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バーガーは15セント?スタッフは男だけ?ユニークで斬新な60年代のマクドナルド

2016/05/03
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最近めっきりファストフード店から足が遠のいた、というあなたでも、ちょっと前に話題になった「ファストフード・完全ロボット導入」のニュースには目を引かれませんでしたか?

アメリカのファストフード業界はロボット導入を検討中で、最終的に業務のすべてをロボットに任せていくとのこと。

もしそうなれば、レジ係の前に行列を作って、メニューを指さしながら注文することがなくなります。自動販売機のようにボタンを押して、自動的にバーガー、ポテト、コーラが出てくることになるかもしれません。

なぜロボット化の計画が浮上したのか。そもそものきっかけは昨年の2015年の7月。ニューヨーク州ファストフード賃金委員会は、「最低賃金引き上げ」を勧告したことに由来します。最終的に最低時給を15ドル(約1700円)まで引き上げるよう通達したのです。

ニューヨーク州の最低時給は現在8.75ドル(約997円)。それを2018年いっぱいまでに15ドルにしろ、という注文は雇用側にしてみれば大変なことです。そこで本格的にロボットを導入していき、人件費を完全削除したいという流れになりました。

もっとも、ロボット化されていくのは何もファストフード業界だけではありません。多くの業界でも、これと同様の流れになっています。

とはいえ、ファストフード店にロボットしかいなくなるかもしれない、という話はなんとなく多くの人々に衝撃を与えます。

なぜならやはりファストフード店、特に代名詞的存在であるマクドナルドというのは、大半の人には何かしら思い出がある場所だからです。

例えば私の場合ですとこれらの思い出があります。

  1. 父親がいない日の夜、こっそり母ときょうだいたちでビッグマックセットを食べた幼年期。
  2. 高校時代、放課後にマクドナルドに寄ってシェイクを飲みながら勉強。または友人とたむろっていた。
  3. アメリカに留学した時、伝記のクラスで最初に登場したのが、マクドナルドコーポレーションの創業者、レイ・クロックだった。(ちなみに2回目ではウォルト・ディズニー、3回目ではベイブ・ブルースでした)
  4. 海外放浪した時、どこの都市でも必ずマクドナルドで食事をした。一人でふらりと入りやすく、お馴染みの店なのでホッと安心できた・・・。
  5. カイロのマクドナルドで食中毒になった
  6. 失業中など、人生うまくいっていない時、無意識に必ずマクドナルドに入って、まずいコーヒーを飲みながら資格取得勉強をし、履歴書作成作業をしていた

若干大げさな言い方ですが、生まれてからずっと“そこ”にはマクドナルドがありました。

ここ数年まったく行っていないものの、それでも“ロボット化”の話には、ちょっと感傷に浸らずにはいられませんでした。きっと他にも私のような感想を持つ人がたくさんいると思います。

近年はなんだかかつての勢いや人気や信頼度も低下しているし(むしろ迷走?)、将来はロボットのみの店になるかもしれない。こんなマクドナルド、そもそも初期の頃にはどんな店で、どんなサービスを行っていたのでしょう?かの歴史を遡ってみたいと思います。

安すぎる!ハンバーガーは15セントだった

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マクドナルドのスタートはカリフォルニア州サンバーナーディノです。1940年にマクドナルド兄弟(モーリス・マクドナルドとリチャード・マクドナルド)が始めました。

バーガーを15セント(約17円)で販売する、ドライブイン型のBBQ joint(バーベキューの店)でした。

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まだ「マクドナルド」のロゴマークも名前も出ていません。この店が、現在119か国に渡り約6800万人に愛される巨大チェーン店になるとは、この時はまだ想像できなかったことでしょう。

実業家の目に留まり、全米展開へ

1950年代に入り、この店に訪れた、実業家のレイ・クロックが、マクドナルド兄弟の店の

  1. 「スピード・サービス・システム」のキャッチフレーズ
  2. 工場式のハンバーガー製造方法、
  3. セルフサービスの仕組み

に興味を抱き、フランチャイズ化することを持ちかけます。

全米展開に伴って味を均一にしようとすべての店でこと細かく調理法について指示をされました。それに沿って、調味料、肉、サイドディッシュの分量まで正確にしなければなりませんでした。

例えば、以下の様な指定がありました。

  1. ケチャップ:1さじ
  2. 牛ひき肉:1.6オンス
  3. ピクルススライス:直径1インチ

アメリカ西部の隅にある店でバーガーを食べても、南部の住宅街にある店で食べても、味はほとんどまったく同じ。画一的メニューは、当時はまさに驚愕で斬新なことでした。

デリバリーから脱却?カスタマーがカウンターまで買いに来ること!

