今回は、少しばかり興奮してます。どうしてかと言うと、子供のころから好きだったハリソン・フォードのサクセスストーリーを書かせていただくからです。
では、今から、彼の人生のほんの一部ですけどひも解いていきますね。
ハリソン・フォードの生い立ち
ハリソン・フォードは、1942年、7月13日シカゴで生まれました。
ちょっと、待ってよ。1942年生まれってことは、現在、71歳!でも、お若い。まずは、それにびっくりしました。
子どものころのハリソン・フォードは、将来、これほどのビッグスターになるとは、ゆめゆめ想像できないような少年時代を過ごしています。
いじめられていた少年時代
彼はシャイで気持ちの優しいお子さんでした。
小学校の時、学校のグランドの丘の上から、突き飛ばされるいじめをしょっちゅう受けていたそうです。
これって、ハリソン・フォード自身が、周囲の人にどんなふうに自分がいじめられていたかを話しているので、事実です。
また、高校時代もいじめにあっていて、日常的にそれは、行われていたそうですが、彼は、仕返しをすることもなく、じっと黙って過ごす日々を送っていました。
あのアクションスターのハリソンフォードが、いじめられても、じっと我慢する。
えー、なんて意外な・・
映画のイメージとは、かなりかけ離れているなあと、正直、意外でした。もっと活発な少年時代を過ごしているとばっかり思っていました。
高校を1960年に卒業した後、彼は、リポン大学(ウィスコンシン州)に入学します。
演劇との出会い
大学生活も、あまり幸せなものではありませんでした。彼は、特別にスポーツができるわけでもなく、かと言って学問の方が、秀でているというわけではありません。
1年生の早い時期に、彼はうつ病を患っています。日中も寝て、授業に出席することもできませんでした。彼は、授業のほとんどの単位を落としてしまします。将来が、くずれかけていました。
しかし、彼は自分が愛情を注ぎこめる新しい分野を開拓します。そう、演じることです。
ハリソン・フォードは、成績を上げようとして、ドラマコースを選択します。え、シャイでおとなしい彼がよく、ドラマコースなんて選んだなと思ったんですけど・・
それは、彼が、このコースは読んだり、演技について学ぶだけで、演技そのものはしなくていいと勘違いしていたからなんですよね。
最初、演じることにとてもナーバスになっていたハリソン・フォードですが、次第に、ステージに立つ恐怖心を克服していきます。そして、これこそ、天職だと目覚めるんです。
彼は、学生時代に、自分の天職を見つけただけでなく将来の伴侶となる女性メアリー・マーカットと出会い1964年に結婚します。
また、大学の方は、卒業の資格を取得することができなかったので中退します。二人が結婚する1年前のことです。
その後、役者としての仕事に就こうとハリソン・フォードは、カリフォルニア州、ロスアンゼルスへ、引っ越します。
役者としてのスタート
1964年の終わり頃、ロサンゼルスで、若手タレントの番組の面接を受けました。
会社の名前はコロンビア・スタジオです。面接を受けてみて、あまり成果を感じることができなかったハリソン・フォードでした。が、・・
面接の部屋を出た後、トイレに立ち寄って出てきたところに、監督の助手が追いかけてきます。
「監督が君と話したいそうだ。」と言われ、また、事務所にもどります。それから、7年間の契約を交わした後、帰宅します。その契約によって、1週間に、150ドルの賃金を得ることなりました。
1週間に150ドル、当時のアメリカでは、男性の賃金の平均より、少しばかり上ではありますが、ハリウッドの賃金としては、そんなに高くは、ありませんでした。
本人も当時のことを思い出して「1週間に150ドル、今思えば、馬鹿げているよね。」と言っています。
彼の初めての役は、ベルボーイでした。ホテルのベルボーイです。メモや、電報、といった物を届ける役を演じていました。
ハリソンフォードのセリフは、「お呼び出しします。ジョーンズさんお呼び出しします。ジョーンズさん」です。
ジョーンズ役の人が手を挙げたら、そこへ行き、「ジョーンズさんですか?204号室ですね。」と、言います。相手が「はい、そうです。」と答えたら、メモを渡します。
そんな、チョイ役をしていたんですね。あのハリソン・フォードでも・・・
ある日、ハリソン・フォードは、若手タレント番組の担当の人から呼び出されます。彼は、
我々は、彼の中にスターの素質を見つけた。まさしく、映画スターだと生き生きと語り、続けて、君にはそれがわかってない。君には、そこのところがわかってない。
と繰り返しました。
要するにこの担当の人は、たとえ端役でもオーラが出るぐらい必死に演じてみろ!と、言いたかったわけですね。
それぐらいしないと、映画スターとして、素質を見出してもらえないと・・・ハリソンフォードに説教したわけです。
