等で研究助手として働いていました。年収はわずか8,000ドル(約80万円)程度で、ジャッキーや子供を養うにはまったく足りません。そのため大学病院等を退職し、医療機器のセールスマンになりました。

給料は約2倍になり、生活に多少の余裕ができたため、貯蓄もできるようになりました。息子から質問されたことをきっかけに、自らの父が誰なのかを調べ、実際に会いに行くこともできました。

ビジネスで一旗することを決意

サンフランシスコに戻ったクリスは、ビジネスで一旗揚げることを決心しましたが、何をするかはまだ決まっていませんでした。

転機が訪れたのは、フェラーリに乗った素晴らしく立派な身なりの男性を見かけた時でした。好奇心から、この男性に職業を尋ねます。証券ブローカーだ、という男性の答えで、クリスの心は決まりました。

ちなみに、クリスは成功した後にフェラーリを購入しています。

この証券ブローカー、ボブ・ブリッジズは、証券業界について教えてくれた上に、メリル・リンチやディーン・ウィッター等、研修を実施している大手証券会社の支店長とのミーティングまで設定してくれました。

以後2ヶ月間、支店長との面接が入るたびに、クリスは医療機器のセールスのアポをキャンセルしたり、駐車中の車を放置したりしては、めざす証券業界への道を優先させていました。

そして、クリスは、E.F.ハットンという証券会社の研修プログラムに受かります。この頃から、歯車が狂い出しました。

歯車が狂いだす

研修に専念するために医療機器のセールスの仕事を辞めたクリスですが、実際にハットン社のオフィスに行ってみると、クリスを採用したマネージャーはその前の週にクビになっていました。

ジャッキーとの仲も悪くなっていたちょうどその頃、駐車チケットの未払いが1,200ドル分積み重なったせいで逮捕され、10日間拘留されてしまいます。

戻ってみると、アパートはもぬけのからでした。ジャッキーは息子を連れて東海岸へ行ってしまったのです。

見事に、職なし・妻なし、の状態になりました。

金融業界にコネもなければ、MBAどころか大卒の資格すらないクリスですが、拘留された日に着ていた同じスーツで、なんとか別の証券会社ディーン・ウィッター・レイノルズの研修プログラムに入ることができました。

しかし、その会社での研修中は、ほとんど給料が出ないことがわかりました。

セールスマン時代に医療機器の販売で月300〜400ドルの報酬があった程度で、貯蓄もほとんどなかったクリスは、この瞬間から日々の生活費にも困る状態になります。

ここから本当の試練が始まりますが、クリスも頑張ります。

クリスは、研修でトップの成績を収めるために、朝早くから遅くまで一生懸命働きました。毎日、見込客200件に電話をかけるというノルマは当然のことながらこなしました。

努力が実を結び、正社員へ。なのにホームレス!?

1982年、クリスの努力は実を結び、試験に合格してディーン・ウィッター社の正社員になり、翌1983年に、ベア・スターンズ社に誘われて移っています。

一方で、家を出たジャッキーが4ヶ月後に戻ってきましたが、今度は息子を置いていきました。息子との二人暮らしに、クリスは何ら異存はありません。

ただし、わずかながら給料をもらえるようになっていたクリスは、簡易宿泊所には泊まれるようになっていましたが、当時住んでいた宿泊所は子供の宿泊を認めていませんでした。

そのため、有給の正社員でありながら、サンフランシスコ近郊に家を借りる資金が貯まるまで、会社には内緒でホームレス状態となりました。

当時の同僚は、クリスとその息子が約1年間にわたってホームレス状態だったことには気づかなかったといいます。

実際のところ、クリスは、息子をデイケアに預けたり、息子と二人で炊き出しに並んだりと、大忙しでした。息子の安全が確保できる場所であれば、終業後のオフィスや簡易宿泊所、モーテル、公園、空港、駅のトイレに至るまで、寝る場所は選びませんでした。

一時は息子の健康を気づかい、ホームレス向けの教会の宿泊所に泊まったりもしています。

当時のことを聞かれるとクリスは、ホームレスだったという意識があまりないと言います。常にどこかへ行かなくてはならない状態だったため、覚えていることといえば、とにかく移動していたことだそうです。

会社の設立

1987年、クリスはシカゴに移り、自分の会社を設立します。

年金や金融機関向けに債券や株などの証券仲買業務を提供するガードナー・リッチというベンチャー企業で、本社は自分のアパート、資本金は1万ドル、台所のテーブル2つ分のデスクからのスタートでした。

彼はこの会社の株式の75%を保有する株主でしたが、事業は成功したとみえ、約10年後、2006年に、この会社の株をいくらか売却し、クリスは数億円を得ています。

自伝「幸せのちから」

彼が2002年、ABCの金曜夜の人気ニュース番組「20/20」に出演し、ホームレスから証券マンになって成功した話を紹介したところ、大変な話題となります。

この反響を受けて自伝を出すことになり、「幸せのちから」として2006年5月に出版されました。

この本は、ニューヨークタイムズやワシントンポストのベストセラー1位に輝いただけでなく、ベストセラーリスト内に20週間もとどまり、40か国以上で翻訳出版されました。