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1940、50年代、若い女性たちは高速サービスレストランで働いていました。彼女たちは駐車場に止まっている車まで、はつらつとした様子で食事を乗せたトレーを運んでいました。

しかしマクドナルド兄弟は、このことをあまり良く感じていませんでした。魅力的な若い女性がバーガーをデリバリーしてくることは、10代の息子を乗せたファミリーの車に不快感を与えるのではないか、と思ったのです。

そこでマクドナルドでは、若い女性従業員を駐車場まで歩かせることを禁止にし、代わりに車で来たお客たちを駐車場から店の中まで歩いてきてもらうことにしました。

食べたいなら注文を取りにくるのを待つのではなく、自分でカウンターまで歩いてきて、というやり方を導入したのです。ちなみに一番人気のメニューはバーガーと、フライポテト、シェイクとアップルパイでした。

女は雇わない!男性オンリーの職場だった

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スピード・サービス・システムによる独自の組み立てラインを確立し、厨房では効率的に調理が行われていました。

マクドナルドコーポレーションの創業者のレイ・クロックは「女性は採用しない」というポリシーを掲げました。実際1959年に、彼はAP通信に「我々は女性の手を借りない」と断言しています。

この「女性従業員は雇わない」というマクドナルド社の姿勢は、雇用における性差別の問題が大きくとりあげられるようになる1960年代半ばまで続きました。

ようやく女性を雇うようになってからも、クロックは“ぺったんこの胸の女性”のみ採用し、彼女たちを決してグリル担当にはしませんでした。女性はスタミナがないのでグリルを焼くという労働力はないであろう、という考えによるものでした。

冷凍はなかった!すべてフレッシュフードだった!

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今ではマクドナルドに限らず他のファストフード店の厨房を覗くと、温めてチンするだけの凍ったハンバーグやナゲット、フライドポテトを目にします。もはやそれが当たり前となっています。

ところが1960年代はそうではありませんでした。“FROZEN”(冷凍)のものは皆無で、すべてが“FRESH”(新鮮)でした。凍った食材が各店舗に届くことはなく、すべて新鮮な状態で配達されていました。そして一から調理していました。

しかしそうすると、当然時間がかかります。そこで1966年になる頃には「新鮮な食材は止めよう」という方向になりました。

調理工程が見れる!厨房が丸見えだった!

多くの人はマクドナルドの厨房に興味を抱き、どのような過程でフードが用意されていくのか眺めたいと思っていました。

店側はお客たちの好奇心に応えるため、とあるマクドナルドの店舗では、厨房のフロントと両サイトに900平方フィートのガラス窓を取り付けられました。

お客たちはその大きな窓から、どうやってハンバーガーが作られていくのかすべての工程をくまなく見学することができました。

会社の副社長の話によると、当時は子どもたちを連れて来ていた母親たちに、厨房の中を「視察」するのを許していたといいます。

衛生面は問題ないかと母親たちはチェックをして歩きまわり、そしてステンレス製の調理器具らに憧れの眼差しをよこしていたものでした。

父親たちも中に入ってきていました。でもお父さんたちの場合は、厨房の清潔さを気にかけるためではなく、肉をジュージューとミンチにしていく光景を見たかっただけのようだったと言います(笑)。

セットで頼んでも1ドルでお釣りが来た!!

