BBCの報道で、オークションの史上最高値が出たとのニュースが、昨年世界各国を飛び回りました。それはニューヨーク市のクリスティーズという、風変わりアートを置く並外れたサービスを誇る画商が主催するオークションでした。
その値段なんと4億9500万ドル(503億3160万円)という絵にしてはトンデモない高額。この内訳のトップ3は、ポロック、リキテンシュタイン、バスキアというそうそうたる顔ぶれでした。
クリスティーズは、1766年にジェームスクリスティによって設立され、今や世界32都市に53のオフィスを構える巨大画商となっています。
世界中のアートファンが、じかにオンラインでオークションショーのライブを見ることができます。そのうえ、リアルタイムで独自のオンライン入札ができるユニークなサービスまで行っています。
売り出された70点のなかで売れ残ったのはたった4点、買い上げたバイヤーの25%は新しい顧客でした。
クリスティーズは「これは、新しいアートマーケットの幕開けだ!」と語っています。
バスキアの『ダストヘッズ』
しかし、どうしてアートの作品はときおり上限がないほど、高値にはね上がったりするのでしょうか?このニュースを聞いたある男、いきどおって人々に問いただしました。
オレも美しい絵画はきれいだと認めるが、その金を人々のために使ったらもっと美しいアートなんじゃないのか?巨額をはたいて絵のコレクションして、自分の家に飾って満足なんて、ものすごいエゴだとしか思えない。
オレの考え間違ってるか?
そう思うやつ、どうか全く違う視点でガツンとオレをぶっ叩いて治してくれ!
アートマーケットの日常とはかけ離れた、聞き慣れない金額に感じるものはみなさんおなじみの日常遊離感覚なんじゃないかと思います。
でもそれについて真剣に議論することはあまりにも「カンケーなさすぎて」疲れます。
あえてまたこの話題をリング上に持って来たこの男の勇気を祝して、いったいそこでどのような討論が展開したのかのぞいて見ましょう。
【参考URL】http://www.christies.com/about-us/company/overview/
http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-22552373
http://www.reddit.com/r/changemyview/comments/1eg6zc/i_think_spending_huge_amounts_of_money_on_art_is/
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そんなこというけど、その分野だけじゃなくて人はいろんな他のことで不必要なものに多額の支払いをしてるぞ。
たとえば、夏の2週間しか使わないビーチハウスをわざわざ買う人とかどうなのよ。それから、特定のデザイナーの作っためったに着れない服に狂気のような出費とか。
そういう彼らも恥ずかしいとキミは思うの?
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↑それをいうなら、もっと先に行ってみよう。
ボクたちがお金を使って何かを買うたび、その先でそれを作っている人々が存在する。そこにあるものが、常にフェアで喜びに満ちあふれているわけではない。
キミが持ってるiphoneや服、今先進国で手にするそういった商品のほとんどは、裏に生産過程での苦しみが伴っている。
ときには子供さえ労働に駆り出されている。そしてモノが作られるたび地球は日々破壊されていく。
食べている肉は動物たちが苦痛の中で生かされて、苦痛の中に死んで行くなかで出来た肉がほとんどだ。そして農薬まみれの野菜。
一方では、僕らの多額の税金が殺人兵器を作るために合法的に使われてしまっている、今言ったことに賛成でも反対でも、キミが生きる限り、キミの命は誰かの犠牲の上に成り立ってるんだ。
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僕が言いたいことは、このアート作品に個人的にどんな道徳感覚で出費しようとあまり関係ないんじゃないか、ということ。
貧困の問題は、この世を動かすシステムのほうに原因があるから。個人の趣味の選択をたたいても、何もそこから導かれないんじゃないか?
豊かな富を得たときに、キミこそそれを行えばいいんじゃないのか?
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↑何をアートと呼ぶのかだけど、建築やファッションもアートなんじゃないかな。
投稿者は派手な服や豪邸についても、同じように非難したいんじゃないか?つまり『ぜいたく』や『浪費』についてのことなんじゃない?
そして元値が数百ドルのものを、何ミリオンドルとかで売ることも。
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↑まてよ。それって絵のこと言ってるの?絵はたしかに実際かかる材料費と売れる値段がまったくかけ離れているけど、買う人は絵の具の値段に金払うわけじゃないだろ?アーティストの専門性でしょ。
ケガしたときもキズ縫ったとき、糸代として治療費を払うものはいないよな。ドクターの専門性の代金を払うんだろうよ。
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↑だったらさ(とても寛容にふるまっていうけど)キミは一人のアーティストの専門性が、1億円までにもなると言うわけ?