ハリソンフォードは、それを聞き、素早く機転を利かせて言い返しました。トニー・カーティスを指して、「ただの食糧雑貨の配達屋にしか見えないね。」と・・
それから、ほどなくして、ハリソン・フォードは、コロンビア・スタジオを解雇されます。
しかし、それからが大変です。なんせ、家族を食べさせなければいけません。そこで、彼は、驚くべき行動に出ます。
大工に挑戦
彼は、すぐにでも、切実にお金が欲しかったので、どこから、発想したのか、大工に挑戦します。大工の経験は全くなかったのですが、その仕事を上手にこなし、ステージや映画のセットを作りました。
大工の仕事をしながら、彼は、映画への情熱も忘れてはいませんでした。マイナーな役を演じ続けました。
そうした彼に、大工の仕事だけに専念したらいいのに!という意見もありました。しかし、
彼は、決してあきらめませんでした。俳優で成功するという夢を、持ち続けました。
大工の仕事の収入のおかげで、俳優の仕事をやらなくても、生活はやっていける。しかし、そんな人生は、自分にとっては、物足りない。燃えないと、ハリソン・フォードは言っています。
さすが、ハリソン・フォードですね。素晴らしい情熱です。
1973年、彼は、「アメリカングラフティ」(ジョージ・ルーカス監督)に出演します。この映画は、大ヒットとなりましたが、残念ながら彼の知名度を上げることはできませんでした。
映画「スター・ウォーズ」
ただ、ひたむきに俳優であり続けた、ハリソン・フォードに、ついに、チャンスが訪れます。ジョージ・ルーカス監督が映画、「スター・ウォーズ」のハン・ソロ役に彼を抜擢したのです。
最初、ジョージ・ルーカス監督は、ハリソン・フォードを使う気は、ありませんでした。しかし、台本を読んでいくうちに、ハン・ソロの役には、ハリソン・フォードがぴったりだと気が付いたのです。
「彼の才能をこのまま、埋もれさせてはならない。」と当時、ジョージ・ルーカス監督は、語っています。1977年、「スターウォーズ」が爆発的にヒットし、一躍人気スターとなります。
ここまで来るのに、1964年にハリウッドにやってきたわけですから、約13年、いやはや、長い下積み生活でしたね。
13年も、芽が出なくてもあきらめなかったハリソンフォードの、情熱と忍耐には頭が下がります。
その後、1981年には、「レイダース・失われたアーク」に出演、こちらも世界的に大ヒットしました。彼は、インディージョーンズで、自ら、スタントマンとしてのパフォーマンスを披露しています。
「スターウォーズ」と、「インディ・ジョーンズ」は、シリーズ化され、彼の世界的映画スターの地位を、不動のものとします。
ハリソン・フォードのあくなき挑戦
彼が演じた注目すべき役柄と言えば、それはもちろん、ハン・ソロと、インディー・ショーンズでしょう。しかしながら、彼は、その地位に甘んじることなく、さらに、挑戦し続けます。
なんと、彼が、世界中のファンに抱かれている、馬に乗って鞭を打つ、もしくは、常軌を逸したパイロットのイメージを拭い去ることにトライしたのです。
これって、すごいことですよね。自分をスターにのし上げたイメージを一回、壊してさらにそれ以上に印象付ける俳優を目指すんだから並大抵のことではありません。
1985年、ついに彼は、そのイメージの鎖を映画「目撃者」の演技で、断ち切ることに成功します。彼の演技は、オスカーにノミネートされます。
その後も、1993年「逃亡者」、「ホワット・ライズ・ビニーズ」(2000年)「42~世界を変えた男」(2013)・・等に出演して、様々な役柄に挑戦し、演技の幅を広げてきています。
彼は、いつもファンに対して
「あなたにとって必要なものはすべて手に入れてますか?」
「あなたのために、私ができることがありますか?」
という態度で接しているんですって・・
こんなせりふ、あのハリソン・フォードに言われたら、もう、うっとりしてしまますね。
成功しても、演技に挑戦しつづける姿勢とファンに感謝し、ファンのために役に立ちたい思い続ける心掛けスターであり続ける人って、出来が違うんですね。
ハリソン・フォードの場合、有名になる前の忍耐と努力もすごいけど、スターであり続ける努力にも、並はずれたものを感じます。
思い上がったり、うぬぼれたりしないのかなと、彼に直接会って質問してみたいです。
2015年、あのスターウォーズがまた、帰ってきます。どんな作品になるのか、楽しみですね。
ハリソンフォードの成功への原動力は、何があっても、あきらめないこと、栄光の中にあっても、挑戦し続けること、ファンのために役立ちたいと思い続けること・・です。
本当に勇気と、挑戦し続けることの素晴らしさをありがとうございます。これは、お金じゃ買えませんからね。心の贅沢をさせていただきました。
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内容は悪くないのに、文章が下手で読みづらい。もったいない。