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バットマン ビギンズ出演のマイケル・ケインの苦労と努力の成功談

2014/08/11
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イギリスの俳優、マイケル・ケイン。『ダークナイト』、『バットマン ビギンズ』、『アルフィー』、『狙撃者』など、さまざまな映画に出演する実力派俳優です。

アカデミー助演男優賞、ゴールデングローブ賞 主演男優賞といった賞も受賞するほどのスターですが、生まれながらのスターであったわけではありません。数々の苦労、そしてうまくいかない時期を経て、彼はスターの座に登りつめました。

ここでは、マイケル・ケインの人生を簡単に振り返り、彼の苦労や成功へのきっかけを見ていきたいと思います。

戦争や虐待を経験した子ども時代

マイケル・ケインは1933年3月14日に、イギリスのロンドンでモーリス・ジョセフ・ミックルホワイトの名で生まれました。彼の父は魚市場の運び人で、母は掃除婦でした。

マイケルはロンドンのイースト・エンドでザ・ブリッツ(第二次世界大戦中の1940年9月7日から1941年5月10日まで、ナチス・ドイツがイギリスに対して行った大規模な空襲のこと)から逃れてきた疎開者でした。

ロンドンから疎開し、ケインは田舎に暮らすこととなります。

ですが、ここでの暮らしがひどいものでした。ケインはとあるカップルと暮らしていたのですが、このカップルはケインを叩いたり、地下の食器棚の中にケインを閉じ込めるといった虐待を繰り返していたのです。

このことが理由で、ケインは長年にわたりNSPCCの会員になっていたのです。

NSPCCというのは、National Society for the Prevention of Cruelty to Childrenの略称で、全国児童虐待防止協会と訳される団体です。ケインは子どもに性的な興味を持つ大人は死刑にしても良いと考えてもいます。

16歳で仕事に就く

子ども時代には虐待などの困難を強いられてきた、マイケル・ケイン。彼はWilson’s Grammar Schoolという学校を卒業後、すぐに働き始めます。彼が16歳の時のことでした。

ケインは幼い頃からショービジネスに興味を持っていました。そこで彼はPeak Filmsに就職し、事務職に就きます。

1950年代初めには、ケインは国民兵役のため、2年間勤めに出ます。ケインはドイツや韓国に兵役に出ます。兵役終了後は地方の劇場で働きつつ、足りない生活費を様々な仕事をしながら補う生活を続けました。

ケインの本名はモーリス・ジョセフ・ミックルホワイトですが、ハンフリー・ボガートの出演した『ケイン号の叛乱』(1954年)から、芸名を取りました。

ケインの映画デビューは、1956年の『A Hill in Korea(韓国の丘)』でした。そこから長年にわたって、ケインは俳優として試行錯誤を続けてきました。

映画『ズールー戦争』で注目を浴びる

彼が世間の注目を浴び始めたのは、ある映画がきっかけです。それは1964年の映画『ズールー戦争』です。大英帝国と南アフリカのズールーの人々との衝突を描いた映画で、ここでケインは英国軍将を見事に演じています。

マイケル・ケインは素晴らしい俳優です。ですが、長年にわたって、ケインの真の才能は彼の公に公開しているキャラクターによって正しく理解されてきませんでした。

人々は、ケインはコックニーのアクセント(ロンドンの労働者階級の人の話すアクセント)しか喋れないんじゃないと勘違いしてきたのです。マイケルは映画『ズールー戦争』で、英国軍将を完璧に演じているにもかかわらず。

しかしながら、映画『ズールー戦争』のプロデューサー陣は、マイケル・ケインを男らしい演技ができないと判断し、マイケルは7年の契約を断られてしまいます。

男性の俳優として十分な魅力を世間に伝えられていないと判断されたのです。世間が求めていたのは、セクシーな魅力も併せ持つ俳優だったのです。

様々な役を演じ、アメリカでも人気に

映画『ズールー戦争』では、ブレイクしたものの、世間の一部の人たちからは十分に魅力を感じてもらえていませんでした。『ズールー戦争』の後も、様々な映画に出演し続けます。

たとえば1965年の『国際諜報局』ではスパイを演じ、1960年代の社会を典型的に描いた1966年の映画『アルフィー』では、女好きのプレイボーイを演じました。

軍将からスパイ、プレイボーイまで、あらゆるジャンルの映画に挑戦し続け、その高い演技力で実力・人気の両方を手にいれてきたのです。

ケインは主にイギリスで活動をしてきましたが、この『アルフィー』は、アメリカの国民にも知られるところとなりました。そして、『アルフィー』で、ケインはアカデミー賞にノミネートされることとなったのです。

地道に俳優活動を続ける

1970年代も、80年代も、マイケル・ケインは地道に俳優の活動を続けます。1978年の『スウォーム』、1987年の『アイランド』、そして、同年の『ジョーズ’87 復讐篇』など、様々なジャンルの映画に出演します。

この時期彼は高い評価を得ることが多くありました。

例えば1983年の『リタと大学教授』や1986年の『ハンナとその姉妹』などがそうです。『ハンナとその姉妹』については、ウディ・アレン監督の作品で、この作品でケインは初めてアカデミー賞の助演男優賞を受賞します。

目立つ役ではないとしても、彼はその演技力と真摯な姿勢で、業界から高い評価を得てきたのです。

マイケル・ケインの90年代の活動

1990年代に入ると、ケインの俳優としてのキャリアはペースダウンしてきたように見受けられます。しかし、彼は地道にやり遂げます。ケインは1998年の『リトル・ヴォイス』で、冷たく落ちぶれたタレントエージェント役を演じて高い評価を得ています。

翌年には、ジョン・アーヴィングの小説を基にした『サイダーハウス・ルール』で、彼はメーン州の孤児院でドクターを営む人物(また、違法な堕胎を行う医者でもある)を演じ、こちらも高い評価を得ました。

この作品でケインは二度目のアカデミー賞の助演男優賞を受賞します。

俳優人生の最終章にさしかかったマイケル・ケインは、やはり俳優として未だに輝いているように思います。彼は主演というよりは様々な脇役で映画のクオリティを上げてきました。

『バットマン ビギンズ』は豪華助演陣で有名な映画ですが、このうちの1人がケインです。雑誌『バラエティ』で、ケインはこのように語っています。

「私はもう歳をとってしまった。女の子を引きつけることはできないかもしれない。でも役がある。そっちのほうがいいね」

貧しかった子ども時代。大人に虐げられた経験。役者としてなかなか成功しなかった時期…… さまざまな経験を経てきたからこそ、彼の演技には渋さに磨きがかかっているのかもしれません。

【参考URL】http://www.huffingtonpost.co.uk/2014/04/30/famous-people-success-against-all-odds_n_5167530.html
http://www.scotsman.com/what-s-on/film/michael-caine-at-80-the-secret-of-his-success-1-2834812
http://www.biography.com/people/michael-caine-9234754#synopsis&awesm=~oEO4FIBzvXNPLQ

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