お金の学校

  1. >
  2. 金持ちの成功者から学ぶパソコンの「DELL」を作ったコンピュータ界のパイオニア -マイケル・デル-
PR

パソコンの「DELL」を作ったコンピュータ界のパイオニア -マイケル・デル-

2014/06/29
このエントリーをはてなブックマークに追加


マイケル・デルという人物をご存知でしょうか。

日本でもお馴染み、そしてアメリカでは誰もが知る、IT会社、「DELL」のCEOなのです。日本でも、デルのコンピューターを使用している方は多いのではないでしょうか。

彼は、1980年代、まだPCがあまり一般的に使用されていない時代にパソコンの普及に一役買った人物なのです。フォーブズ誌の「アメリカで最もリッチな人物」では毎年10位以内にランクされています。

そんなセレブでIT界の先駆者であるデル氏。彼の成功の秘訣を見ていきましょう。

“多くの人が、自分が死んだあと、そのお金についてどうするか思案しているが、そんな事はどうでもいい。自分が今ここにいる間にそのお金をどうやって人の役に立たせることができるか。それが大事なのだ。”―マイケル・デル

マイケル・デルの生い立ち

1980年代、まだパソコンが一般的に普及していない時代にパソコンを一般普及させるのに一役買ったコンピューター界の先駆者であるマイケル・デル。そのカリスマ性溢れる人物像はどんな幼少時代から出来たのでしょうか。

マイケル・デルの幼少期

マイケル・デルは1964年2月23日にテキサス州のヒューストンで生まれます。彼の両親はユダヤ教を進行しており、米国への移民でもあったのです。

デル氏は小さな頃からテクノロジーや色々な小道具に興味を示し、15歳のころにはアップルコンピュータを自分で購入し、それがどのように動いているのか、解体して自身の目で確かめます。

少年時代から、彼のビジネスマンの本質を垣間見ることができます。彼は少年時代から電話で新聞の購読を売る仕事をして働いたり、お手伝いをして得たお金を株や貴金属に投資するのです。

電話での新聞購読を販売していた頃、彼は最も新聞購読を買ってくれる可能性のある人は、持ち家を購入して定住している人や、社会的地位を既に確立している人であるという発見をします。

その発見をもとに、家のローンの申し込みなどから名前を探し、ターゲットを絞って新聞購読を売っていたのです。

当時デルはまだ中学生。その時の彼の収入は一万八千ドル。日本円にして180万程度。彼の当時の収入は歴史や経済の先生の収入よりも上回っていたのです!

大学の寮の一室で生まれた会社

高校卒業後テキサス大学に進学し、大学では自分でコンピュータを構築し、直接人々に販売し、充実したカスタマーサポートを安価で提供するのです。

デル・コンピューターは世界でも最も大きなパソコンメーカーの一つでした。そうして彼の大学寮の一室から生まれた会社がデル・コンピューターだったのです。

それからわずか8年後の1992年、デル・コンピューターはフォーチューン500にランクインする大企業となり、マイケル・デルは史上最年少のフォーチューン500企業のCEOとなるのです。

マイケル・デルのキャリア

史上最年少で大企業のCEOとなり、セレブの仲間入りをするデル氏ですが、彼の成功はとても驚くほどのものではなかったようです。

彼の母親は株のブローカー、彼の父親は医者で彼にも医学の分野に進むよう強要していましたが、彼のテクノロジーとビジネスの分野への興味は揺らがなかったのです。

小さい頃から働き者だったデル氏。

自分の切手コレクションのために12歳の頃には中華料理店で皿洗いのバイトをし、数年後には新聞購読の販売員として、自身の営業スキルを使って一年に18000ドルもの収入を稼ぐようになるのです。

大学生になった時に、自分のスキルを生かすことのできるニッチマーケットを見つけます。パソコンの世界はまだ確立されていなかったため、デル氏は自分で作ったパソコンを仲介を省いて顧客に直接売る事を試みます。

自分の貯金である10万円を使って自分でビジネスを始めるのです。彼はコンピューターの性能だけでなく、安いながらもカスタマーサポートに力を入れることに重点を置きました。

最初は学校内で売っていたのですが、すぐに学校外にも顧客ができるようになり、学校を退学するのに時間はかかりませんでした。  

成功までの道のり

1984年にはデル氏がビジネスを始めた最初の年で、6億もの売り上げを上げました。2000年にはデル氏はビリオネアとなり、34カ国にオフィスを持ち、従業員も三万五千人以上抱えるようになったのです。

