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ロスチャイルド家の興亡から学ぶ

2014/07/22
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ロスチャイルド。誰でも一度は名前を聞いたことがあるでしょう。大富豪? ユダヤ陰謀説? 金融? はたまたワイン?

世界的に有名なロスチャイルドについて皆さんはどの程度ご存知でしょうか。

ロスチャイルド家のはじまり

ロスチャイルド。この有名な一家の中で歴史に初めて登場するメンバーは、1577年生まれのイザーク・エルカナン・ロスチャイルド。

そのロスチャイルド家を現在知られる一大帝国へと変貌させる礎を築いた最初の人物は、古銭商から宮廷の御用商人になったマイヤー・ロートシルト(1744〜1812年)です。

一家の名前は、マイヤーの父が住居兼古銭店としていたフランクフルトの建物のドアに赤い札(ドイツ語でRothschildロートシルト。

これ以後の表記は英語読みのロスチャイルドで統一します)を掲げたため、当時、姓を持てなかったユダヤ人であるマイヤーがこう名乗り始めたことから来ていると言われています。

マイヤーは、フランクフルトで父の古銭店をついだ後、同じ古銭集めの趣味を持つ隣町のハーナウのヘッセン=カッセル方伯家の嫡男ヴィルヘルムと知り合い、1769年には宮廷の御用商人になりました。

マイヤー・ロスチャイルド – 古銭商から銀行家へ

イギリスに傭兵を貸し出すことで欧州随一の金持ちになったヴィルヘルムの事業の一端に関わり、その手形の現金化を請負い始めた頃は、彼はまだ数ある宮廷出入り商人の一人にすぎませんでした。

その後、貿易商としても頭角を現し、息子たちがマイヤーを手伝うようになってからはヴィルヘルムからも重用され、1789年にはヘッセン・カッセル方伯家の正式な金融機関となり、やがて対外借款や大きな投資事業にも携わるようになりました。

こうして、かつての古銭店主は銀行家になっていました。

ときはフランス革命

1789年といえば、かの有名なフランス革命の年。その後、革命が自国に波及することを恐れた欧州諸国がフランスに宣戦布告し、欧州は戦争の地となります。

混乱するフランスで戦果をあげたナポレオンが皇帝になった後も、欧州の混乱は続きます。そしてこの混乱の中で、機を見るに敏なロスチャイルドの事業は拡大していきます。

価格差で儲ける – 商売の基本

まず、戦争のせいで綿花がドイツで不足して高騰したのに目をつけた三男のネイサンが、ちょうど産業革命期にあったイギリスで大量生産された綿布を買い付け、ドイツで売って大儲けしました。

これを元手に、ネイサンはロンドンの金融街シティに事務所を開き、これがロスチャイルドのイギリスでの金融業の始まりとなります。

また1806年、ヘッセン選帝侯となっていたヴィルヘルムの城下町ヘッセンにナポレオンが侵攻したことで選帝侯は国外逃亡しましたが、ロスチャイルドはその巨額の財産の管理を任されました。

フランスの監視をかわしながら大陸中を飛び回って選帝侯の債権回収を行ったロスチャイルド一家は、回収した資金を選帝侯の承認の上で再投資し、大きな利益を得ました。

またまた価格差で儲ける

ナポレオンは1806年、「大陸封鎖令」を出し、敵国イギリスと欧州各国との貿易を禁じましたが、これもロスチャイルドのビジネスチャンスとなりました。

この大陸封鎖令により、欧州大陸では、コーヒーや砂糖、煙草、綿製品等、イギリスやその植民地からの輸入に頼っていた商品の価格が高騰し、イギリスでは逆に、売り先がない商品が暴落しました。

その頃までにロスチャイルド家が確立していた大陸・イギリス間の密輸ルートを活用し、ロンドンにいた三男のネイサンがこれらの商品を安くイギリスで買付け、それを父や兄弟たちが大陸内の通商ルートを使って各国へ運び、売りさばきました。

