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吴亚军[Wu Yajun] 0から始めた中国女性不動産家 

2015/01/12
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2012年 `世界の0からの起業家富豪リスト‘ 女性の部でNo1に選ばれている吴亚军[Wu Yajun]。2014年 アメリカ・フォーブス社`世界の影響力のある100人の女性‘の中、41位にランク付けされています。いったいどんな女性でしょうか?

生い立ち

吴亚军は1964年中国 重慶から50キロ離れた小さな町で生まれます。

母親は裁縫業を営む、ごくごく普通の決して裕福ではない家庭でした。彼女も子供の頃から裁縫を覚え、自分で中国の伝統衣装チーパオを作ります。小学生のころから、先生によく褒められる、かわいがられる子供でした。

先生曰く、`自分の娘のよう‘ そんなこともあり、この頃、ある先生(張先生)の娘ととても仲良くなります。彼女とその友人(張先生の娘)はのちにビジネスを進めていくうえでもとても重要な信頼できるパートナーとなります。

高校時代の彼女を覚えている担任教師は、「印象に残っている生徒。成績はいつも上の方。話し方や、行動の仕方が男子生徒のようで、男の子のようだった。」と語っています。

「彼女は話をよく聞くし、とても賢い生徒だったけれど、ほかの生徒との交流はさほどないようだった。クラスの中で、仲の良い友達というのはいなかったのではないかー」とも語っています。

当時の彼女の夢はキュリー夫人のようになること。文系の成績は大変良く、彼女の作文はしばしば先生からほめられます。

しかし、いざ大学を受験するときになって、彼女は理系のコースを選択したのです。女子は論理的な思考にかける部分があるから、それを学ばなければと。

進学そして就職

1984年に西北工業大学を卒業。卒業後、国営企業で機械設計に携わります。当時彼女と共に働いた同僚は、彼女を「人との出会いを大切にする、謙虚な、同時に落ち着いた静かな人」と記憶しています。

名門大学の卒業生と共に、仕事の良くできた彼女は、当時としてはかなりの高給を得ていました。ある時、工場にドイツからのお客様がみえることになりました。

そのことを聞きつけた彼女は、通訳を買って出、また自身で作ったチャイナドレス(チーパオ)を着て接待したいと申し出ます。静かながら、仕事にはとても熱心で積極的な人でした。

1988年、中国内の社会、経済制度の変化に伴って、多くの人が国営企業から民間企業へ移動、あるいは自身で起業します。この時彼女は、とある有名ではない出版社へ転職し、工業科出身を生かし、専門誌の記者、編集者となります。

業務内容に伴い、この頃彼女は重慶市建設部や重慶市建設委員といったところへ取材に出かけ、官僚たちと知り合うことになります。

独立・起業

1993年、自身で会社を立ち上げ、不動産業に参入します。1995年、幸いなことに、重慶の`小規模住宅模範工程‘の開発権の入札に成功。初の不動産開発に取り組みます。

`龍湖花園=ドラゴンレイク・ガーデン‘。豊富な経験があるわけでもない、ノーブランドの開発業社です。しかし、初めての大きなプロジェクト。彼女は全精力を傾けます。

`どんな決定をするにも何度も話し合った。どんな小さなミスもないようにして、何の欠陥もない最高のものを作り上げたいと願った。‘と振り返って言います。

折しもマイホーム・ブーム。見学者に対して、この土地にはどんな草花が向くか、植樹の密度はどのくらいが適当か、建物の高さはどのように決定したのか、使用した鉄筋はどのサイズかー 彼女は一つ一つ細かに説明しました。

サービス態度の良い企業―と評判も上々。加えて`模範工程‘の名の下での開発計画。彼女の進んで学ぶ精神と、豊富なアイディアによって、このマンション+緑地開発プロジェクトは大成功します。

この成功を受け、中建科産業合資会社と共に、`重慶中建科置業会社‘を設立。住宅開発を主要な企業戦略とし、開発計画をさらに進めます。のちに`重慶龍湖地業‘と名称を変え、重慶のみならず、中国西部、広東省、華南、華中へと拡大していきます。

発展

2004年、香港の世界500強の不動産会社と提携。40億人民元を投資し、`大竹林‘ と銘打った現代生活エリア開発計画に取り組みます。この提携によって、まだ十年少しだけの彼女の会社は、100年企業に飛躍的に拡大したーといわれます。

2009年、香港株式市場上場。

2011年 吴亚军と家族の総資産額は420億人民元となり、中国女性トップとなりました。

彼女の仕事ぶり

女性トップ不動産家の名を手にしても、彼女は依然人目に触れることを望みません。サインに応じない、表舞台に出ない、インタビューに応じない人として知られています。ネット上の写真も5枚に満たないのではないかーといわれるほどです。

実際の彼女は、開放的でありながら慎重な人といわれています。重慶龍湖地業社の中に副と付く立場はありません。また彼女に秘書はいません。自ら企業家たちの会合に出席し、交流を深め、専門的な知識を学びます。

しかし確かでないこと、確定していないことに関しては決してメディアの取材に応じません。外部の人から見ると、静かで動じない人と見られがちですが、会社内部の人々は、彼女は`仕事の鬼‘と称します。

彼女の最大の楽しみは仕事なのです。外からの賞賛に対して「私はただ行動する人」と簡単に応えています。

なぜ不動産業か?

機械設計、記者と、以前はまったく異なる畑にいた彼女がなぜ不動産業を始め、ほんの十数年で、20億人民元以上の成績を上げるようになったのでしょうか?彼女は笑ってこう言っています。

「私は`怒れる若者‘だったの。社会の理不尽さに対して。不動産業を始めたのはたまたま縁があったから。それ以前に、家族と共に家を購入したんですが、この家がひどかった。

80平方メートルの大きくも小さくもない普通の家ですが、まず、引き渡しまで1年待たされた。入居後一年間ガスが使えず。電熱器で料理するしかなかった。

当時は電気の供給も安定していなくて、電熱器で料理していればエアコンを使えず、エアコンをかけていれば料理できず。夏はもう悲惨でした。それだけでなく、家の設計も大いに問題があって、採光が悪く、リビングに窓がなかったんです。

エレベーターは24時間稼働ではなく、しかもしょっちゅう故障ばかり。

そんな感じだったので、自分で安心して住める住宅を開発したらどうかと考えて。きっと多くの人がそうしたものを願っている、住宅不動産にはまだまだ開発、発展の余地があると見て取ったんです」

日本ではなかなか考えられないことですが、当時の中国の実情に、ビジネスチャンスを感じ取った吴亚军。また、どんな仕事にしても‘仕事の鬼`といわれるほどに全精力で打ち込む姿勢。結果、短期間での大きな成功に至ったのです。

【参考URL】http://baike.baidu.com/view/994462.htm
http://www.lz13.cn/lizhirenwu/29611.html

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