「34丁目の奇蹟」という映画をご存知でしょうか?
ニューヨークのマンハッタンにあるデパートを舞台に繰り広げられる心温まる映画ですが、この映画の知っている人は、サンタクロースのことを思い浮かべる人はたくさんいるかと思います。
それもそのはず。今では、クリスマスを前に、デパートに現れたサンタクロースが、子供たち一人一人を膝に乗せ、クリスマスに何が欲しいか聞き、子供たちと写真を一緒に撮る光景は珍しくないです。
しかし、デパートの宣伝としてサンタを呼ぶことに力を入れたのは、映画の舞台となったデパートのオーナで、映画にはちゃんとそのシーンが出てくるのです。
デパートは、アメリカでとても有名な「メイシーズ」。映画のタイトルにもある様に、34丁目、つまりニューヨーク市のど真ん中にあります。
そして、オーナーの名は、ローランド・ハッシー・メイシー。彼は、失敗をしながらも、それをバネに成功したビジネスマンとして知られています。
メイシーズのデパートは、日本人の観光客も多く訪れ、日本でも知られていますが、残念ながら、彼の事はあまり知られていません。
ニューヨーク市のど真ん中にデパートを建ててしまうなんて、普通の人ができることではありません。さらに、彼は、ゼロから始めたのです。そして、たくさん失敗を経験しました。失敗をバネに、成功をつかんだ彼から学ぶことはたくさんあります。
捕鯨の仕事から印刷の仕事へ
彼は、マサチューセッツ州にあるナンタケットという小さな島で生まれました。
そして、彼の初めての仕事は、なんど捕鯨船での仕事でした。マンハッタンの大手の百貨店のオーナーが、捕鯨船で働いていたなんて、驚きですね。いかに、彼が自分の力で、道を開いてきたかが分かります。ただ、彼の家族はこの捕鯨でたくさんの富を得ました。
そのまま、捕鯨の仕事を続けていても、裕福な暮らしができたのですが、彼はそれに満足しませんでした。実際、彼が初めて捕鯨船で船出をして儲けたお金は550ドル(約5万5千円)でしたが、彼はお給料が仕事の割りにあまりにも少ないと感じた様です。
これを機に、彼は、ボストンに移ることにします。
ここで就いた仕事は、印刷会社で彼は見習いの身でした。この道を選んだのは、彼が尊敬していたアメリカの政治家、ベンジャミン・フランクリンが印刷業で働いていたからでした。
ベンジャミン・フランクリンは、現在、アメリカの100ドル紙幣に肖像が書かれている程の人物で、アメリカ独立に貢献した人です。
ボストンに上京した時の彼は、19才でしたが、19才にしてベンジャミン・フランクリンの事を夢に見ていたメイシー。夢を実現するためには、まずは大きな夢を持つことが大切なのかもしれません。
ただ、印刷業は、彼には合いませんでした。
お店をひらく
21才の時に、生地や洋服を扱った店を開きます。この時の経験が、彼を強くしたと言います。
彼は彼の兄弟とお店を開きましたが、お店はうまくいかず失敗続きだったのです。この逆境はなんと10年ほと続きますが、このビジネスがうまくいかなった経験が彼のビジネスマンとしてのセンスを磨いたといいます。
そして彼が驚異的だったのは、これだけビジネスに失敗しても自信と夢を失わずにいたこと。ビジネスがうまくいかず、お金もついた為小売店から一旦手を引きますが、またこの道に戻ってくるのです。
失敗からのアイデア
小売店の経営に失敗した彼。洋服などを扱った店を持つ夢をあきらめることができず、彼は、資本を得るためにカリフォルニアに渡りました。そうです、その頃カリフォルニアは、ゴールドラッシュ。一攫千金を狙った彼は、見事に彼が欲しいものを手に入れました。
彼が、カリフォルニアで手にしたお金は4000ドル(約40万円)でしたが、当時マサチューセッツ州でお店を開くには十分でした。この時のお店が、今の「メイシーズ」のはじまりです。彼が29才の時でした。
この時に、彼は小売店の失敗から得たことを教訓に、ユニークなことを2つ試みます。
1つは、現金ではなくクレジット払いが主流だった中で、現金で買ってくれた人には安い値段で商品を提供したこと。そしてもう1つは、当時は値段の交渉をすることが多かったのですが、値段を固定したことです。