これにより、ロスチャイルド家は莫大な利益を上げ、また、物資不足にあえいでいた欧州各国からも大変感謝されました。

そして政府御用達に

このルートはイギリス政府の目にもとまり、イギリス政府は反フランスの同盟諸国に送る軍資金の輸送をネイサンに任せました。

ネイサンは、パリにいた末弟ジェームズと連携して、イギリスの金塊をフランス経由でイベリア半島のイギリス軍司令官ウェリントン公爵に送り届けています。

マイヤーの遺言

ロスチャイルドの事業を、ドイツの小さな町の古銭店から欧州規模の政商にまで拡大させたマイヤーですが、1812年に逝去しています。マイヤーは何よりも一族の団結を望み、その遺言の中で下記の5つを命じました。

1. ロスチャイルド銀行の重役は一族で占めること
2. 事業への参加は男子相続人のみにすること
3. 一族に過半数の反対がない限り宗家も分家も長男が継ぐこと
4. 婚姻はロスチャイルド一族内で行うこと
5. 事業内容の秘密を厳守すること

この5つの遺訓が、5人の息子がいたロスチャイルド家を一つに保ち、分裂や縮小を防ぎました。

ロスチャイルド5家の誕生

父の遺言に従い、フランクフルトの事業は長男アムシェルが全て相続し、4人は他の国で事業を始めました。次男ザロモンはウィーン、三男ネイサンはロンドン、四男カールはナポリ、五男ジェームズはパリでそれぞれロスチャイルド商会を立ち上げています。

国単位で分かれたことは、混乱の欧州において、リスクヘッジとしても機能しました。

誰よりも早い情報が競争優位を生む

一家の間の情報共有のため、ロスチャイルドは、専用の駅伝網を持ち、緊急時には伝書鳩も使い、また機密を含む手紙の場合はヘブライ語を交ぜて書くなど配慮していました。

こうして整えた五カ国間の情報伝達体制は、結果として、欧州主要国に関するすばやい情報収集と共有を可能にし、それは貿易や金融においてロスチャイルド家が競合に勝つための武器にもなりました。

例えば、1815年、イギリス・オランダ・プロイセン(現ドイツ)の連合軍がナポレオンを打ち敗った「ワーテルローの戦い」は、ロスチャイルドにとってビジネスチャンスとなりました。

戦争に勝ったのはロスチャイルド?

当時、ナポレオンと戦っていたイギリスは、その軍資金を公債の発行で確保していました。イギリス敗戦となれば、大陸におけるイギリスの利権が急激に失われることになり、つまりイギリス公債も暴落することになります。

実際の戦場は現在のベルギー北部であり、遠く離れたイギリスでその戦果をロスチャイルドよりも早く知ることができた者はいませんでした。

ネイサンはいち早くイギリスの勝利を知り、そして、ロスチャイルド家の情報収集の早さが他の投資家にも有名であったことを十分承知していたため、これを利用して儲けることを考えました。

ロンドン取引所の持ち場にいたネイサンは、青ざめた顔をして急に国債を売り始めたそうです。

そして、これを見た他の投資家は、ネイサンが売っているのだからイギリスは負けたのだ、と考えて我先に売り始めました。これによってイギリス公債は大暴落したのです。

ネイサンは、下がるところまで下がったイギリス公債を大量に買い、翌日、イギリスの勝利が本国に伝わった頃にはそれを売って、巨額の利益を上げました。

この件で多くの投資家が破産し、ネイサンは100万ポンド単位の利益を得たといわれています。これは当時の価値では天文学的な数字であり、既に大きかったネイサンの財産は、この日だけでさらに2500倍になったとか。

このため、「連合国はワーテルローの戦いに勝ったが、実際に勝ったのはロスチャイルドだった」とも言われています。

桁外れなロスチャイルドの資産

この当時、いかにロスチャイルドが桁外れの富豪だったのか、逸話は枚挙にいとまがありません。

例えば、1822年、兄弟5人が揃ってハプスブルグ家のオーストリア皇帝から男爵の位を授与されました。当時、迫害されていたユダヤ人としては異例で、いかに当時の王族がロスチャイルドに依存していたかを示しています。

