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韓寒  若者の心をつかんだ人気作家・レーサー

2014/09/30
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中国の若者に絶大な人気を誇る、作家でありレーサーでもある韓寒[かんかん/ハンハン]

18歳の時に出版されたデビュー作は203万部を売るベストセラーに。そんな彼は、中学高校時代は不良少年と呼ばれ、高校一年で中途退学しています。

一体どんな人物なのでしょうか?

中学高校時代

1982年、上海生まれの彼は、中学生の頃から、若者向けの文芸雑誌に自分の作品の投稿を始めます。国語と体育が得意でした。

高校受験。歴史ある、松江二中に合格。

この時彼は、その学校の評判ではなく、ただガールフレンドと同じ学校に行きたかった為にこの学校を選びました。

自分の成績では無理なことをわかっていた彼は、スポーツ特待生(得意な種目はマラソン)として、ほかの生徒よりやや低い成績でなんとか合格することができたのです。

もともと単調なマラソンが好きなわけではありません。しかし特待生として入学した以上、それなりを期待されます。体育教師は彼もマラソンの練習に参加するようにと。

反抗的だった彼はいつも試合で二位の成績なのです。体育の教師から見ると、彼は絶対に一位になれる素質を秘めているのに、いつも二位なのです。

「才能を無駄にしている!練習しなければ、一流の選手になれるはずがない!」と言われていましたが、彼自身は一流の選手になることに全く関心がなかったのでした。

彼の文学の才能は、早くから現れ始めていました。しかし、国語教師は不満でした。彼は宿題をせず、先生の話を聞かず、あげくの果てに、注意しようものなら、「自分はクラスで一番国語の成績がいいよ」と答えていたからです。

ある期末試験での国語の成績は60点。先生は怒り、彼の父親を学校に呼び出します。その頃彼の父親はよく学校に呼び出されていました。家に帰ると、彼は怒鳴られ、叩かれます。

後にその当時のことを振り返り彼独特の口調でこう語っています。

「父の気持ちも先生の気持ちも、とてもよく理解できる。当時父はしょっちゅうイライラしては誰かを殴りたいと思っていた。でも先生を殴るわけにはいかないから、僕のことを殴った。

先生もよく怒っていた。僕のことを殴りたかったでしょう。でもそうするわけにいかないから、父を呼び出していたんですよ。」

彼はこの頃雑誌への投稿を続け、よく知られた文学雑誌に掲載されるようになります。文学の才能と国語のテストの点数は無関係だったようです。

高校中退

そんな成功とは裏腹に、高校一年の期末試験、7つの必須科目全てが落第点でした。

彼は自虐的に笑ってこう描写します。「7科目に赤信号がついて、自分の前途を明るく照らしてくれた」一年留年です。

翌1999年またもや落第点の彼は、退学の危機。自尊心の強い彼は、学校から退学処分になるより、自主退学の道を選びます。「こうすれば少なくてもメンツを保てる」

退学前日、「退学してこの先どうやって生活していくんだ?」と心配して聞いてくれた先生に彼は、あっさりと「原稿料」と答え、笑われたのでした。

彼の退学について、上海市作家協会の副代表は、後にこう語っています。

「当時私は、もし学生が現在の教育制度から離れるなら、その後の道はとても厳しいと思っていた。何度も何度も彼に退学しないように忠告した。

あるとき彼のクラスの教師が私に、韓寒が数学の試験を拒否するから、私からなんとか言ってくれと言ってきた。それで私は彼に、`ある時には社会に対して妥協することも必要だ。今後自活していくために高校卒業の資格は必要だよ。’と。