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バーガー、フライドポテト、シェイクを注文し、1ドル(約114円)を支払うと余裕でお釣りがもらえました。

これはマクドナルド側の考えが反映されており、一家族が2ドル(約228円)そこらの金額で食事を楽しんでもらえるように、そのような価格設定をしたそうです。

マクドナルドのメニューの金額は値上げしていきますが、それは食事そのものの価格が上昇したということより、むしろ人件費の高騰によるところが主でした。

1966年には初めて食材が値上がりし、ハンバーガーの価格は15セント(約17円)から18セント(約20円)になります。牛のインフレ率の問題によるものでした。

顧客のターゲットはあくまでもファミリーたちだった

“ファミリー”がマクドナルドの最大の顧客ターゲットでした。実際に店のセールスポイントは家族が安心してくつろいで食事を楽しめるレストラン、というものでした。

そこで商業地区ではなく、教会や学校、一般家庭の住宅街の近くにマクドナルドの店舗は建てられていきました。“安全でクリーンでハッピーな空間を”と考えていました。

そのため汗臭い労働者たちや険しい顔をしたスーツ姿のサラリーマンたちが、仕事の合間にただの腹ごしらえのために食べにくる、という店にはしたくはありませんでした。

あくまでも子どもたちの笑い声が響く、温かくてハッピーなムードの店にしたいと考えていました。

今とは正反対!?ハンバーガーは身体にいい!

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1963年までには、42もの州で460店舗がオープンしました。調べによると、1966年にはアメリカの子どもたちは、毎週平均6.2個のマクドナルドのハンバーガーを食べていたといいます。

当時、このことはネガティブな報告として発表されることはなく、むしろ「素晴らしい自慢すべきデータだ」というように、誇らしげに発表されました。マクドナルドのバーガーは子どもの成長にふさわしいという風潮があったのです。

煙草も音楽も電話もダメ!

あくまでも健全なイメージの店にしたかったため、マクドナルドの各店舗では煙草自動販売機、ジュークボックス、電話ブースの設置を禁止にされていました。不良のたまり場になることを恐れたためです。

経営学を学ぶ!ハンバーガー大学があった!

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フランチャイズ代には、1万2000ドル(約136万円)と敷金が必要でした。そして各店舗はマクドナルド本社に売上げの2.2%を支払わなければなりませんでした。

また、フランチャイズオーナーたちはイリノイ州のエルクグローブにあるハンバーガー大学に通わなければなりませんでした。そこで、バーガーにピクルスの供え方からレストラン経営学まで、店にかかわる“すべて”を短期集中で学んだのです。

1961年、某マクドナルドレストランの地下に学校が開校、“ハンバーガー学(hamburgerology)”を学ぶことができました。毎年500人が参加していました。

店舗によってマスコットキャラクターがバラバラだった

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ドナルド(ロナルド)・マクドナルドの登場前、各店舗にそれぞれのマスコットを用意していました。

「怪傑ゾロやアンクルベンのようなキャラクターに会いたい」と子どもたちは親におねだりして、マクドナルドに入店しようとしていました。また店舗によっては、各地域の人気子ども番組のパーソナリティーを招いて、ショーを開催していました。

その後ドナルドの登場により、マクドナルドの全ての店舗で同一キャラクターが見られるようになりました。

MはMcDonald’sのMではない!

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マクドナルドの店は遠くからでも一目でそれだと判別できます。なぜなら大きな「M」のロゴ看板が立て掲げられているからです。ところで「M」はマクドナルドの“M”だと思っていませんでしたか?実はそれは大間違いです。

シカゴの第1号店には、金色の大きな2本のアーチがあります。この2本のアーチを横から見ると「M」に見えます。よって「M」のロゴは、この2本のアーチからデザインされたのです。

BBCによると、1960年代に心理学者のルイス・チェスキンがマクドナルドに、この「M」ロゴマークを使用し続けるように助言をしたといいます。

なぜならば、大衆が「M」を見るたびに栄養価の高い優れた食べ物、とイメージするようになるだろう、とチェスキンは考えたからです。

マクドナルドはこのアドバイスを承り、その後店舗の改装やイメージチェンジを図ろうが、「M」のロゴ看板だけはずっと維持し続けました。

時給は85セントだった!