確かに一人の優れたアーティストができるまで、それまで通った優秀な学歴のための投資やトレーニングのため費やした出費、その一枚の絵ができるまでに費やされた過去の経費。
そしてこれから生涯のマスターピースを描き終えるまでの修業を考えると、その30倍ほどかかるかもしれないね。30億円とかね。
たしかに理にかなっているかもしれないけど、たった一枚の絵に30億円も黙って払うってどうかしてないか?その絵は何十年かすると、忘れ果てられるかもしれないのに。
しかもその絵は個人が保有すれば、長い時間をかけておそらくたった数えるほどの人たちしか見ることが出来ないんだよ。
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僕は投稿者が言うお金がいっぱいある人は、世界の人々がもっといい暮らしができる目的で使うべきだというほうに賛成だ。
一枚の絵のためにそれだけのお金を使う、その価値観はあまりにも主観的すぎるし、個人的な感情を没入しすぎでそこにあるのはエゴ、そしてそこに行われるすべてが僕にはむちゃくちゃな浪費としか思えない。
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↑アートを買う人って、たいてい投資家なんだよね。
そして優れたバイヤーは数十年間で忘れられる様な作品は決して買わない。そこで行われる売り買いにときおり詐欺師がからむのは、そこに投資をして後でもうけようとする魂胆を持つ人を巻き込みやすいからだ。
アート作品を高尚なプロフィールを持つ投資対象と、とらえたほうがいい。時間がたてばたつほど、そこに美的価値が生まれる可能性がある。
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もしオレがアートの持つ表現自体のほうがお金よりも世界を良くするかもしれない、と言ったらどう反論する?
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「アートがお金より世界の役に立つ」っていう意味がよくわからない。
たとえばどんな?
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想像してみろ、もし家々は全部同じ形だったらどうだ?
想像してみろ、もしすべてのものが、車やトースターや服も、全部同じでただの機能だけだったらどうだ?
つまんないだけじゃないか?
オレは絵だけじゃなくすでにアートのアイデアは町の風景を作っていると思うし、その恩恵をみんな気づかず受けているんだと思う。
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↑そうだな。たしかに日常で使う身の回りのものだけ見ても、色や形が様々でそれ自体が大きな価値になってるというのは事実だと思う。
もし、毎日使うものが全部同じものしか現実に存在しなくなったら、どこに行っても同じものがあって、繰り返し同じものばかり見続けて、すごくつまんない連毎日になって、生きることにほとほと退屈しそうだ。
ただ話題になってる絵に関しては、ちょっと高価値つけすぎじゃないかとも思うけどね。
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↑画商たちは一つひとつのアート作品に実に緻密な見立てのもとに、値段をつけるので間違うことは絶対ないのだよ。
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投稿者の言ってることって、部屋がいっぱいあまっている豪邸に住んでる人に向かって貧しい人を住ませたらいいのに、と思うような感じじゃないの?
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世界のために役立つとか「いい」っていうこともそれぞれの価値観の問題だけど、僕が思うに、実際人々の中に入ってひとりでも多くの人が幸せで平和のなかで暮らせるように「行動」することに価値があると思う。
アート作品を私有するのは、ほんの少数の人しかそれによって楽しめない。でもそれを基金に寄付すれば、たとえば伝染病の蔓延を食い止めることができるかもしれない。
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↑審美的な価値がわからない人だね。
キミはそうやって苦痛を一個ずつ減らして行こうという考え方なんだね。幸せをもっともっと大きくして行こうとする生き方とは逆の。
それは二流の考え方だ。
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↑なにも美的な表現に価値がないとは言っていない。そして、デザインやさまざまな美しさでモノが作られることの意味も認める。
でも小さな一つの作品が、巨額のお金にまでなることに異議をとなえたいんだ。
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数百ドルで高価な額に入れた複製を飾って、第三世界の数百万人を救ったほうがいいんじゃない?
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オレは30万ドル(3000万円)でロレックスの高級腕時計を買うより、一枚の絵を買うほうに価値を感じる。
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↑個人的に、それはどっちもアホくさと思う。
それでも言わせてもらえば、そういうことはもうその人自身の選択だと思う。
アートがオリジナルだろうと複製だろうとそれもどうでもいい、見分けがつかないんだから。僕もお金をバカスカ使うけど、他人が見たら僕が買うものは馬鹿げていて意味の無いようなものばかりだ。
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本物志向って非合法なわけ?