彼は無愛想にちょっと笑っただけだった。口答えはしなかった。実際には私のアドバイスを受け入れなかった」

希望は曲がり角の向こうに

1999年、彼は有名なコンテストに立て続けに投稿。そして賞を獲得。

2000年 上海の小学3年生の生活を描いた初の小説 `三重門・が、大ヒット。この作品は近年20年来の中国一のベストセラーとなり、累計出版数203万冊に。

2001年出版の文集`零下一度・【マイナス1℃】はその年の全国売上ベスト1になりました。

車が好きで

高校の頃から、バイクでガールフレンドの送り迎えをしていた韓寒。2003年からは、プロレーサー、ラリー選手として活動を開始します。

2004年Formula BMWでは5万ドルを獲得。2005年、上海Volkswagenチームに加入。

以降レーサーとしての活動を続け、2010年スバル中国ラリーチームの正式メンバーになります。

雑誌創刊

2004年出版の文集【韓寒五年】は香港・台湾の繁体字版以外に、フランス・韓国・シンガポール・日本で翻訳出版されます。フランスでは、2004年10月最も売れた本となりました。

同じ年出版された小説【長安乱】は、その年中国国内文学作品の中で一番売れた一冊です。

2007年 彼のブログへのアクセス数は1億を突破。

2009年4月 ネット上で雑誌創刊を予告。実際の刊行まで1年以上を要しますが、この間彼は著者、作家の権利を確保するために奮闘していたのです。

翌2010年、文芸雑誌【独唱団】創刊。10時間以内でネット売上一位になります。初版50万冊は2日間で売り切れたとも。若者の間で【独唱団】を買うことはまるで最新のiphoneを手に入れるかのように、ファッショナブル、流行最前線だったのです。

インタビューで、読者対象は?と聞かれた韓寒はこう答えます。

「何人もがそう聞いてきている。あなたにとって対象読者とは何なのか?自分はずっとこれまで対象読者を限定していない。

文学に強くても、そうでなくても、文字に慣れていてもそうでなくても、誰でも読むことができる。もちろん初版はブームで読む人だろう。次からも残るのが、本当の読者だ。」

言論の自由、作家の権利のために

2011年 国際消費者権利デ-にあたって、彼は50名ほどの他の作家とともに、ネット上に無断で掲載される電子書籍に関して、裁判所に訴訟を起こします。

この訴えは認められ、被告側である中国最大手のサイトは7日にわたって自社のサイトトップページに謝罪文を掲載し、同時に原告側に76万元の損害賠償を支払いました。

現在の彼

2010年、中学時代からのガールフレンド、金麗華と結婚。同年女児誕生。

大学に行かなかったことについて彼はこう語っています。「今に至るまで、自分が大学進学しなかったことは、本当によかったと思っている」

同級生の一人は言います。

「韓寒は私たち同級生の中で一番素晴らしい。彼は私たちよりずっと強い。

同級生の中には名門大学へ行き、上海市の公務員をしている人がいる。それは多くの人が言う、主流の成功の道でしょう。

でも彼はもっとすごい。彼が母校に行くと、ヒーローのようなすごい歓迎ぶりなんですよ。」

と。

ここ数年は作家としての活動よりレーサーとしての活動に忙しくしています。

2010年 アメリカタイム誌に世界で最も影響力のある100人・にアメリカ・オバマ大統領やマイクロソフト社BillGates氏らと共に選ばれます。

もともと鋭い言葉で自分を表現する韓寒。時にその内容は教育、政治、外交問題にまで及び、しばしば、彼のブログは削除されているとも言われています。

そんな彼の一句一句は現代の若者の心を反映しているのかもしれません。この先彼がどんな成長を遂げ、社会にどんな影響を与えていくのか、とても楽しみです。

【参考URL】http://baike.baidu.com/subview/5972/10680834.htm?fr=aladdin
http://phtv.ifeng.com/program/fhdsy/detail_2013_06/15/26434495_0.shtml
http://www.avs4you.com

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この記事に対するコメント
  1. 日本の名無しさん より:

    やれば?ってかんじ。検索しなきゃ見かけない作家様だしなぁ。
    メンツねぇ…
    若くして成功つかんだ人の言う事って大体こんなもんじゃない?
    ホリエモンしかり、辻仁成しかり…

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