次の年、デル・コンピュータはコンパック・コンピュータを超え、世界で一位のパソコンメーカーになるのです。

結局、デル氏は20年間の間にデル・コンピューターがウォルマートやジェネラル・エレクトリックのように地球上で最も成功しているビジネスであると証明する事になるのです。

また、彼自身も彼の成功について著書である「業界に革命を起こした戦略」で自身の成功までの道のりを語っています。

デル氏の素顔

デル氏はとてつもなくシャイで内気だったと、当時のデル氏を知る人は言います。

彼は妻のスーザンと4人の子供に恵まれます。

スーザンと共に、自分の富を多くの人に分け与えることに積極的で、1999年に二人はマイケル・アンド・スーザン・デルファウンデーションを立ち上げ、多くの資金を個人的なチャリティや東南アジアでの津波被害への寄付へ回しています。

また、2006年には五千万円をテキサス大学に寄付しています。彼はこう言います。

「多くの人々が自分の死後、お金をどうするか心配しているが、そんな事は無駄です。私は、自分が生きている間に、正しい方法でそのお金を使いたいのです。」

そして彼は多くの慈善事業に彼の資産を寄付しています。

デル氏退任後のデル・コンピューター

2004年、デル氏は会社のCEOを引退しますが、役員としては留まることになります。彼は国際ビジネスカウンシルの役員としても活躍し、その他にもアメリカCEOカウンシル・オブ・サイエンスアンドテクノロジーの重役としても活躍するのです。

しかし、デル氏の退任後、会社は上手くいく事ばかりではありませんでした。きちんと構築されていないコンピューターが市場に出回ってしまった事で、会社は三千万円もの資金を出してそれらのコンピュータを直さなければならなかったのです。

CEOへ再復帰

その結果、デルコンピュータは業界トップとしての地位を失ってしまいます。この問題を直すため、デル氏は2007年にCEOとして再復帰します。しかし、その品質の悪いコンピュータが出回ってしまったことは会社に後も長く影響します。

2010年の7月には、セキュリティ・アンド・エクスチェンジ・コミッションが出る・コンピューターをアカウント詐欺として報告し、デル氏がそのペナルティのために一千万円を支払うことに同意した時には、そのニュースは新聞の一面を飾りました。

コミッションによると、デル・コンピューター、チップメーカーのインテルに、AMDと呼ばれるコンピューターチップを搭載せずにコンピューターやサーバーを製造するよう要求し、そこで利益を上げていたとの事なのです。

そしてデル・コンピューターは投資家達に誇張した利益を申告していたと報告されるのです。

そしてそれを助けるためにCEOとして舞い戻ったデル氏。自分のビジネスを再び個人事業として買い戻します。デル氏は、この変化により、デル・コンピューターはわくわくするような新しいページを開けることになると語っています。

CEOを退任した後もそんな苦労を経験したデル氏ですが、現在ではオースティンに、州歴代で一番高価な家を購入しています。

まとめ

コンピューター業界のパイオニアとして、コンピューターの一般普及に一役買ったデル氏。

大学生の頃に成功して大企業のCEOとなるのですが、その成功は一夜にしてなったものではなく、少年時代からアルバイトをして自分でお金を稼ぎ、そのお金でパソコンを買って自分で解体してみたりと自主的な努力と類稀なる好奇心の上に成り立っているのですね。

また、苦労を経験した後にデル・コンピューターを個人ビジネスとしなければならなくなっても、「これからわくわくするような新しいページを開けることになる」との前向きな発言は、なかなかできるものではありません。

ビジネスをしていれば、いいこともあるし、悪いこともある。でもその中での最善をこれから尽くしていこうと言う希望が感じられます。

現在も、増えていくIT企業による競争が増加し、2010年に直面した危機から完全には回復できていないデル・コンピュータですが、デル氏の人となりと類稀なるビジネスセンスで業界一位の座への回復を期待したいですね!

【参考URL】http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Dell
http://www.entrepreneur.com/article/197566
http://www.biography.com/people/michael-dell-9542199
http://www.bornrich.com/michael-dell.html

PR【お金の学校】では、アフィリエイトプログラムを利用し、アコム社から委託を受け広告収益を得て運営しています。
このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事に対するコメント
  1. 日本の名無しさん より:

    ジェネラルエレクトリック..
    ジェネ..

  2. 日本の名無しさん より:

    2006年には五千万円を…
     → 五千万ドル(50億円)じゃね?
    他の金額も怪しいな。一千万円や三千万円なんて企業が驚くほどの金額でもあるまいし

コメントを残す