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車やボート、家に価値があるのはわかるよ。そこに職人の技巧が感じられるから。
でもモダンアートはわからない。主観的すぎだろ。
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1%の金持ちはたしかに貧困者のために一部の金を寄付すべきだと思うけど、キミや僕はどうなんだい?
新車を買う代わりに、チャリティーに寄付しないのはなぜだ?どうして不必要なものを買わずに貧しい人にあげないんだ?
つまり年収30億円だろうが300万円だろうが、欲しいものがアートだろうとユニセフだろうと、モラルの問題だし、どこまでも個人の自由なのさ。
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お金はそんな風には回っていないし投稿者は、たくさんの問題を混同しすぎてる。価格、費用、金、価値、それぞれまったく違うものだ。
ある絵が503億円で売れたといっても、その絵の価値は最低その値段の価値だという意味なだけで価値というものは無限に存在するものである。
お金も使ったからといって、世界にあるお金が不足するわけではない。
投稿者はあたかも503億円も個人が自分のためにお金を使うと、貧乏な人たちの生きるための配当金が減るかのように信じている。
アーティストがその値で絵を売ったんだったら、買った人ではなくそのアーティストが貧困者への寄付をしてもいいはずだ。
モノを作るコスト(費用)とはまた別の問題だ。
物があるということは、そこに生産過程があるわけでそこに労働やマシンや土地というものの費用がかかる。だからたとえば、食料を無駄にしたら、全てのそうした資本が無駄になりそれが『浪費』というものだ。
その視点から見たら、アートはそこにかけた労働やペイント代は報われたのだから、浪費とはならない。
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↑そのとおり。お金は銀行からいったん出るが、他の銀行口座に入るだけで消えるわけではない。そうやって伝搬するものだ。
そして回りながらある地点で降りたとき、そこで人の暮らしのために使われればいいんじゃないか?
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こんなふうに誰かが巨額のお金を使うと、すぐに投資だなんだって話になるけど、買った本人にとってはただ単にその絵が好きなだけかもしれないじゃないか?
その好きな気持ちが、金銭的なこと以上の決断をさせたのかもしれない。
もしくはとくにお金がたくさんある人にとって、財を金融の変動や詐欺から守るための手段で投資したのかもしれない。
他人の好みや家の事情を知らない人が勝手に判断するべきじゃないと思う。
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↑そうだね、ぼくは40億円とかする絵を買う人についてずっと疑問を感じていたけど、こうした巨額の売り買いのすべてが間違いなわけではないって確信するよ。
まとめ
あまりにも桁数が多い値段と元値もほとんどかかっていないような、しかも何度見てもまったく意味が無いようにしか見えないモダンアートの絵。
この組み合わせほど人を混迷させるものはないでしょうが、どうやらその人の選択の自由ということに収まりそうですね。
でも、自分に納得が行くまでこの問題の白黒を見極めないと気が済まないあなた。もうすでに、モダンアートが誘う異世界の入り口に立っていますよ!
アートに巨額のお金を使うのもエゴだが
貧困でも生きようとするのもエゴ
歴史的資産の修復もエゴだし
自然環境を守ろうとするのもエゴだ
そんな金を溜め込むよりマシじゃん。経済は助かるんじゃねーの?
売り手と買い手双方がその値段で納得してるんだからいいだろ別に
アレが無駄コレも無駄っていちいちケチつける奴は何が楽しくて生きてるのかね
移動に掛ける金と一緒
もうね、「ファッションや趣味に金賭けるのバカじゃないの?」って話しとなんら変わらんがな
こんなもんは、ただの貧乏人の僻み
ドヤ顔でするもんじゃないな
一種のステータスシンボルだし
まあ価値を理解できない人間からしたらアホらしいのは確か、どこかの国では下賎な器が別の国では一国を傾ける値段にもなるし
皮肉なことに描いた人間が生きてる間はこんな値はつかないんだろうね
未来のアートに対する投資だろうね
画商の維持と、未来の画家の排出には必要な経費
全く関係ない他人の金の使い道に一々口出しする奴ってなんなんだろうな。
価値があるかどうかは本人が決めることだろ。
他人に自分の価値観押し付ける奴はなにがしたいの?
金持ちが神の国に入ることは、ラクダが針の穴を通るよりも困難だ : イエス・キリスト
消費してるんだから経済に役には立ってる