イギリスのニュースサイト、www.independent.co.ukがインタビューしたEd Rensi氏(のちのマクドナルド社のチーフエグゼクティブ)のコメントです。

「1966年、マクドナルドで働いていた当時は一つの店に70、80人ほどの従業員がいたよ。今の約2倍の人数だ。

というのも当時はフードを用意するのに、今よりもっと手間がかかったんだ。なにしろすべて手作りだったんだよ。シェイクジュースだってゼロから作っていたんだ。当時の時給は85セント(約96円)だった」。

人からロボットへ・・・マクドナルドの将来はどうなるの?

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新鮮な食材でゼロから作っていた店が、工場から運ばれる冷凍食材をただ焼いたり温めたりするだけになった。そして今度は従業員がいなくなりすべてロボット化するかもしれない。そんな局面に立たされています。

マクドナルドに限った話ではないですが、どこもかしこもロボットだらけになったらますます差別化が難しくなるような気がします。コンビニで食事をするのも、ファストフード店で食事をするのも、もはやそう変わりないように思えます。

とはいえロボット導入を阻止するために、人件費を安いままにというのもできない話でしょう。

少なくとも「あのレジの子が可愛いから、また買いに来よう」「あの素敵なお客さん、また来ないかな」といったささやかなときめき(!)は、もうカウンター越しで生まれなくなる、というのだけは間違いないのでしょうか・・・。

再びレイ・クロックのような天才的実業家が現れ、政府をも動かすようなあっと驚くようなミラクルな解決法を見い出してくれることを祈らずにはいられません。

さてネット上に寄せられた、イギリス・アメリカ人たちの、マクドナルドに対する様々な思いや考えを見ていきましょう。

この記事の海外に対する反応

1950年代にアメリカに住んでいた。当時のアメリカは今と全然違った。非常に真摯だった。

こういった店でも安心できる食材を提供するものだった。社会も、もっと洗練されていた。人々は上品な装いをし、年長者を敬わる風潮だった。
(イギリス)

アメリカに住んでいた時、頻繁にマクドナルドに寄っていた。今でもイギリスのファストフードよりずっとウマイと思うね。
(イギリス)

マクドナルドは1950年代くらいまでのやり方に戻った方がいいよ。
(アメリカ)

値段も当時のものに戻した方がいい。
(アメリカ)

1955年頃は15セント(約17円)って今の1.30ドル(約148円)の価値だった。だから実のところ、マクドナルドの価格設定は今も昔もブレていないね。
(アメリカ)

↑確かに当時の15セント(約17円)は今の1.3ドル(約148円)に相当するだろう。

しかしポイントなのは、ピュアなビーフバーガーがたったの15セント(今の1.3ドル)で食べられるっていうのは信じられないくらい安かった。
(アメリカ)

ファストフード業界の問題は、従業員を人間扱いしないことさ。
(アメリカ)

「サイズはS?M?それともLですか?」と聞くマニュアルは止めたほうがいい。なぜならファストフード店だから。そんなやりとりは時間のロス。

ポテトもシェイクもサイズはひとつだけにすればいいと思う。
(アメリカ)

サイズを聞かれると、客は5分ほど考え込むよね。でも大きいサイズをすすめられると、なぜかそれを欲しいと思ってしまうよね。

だからあえてサイズを分けて、どれにするのかいちいち訊ねてくるのも、店の戦略だろう
(アメリカ)

価格を上げても、良質な食材を提供すべきよ。
(イギリス)

昔のマクドナルドのメニューを見ると、非常にシンプルだ。今は複雑すぎる。忙しいビジネスマンやドライバーにとってすごい不親切だと思う。
(アメリカ)

メニューが多すぎて難しすぎるから、みんな自分の番になっても迷ってしまっているよね。

「スモールサイズのポテトとラージサイズのシェイクと・・・○○セットで・・・」だなんてパッパ決めるのが難しいもの。

メニューのせいで、ファストフードにも関わらず時によっては長蛇の列ができているわよね。
(アメリカ)

普通のバーガーではなく、魚のバーガーを注文した時、我ながら「僕も大人になったんだなあ」としみじみしたなあ。
(アメリカ)