ちなみに、2009年に出版された2冊目の本も、ニューヨークタイムズのベストセラーリスト入りしています。

2006年12月にコロンビアピクチャーズが公開した映画「幸せのちから」は、多少の脚色はあるものの最初に出版された自伝をベースにしており、ウィル・スミスが主人公クリスを演じてアカデミー賞主演男優賞にノミネートされました。

クリス本人も副プロデューサとして制作に参画した他、映画の最後、クリス役のウィル・スミスと息子が手をつないで歩いていく場面で、その脇をクリス本人が通りすぎ、ウィル・スミスが振り返って彼を見つめるという形で少しだけ出演しています。

現在の活動

クリスは証券会社を売却した後、クリストファー・ガードナー・インターナショナル・ホールディングス社を設立し、現在は、個人のポテンシャルをフルに発揮できるよう支援するため、TV出演や講演、執筆活動に忙しい毎日を送っています。

また、シカゴで子供2人と暮らしています。

慈善活動にも熱心に取り組んでおり、1年のホームレス生活や長いシングルファーザー経験、そして黒人であること等を活かした幅広い活動をしています。

クリスの自伝のタイトルは「幸せのちから」、原題では The Pursuit of Happyness です。

Happynessという間違ったスペルは、息子の託児所の壁の落書きのスペルが間違っていたことによるものですが、元々の The Pursuit of Happiness はアメリカの独立宣言の中で「神から与えられた権利」として書かれている「幸福の追求」から来ています。

クリスは、幸せだと考える人に会った時には、迷わずその職業をたずね、その人と同じ職業につくためには一時的にはホームレスになろうとも、貪欲に頑張りました。

つまりクリスは、母に教えられた通り、また独立宣言に書かれている通り、自分が置かれた境遇を嘆くのではなく、自分が決めた目標、つまり自分にとっての幸福をひたすら追求したのです。

そしてその追求のためには、努力を惜しみませんでした。

おそらく誰もが、身の回りやTVなどで「あの人みたいになれたら」と思う人に何人も出会っていると思います。

しかし、そのうちいったい何人が、そうなるためにはどうしたらよいか真剣に考え、調べ、一生懸命頑張ったでしょうか。単に、境遇や能力を嘆いたりして日々が過ぎてはいないでしょうか。

クリス・ガードナーの物語は、目標となるものをきちんと見つけること、そしてそれに向かって頑張ることの素晴らしさを教えてくれます。

【参考URL】http://en.wikipedia.org/wiki/Chris_Gardner
http://www.chrisgardnermedia.com/chris-gardner-biography.html

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この記事に対するコメント
  1. 日本の名無しさん より:

    この映画みたけど、「自分不器用ですから」すぎるだろ〜っておもってしまった
    めちゃくちゃすごい人だと思うけど

  2. 日本の名無しさん より:

    映画見ました!!
    こんな凄い人が本当にいるんだと感動し、
    クリスガードナーの大ファンになり、
    『幸せのちから』という本も購入しました☆私もクリスを見習って、自分の夢を絶対に実現してみせる!と思いました!!
    大変勇気と希望を持たせてくれる、最高の映画でした!!!涙

  3. 日本の名無しさん より:

    「境遇や能力を嘆いたりして日々が過ぎてはいないでしょうか」
    って言いますけど、
    やっぱりクリスガードナーは、
    「精神的な強さを母から受け継いだことを、クリスは母に感謝している」
    という背景があるので、そこは自分は嘆かざるをえません。

    クリスを目指すには、まず、毒母を捨て、完全に忘れた上で、自分は
    「自分の境遇を嘆くのではなく、自分が決めた目標、幸福をひたすら追求するのよ」
    と教える母になり、それを実行する母になるところから始めなければなりません。
    1代や2代じゃ無理でしょう。

    1. 日本の名無しさん より:

      無理かどうかは自分次第ではないですか。
      何事も始める前から決めつけていては何も変わることはありません。
      現状を変えるために本気になった人は誰よりも強いです

  4. 日本の名無しさん より:

    映画を久しぶりに見直しました、
    金持ちになる人は他人を騙す天才でした。
    何よりも自分自身を騙し続ける力がずば抜けていました。もう信仰の領域です。
    最終的な幸せに辿り着くための途中の工程はメチャクチャでしたけど、そんなのは細かいことだから気にするなってことですね。
    借金を踏み倒したり、子供に向かって大声を荒げたり、あんな車いっぱい走ってる道路を無防備に何度も渡って死ななかったのはこの映画の一番の奇跡じゃないでしょうか。クリス・ガードナーのそれは人としてやっちゃダメだろってことに突っ込んでいくゴミクズっぷりがもう全編に渡って溢れていたことが印象的です。彼が成功したのはあくまでも頭のいいクズだったからです。それだけは忘れてはいけない

  5. 日本の名無しさん より:

    慇懃無礼なコメントが笑えたw

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