彼のこのアイディアは、当時にしては、とても斬新でした。
ただ、マサチューセッツ州のお店は、またまたうまくいきませんでした。彼が36才の時でしたが、何度も商売に失敗しながらも、彼は自分の大きな百貨店を持つ夢を諦めませんでした。
彼ほどに夢を貫く人は、なかなかいないでしょう。彼は、マサチューセッツ州のお店を諦め、また違う場所にお店を開きます。
遂に成功
彼が選んだのは、なんとニューヨーク市。この時は、34丁目ではありませんでしたが、マンハッタンの繁華街でした。
彼が新しいお店でこだわったのは、現金ベースにすること。彼が何かお店に仕入れをする時にも、現金で払っていました。そして、遂にこの時初めて、彼はビジネスでの成功を得ました。
彼がお店を開いたころは、アメリカの経済は不況にさしかかっていましたが、彼は1年でなんと9万ドルの売り上げを上げました。この金額は当時としては大金で、彼が一年目にして成功したと言えます。
彼は、それまでの失敗から学んだことを教訓に、彼が信じることころを実践していきました。
百貨店構想と工夫
彼が狙いをつけたのは、百貨店構想。1つのお店に、様々なお店が入っている百貨店は今では当たり前ですが、当時としては珍しく、彼が大々的に小さいお店を「メイシーズ」に集め、今の百貨店のモデルを作り上げたと言えます。
また、彼は、「メイシーズ」をただの百貨店に終わらせませんでした。この時に、彼が実践したことは、主に2つ。
1つは、メイシーズのオリジナルグッズを作り、販売したことです。ティーバックやタオルなどのメイシーズグッズがそうです。
そしてもう1つの工夫は、実際に店舗を訪れなくても買えるよう、文書による注文を受けつけたことです。
現在は、インターネット販売は当たり前のものになり、お店によってはインターネットでの売り上げが重要になっていますが、インターネットもなかった当時、文書で注文することは、革新的なことでした。
さらに、彼が百貨店業界にもたらした大きな功績が2つ。
1つは、百貨店の宣伝をそれはうまくやったこと。冒頭に紹介したサンタクロースも、クリスマス商品の売り上げを上げるための宣伝の1つでした。
ご想像の様に、この考えは大当たりです。サンタクロースをデパートに呼ぶことは、百貨店が馴染みでなかった人達を百貨店に足を運ばせるいい機会になりました。そして、サンタクロースによって、クリスマスシーズンの売り上げは大幅に上がったのです。
そして、もう1つの功績は、皆さんにはお馴染みのショーウインドーです。デパートの前にはシーズンごとに目玉商品が綺麗に飾られていますが、このショーウインドーの装飾や照明に力を入れたのも彼なのです。
また、彼の功績は実はこれだけではありません。彼は若い頃に印刷会社で働いていましたが、この時の経験からメイシーズの紙面による宣伝はそれは上手く、他のお店が太刀打ちできない程でした。
メイシーズを思い浮かべさせるキャッチフレーズを作り、何度もチラシに載せ、メイシーズを一般の人に印象づけました。
そして、彼は能力があると女性でもCEOとして採用しました。当時、女性がCEOになることは大変珍しいことでした。
彼は、社会の風潮よりも自分の信念を貫くことを優先していたとも言えます。彼の右腕になったのが、女性のゲッチェルさん。彼女のサポートもあり、メイシーズは100万ドル(1億円ほど)の収入を得るほどになります。
まとめ
メイシーズは、その後55才という若さで亡くなりますが、ニューヨークタイムズでは、「彼はほとんど何もない状況から始め、世界で最も有名で成功した商人になった。」とコメントし、彼のことを称賛しています。
日本では、彼の名前はメイシーズ百貨店の名前から知られていても、彼の生き様そのものは、あまり知られていません。
皆さんは何か彼の生き様から人生のヒントを得られましたか?私たちも、彼の様にどんなに失敗してもあきらめず、信念と夢を貫くことができたらいいですね。
【参考URL】http://www.success.com/article/profiles-in-greatness-rowland-h-macy
日本でそのやり方で通用したのは江戸時代初期だな・・・