マクドナルドで男しか採用されなかったっていうこと、覚えている人いる?正確には何年にこの採用基準が改正されたのかしら。
(アメリカ)

マクドナルドって故郷のような存在だし、バーガーの味は子どもの時の思い出が詰まっている。
(アメリカ)

グロテスクな容貌をしたドナルド・マクドナルドのようなピエロが受け入れられただなんて・・・60年代の子どもたちって変わったテイストをしていたのね。
(イギリス)

当時と今のマクドナルドの味を食べ比べてみたいな。
(アメリカ)

冷凍ポテトじゃなくて、フレッシュポテトだった当時を覚えているわ。

とあるマクドナルドの店に行った時、厨房を覗くすき間があって、そこからフレッシュポテトが作られる工程も眺めたことがあったの。すごくわくわくしたわ。
(アメリカ)

1977年にマクドナルドで働いていたことがある。覚えている当時の値段だ。

ハンバーガー29セント(約33円)、チーズバーガー39セント(約37円)、ビッグマック75セント(約85円)。

ポテト(小)29セント(約33円)、(大)39セント(約37円)、シェイク(小)29セント(約33円)、(大)39セント(約37円)。

フィオレフィッシュ55セント(約62円)、アップルパイ29セント(約33円)
(アメリカ)

1960年代、マクドナルドで働いていたわ。確か時給は1.65ドル(約188円)だったような・・・。
(アメリカ)

私は1977年、時給2.3ドル(約262円)だったような・・・。
(アメリカ)

シェイクはすごい高かったんだね。バーガーと変わらない値段じゃないか。
(イギリス)

当時はコーヒーを注文する際に「ホット」と付け加える必要がなかったわよね。だってコーヒーといえばホットしかなかったもの。
(アメリカ)

【参考URL】http://www.dailymail.co.uk/news/article-2213917/Retro-photos-McDonalds-quaint-burger-joint-glory-days-booming-global-franchise.html
http://mentalfloss.com/article/69309/14-unusual-ways-mcdonalds-did-business-60s
http://www.independent.co.uk/news/world/americas/how-raising-the-us-minimum-wage-to-15-could-lead-to-robot-powered-fast-food-restaurants-10458975.html
http://www.huffingtonpost.com/2014/12/23/mcdonalds-menu-1950s_n_6372128.html
http://forgottennewengland.com/2012/04/26/when-mcdonalds-first-came-to-massachusetts-1960s/

ロボット化か。彼らに「スマイル下さい」と言ったらにっこり笑ってくれるのかね?それにしても昔のバーガーは安いなあ!

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この記事に対するコメント
  1. 日本の名無しさん より:

    初めてマックに行った時、ドナルドが居なくてガッカリした思い出がある。
    大人になった今、何故かピエロが怖いです。w

  2. 日本の名無しさん より:

    大阪かどっかにある無人コンビニって全国的に広まってないよね。PAにあるハンバーガーの自販機もあそこ以外じゃ買わないだろうし。今より人間の数は要らなくなるだろうけど、完全無人店舗は流行らないからないと思うな。
    逆に服とか靴の店はすぐに声をかけてくるのやめた方がいいと思うんだ。声かけたときだけ来てくれて、それ以外は楽器でも弾いてたらいい。

    1. 日本の名無しさん より:

      >それ以外は楽器でも弾いてたらいい

      www。

  3. 日本の名無しさん より:

    マクドナルドのMじゃなかったんだね
    びっくり

  4. 日本の名無しさん より:

    1940年の物価はラーメン一杯17銭 初任給70円

  5. 日本の名無しさん より:

    >魅力的な若い女性がバーガーをデリバリーしてくることは、10代の息子を乗せたファミリーの車に不快感を与えるのではないか、と思ったのです

    田嶋陽子かな?

  6. 日本の名無しさん より:

    ガキの頃、オヤジが新宿に出掛けた時に時々マックをお土産に買ってきてくれた。
    それが忘れられず、その頃のオヤジと同じ歳になった今でも、時々買って食べている。

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