実際、ネイサンの息子ライオネルの時代に、ロンドンのロスチャイルド商会は18ヶ国の債券16億ポンド(現在の貨幣価値で約10兆円)を取り扱っていました。

また、1875年にエジプトがスエズ運河の株を売りに出そうとしているのを知ったイギリス政府は、フランスより先にその株を購入しようとしました。

しかし。イングランド銀行からお金を引き出すには国会の承認が必要だったため、それでは間に合わず、当時の首相ディズレリはライオネルに急使を飛ばし「明日までに400万ポンドを貸してほしい」と頼みました。

ライオネルは、イギリス政府を担保にこれを即日貸したため、イギリスは17万6000株を購入することができ、スエズ運河の最大株主となりました。

また、1815年当時、5つのロスチャイルド商会の資産総額は333万フランでしたが、3年後には4,200万フランとなり、10年後には1億1,840万フランにもなりました。

このうちパリ・ロスチャイルド商会の推定資産は3,700万フランでした。当時のパリ第2位のラフィット銀行が700万フランなので、いかに桁外れか分かります。

また、イギリス王家で最もお金持ちだったのはビクトリア女王で資産は500万ポンドと言われますが、19世紀の100年間でロスチャイルド一家が稼いだ資産は4億ポンドを超えるとの話もあります。

パリのジェームズはフランスの8大鉄道で12の重役ポストを占めて鉄道王となり、1868年に死去した時の遺産は6億フラン以上でした。これは、フランス国内の他の全ての金融業者の資産総額よりさらに1億5000万フランも多いと推定されています。

米国で勃興した巨大財閥、ロックフェラーやカーネギーに最初の資金を提供したのも、ロスチャイルドの系列でした。ユダヤ人嫌いで有名なJ・P・モルガンも、ロスチャイルドから資金提供を受けて育てられた財閥でした。

こうした逸話から、20世紀初めにロスチャイルド家の資産がいかに大きかったかがわかります。

ロスチャイルドの苦難

そのロスチャイルド家も、フランクフルト本家の断絶や、ロスチャイルド情報網の価値を相対的に下げた電信技術の発達、顧客であった貴族や国家の没落、ナチスのユダヤ人迫害、そしてナチスが侵攻した国での財産の没収などがありました。

さまざまな試練がロスチャイルド一家を襲い、第二次世界大戦が終わった頃には、5カ国に5家あったロスチャイルド家は、パリとロンドンだけになってしまいます。

その後復興し、現在は、スイス・パリ・ロンドンに拠点を置く3つの金融グループを有し、有名なシャトー・ムートン・ロートシルト等のワイナリーも引き続き保有しています。

欧米各国の大企業やマスコミ、金融機関の株も有しており、100年前ほどではないにせよ、世界に大きな影響力を有しています。

ロスチャイルドから学ぶこと

さて、ここまで見てきたロスチャイルドの歴史から、私たちは何を学べるでしょうか。

同じ趣味から貴族の嫡男と知り合い、御用商人に。
市場間の価格の差から、綿花やイギリス関連商品で大儲け。
情報のスピード差から、公債で大儲け。
財産の散逸や家族内の争いを避けるための5つの遺訓。
・・・

漠とした話になりますが、ビジネスチャンスをいかに見いだすか、作り出すか、その力、スピード感。そしてリスク管理。

攻めと守り、その良いお手本がロスチャイルドにあるように見えます。

ユダヤの陰謀などと偏見を持たずに細かく見ていくと、日々のビジネスに参考になる情報がたくさん得られる気がします。

【参考URL】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89%E5%AE%B6
http://en.wikipedia.org/wiki/Rothschild_family
http://www.yahspeople.com/rothschild.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3%E6%88%A6%E4%BA%89
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%88
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20050903

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