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アメリカンドリームを成し遂げレジェンドとなった男タイラーペリー

2014/06/09
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お金持ち=アメリカンドリームを実現した人、と結びつける人も多いのではないでしょうか。アメリカ合衆国 第三代大統領トーマスジェファーソンの独立宣言の中に出てくる言葉で、「幸福の追求」の権利として、「すべての人間は平等であり、神により生存、自由、そして幸福の追求など侵すべかざる権利を与えられている」とされているものがある。

この与えられた権利をもとに機会を生かし、努力と勤勉さによって成功を勝ち取ることができるとされているところからアメリカンドリームの概念があるといわれている。

アメリカのエンターテイメント業界は、ユダヤ系アメリカ人が業界を牛耳っていることは良く知られています。人種・年齢・性別に関係なく能力・才能に恵まれたものならだれでもチャンスをモノにできる、自分を信じて業界でアメリカンレジェンドと呼ばれるようになったひとりの男性のアメリカンドリーム サクセストーリーを紹介したいと思います。

貧しい生活と辛い虐待に怯える少年時代

彼の名前はタイラーペリー。 アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオリンズ生まれの劇作家、俳優、監督。彼は今の成功からは想像できないほど不遇で、貧困家庭に育ち、家庭内虐待に日々恐れながら暮らしてきました。

高い評価を受けている彼の芝居、映画、出版本、テレビドラマなどからも見受けられる通り、彼は不遇にさらされた環境の中に自分を置かざるをえなかったときでも、彼の基盤といえる「「強さ」「信仰」、「忍耐」を培ってきました。

テレビがきっかけで転機が訪れる

タイラーペリーのキャリアが実際に動き出したのは、ちょっとしたオプラ・ウィンフリー(※1)からのアドバイスだった。
※1 オプラウィンフリーとは、アメリカの俳優、テレビ番組司会者、プロデューサー。彼女がホストを務める番組「オプラウィンフリーショー」はアメリカ国内トーク番組史上、最高の番組と絶賛され、多数の受賞をしている。世界で最もリッチなアフリカ系アメリカ人とされている。

1990年代初め、オプラウィンフリーショーで組まれた特集に、「その日思ったことや体験した内容をつづる日記を毎日つけるよう」という特集が組まれていた。それを見たタイラーは、このアイデアに共感をおぼえ、アドバイスに従って、タイラー自身、ソウルサーチング(自分探し)のために、自分宛の手紙を書き始めた。

手紙には、数えきれないほどの心の痛み、叫び、許しを乞う内容が書き綴られ、次第に心にあるわだかまりを解消する術となっていった。

まさかの大失敗で貧困生活へ…

彼の執筆はミュージカル挑戦へのインスピレーションとなり、1992年 I know I’ve Been Changedを書き上げ、今までためてきた貯金をかき集めて、公演チケットが完売になることを願いながら、アトランタへ飛び出した。

全財産をつぎ込んだ公演だったにもかかわらず、観客がほとんど集まらなかったため、再び貧しい生活へ逆戻りを余儀なくされた。 辛い失敗だったと今振り返る。何か月もの間、みすぼらしいモーテルと自分の車で寝泊まりしていましたが、神への信仰はさらに揺るぎのないものになっていった。

教会との関係を強固なものに作り上げる努力をしながら、さらに執筆をつづけていた。

諦めない心が成功への架け橋となり…

1998年、彼の忍耐強さとI Know I’ve Changed 本のプロモーション活動は報われ、ようやく教会の力添えもあり、限られた上演回数だが教会を劇場に変えて行えるところまでこぎつけました。

今回は、以前の失敗の時とは違い、沢山の人が劇場に足を運び、やがてこのミュージカルはアトランタでは有名な Fox Theatre (フォックスシアター)で公演されました。そしてタイラーペリーの素晴らしいところは決して過去を振り返らないところです。

Woman Thou Art Loosed!.を含めて、数年の間に13本の上演を行い、またコラボレーションとして、ダラスの著名なT.D. Jakes牧師とのコラボレーションもやり遂げます。2000年には I Can Do Bad All Myself を上演する。

この舞台はのちのMadeaシリーズの最初の登場作品となります。神をも恐れない、銃を持ち、スパスパとマリファナを吸い、大声でおしゃべりをするおばあちゃん、Madea(マデア)をタイラーペリー自身が演じた。マデアは際立った成功で、のちにこの「マデア」シリーズが展開される運びとなった。

映画業界へのチャレンジ

2002年 Madea’s Family Reunion、2003年 Madea’s Class Reunion、2005年 Madea Goes to Jail。舞台では成功者となり、タイラーは映画界へチャレンジすることとなります。

2005年の初めには、タイラー自身初の監督デビュー作品、映画「Diary of a Mad Black Woman」を公開し、全米でナンバーワンとなる。さらに

「Madea’s Family Reunion」
「Daddy’s Little Girls」
「Why Did I Get Married?」
「Meet The Browns」
「 The Family That Preys」
「 I Can Do Bad All by Myself」
「 Why Did I Get Married Too?」
「For Colored Girls」
「Madea’s Big Happy Family」
「Good Deeds」
「Madea’s Witness Protection」

と作品を映画公開し、大規模な商業的成功を収めて、アメリカ国内にとどまらず世界中のファンを魅了している。

アカデミー賞を獲得する映画も!

彼の34th Street Film プロダクション、オプラウィンフリーのHarpo Film、ライオンズゲート配給会社との共同で、アカデミー賞ノミネーション作品「 Precious:邦題 プレシャス(ニューヨークの詩人・作家サファイヤ原作)」の公開にも一役買っている。【参考URL】http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tydt/id335599/

2006年には、初の書籍「Don’t Make A Black Woman Take Off Her Earrings: Madea’s Uninhibited Commentaries On Life And Love」を出版する。のちにNew York Timesノンフィクションベストセラーリストのトップに8週間位置する。

Quil Book Awards 「ユーモア大賞」と「ブック・オブ・ザイヤーBook of the Year(優秀新人作家のカテゴリー)の両方を受賞したことで、タイラーペリーの独特の「感動させるエンターテイメント感」に魅了される人が増えることとなった。

タイラーペリーブランドはすでに帝国を築きつつある。

映画業界の後はテレビ業界にも進出

2007年には、彼はテレビ業界に食指を伸ばし、TBSシリーズの「House of Payne」を制作。番組は全国展開のケーブルテレビ局で初放映時に過去最高の視聴率をおさめた。

そのあとに放映が決まった「Meet the Browns」は初放送視聴率としては House of Payneに次ぎ、歴代2番目の数字を占めることとなった。2012年後半には、オプラウィンフリーとタイアップし、彼女のケーブルネットワーク、OWNに脚本提供の独占契約を結ぶ。

1時間のドラマ番組「The Haves and The Have Nots」 、30分ドラマ「Love Thy Neighbor」が2013年5月に放映デビューされる運びとなった。

休むものには成功はない。タイラーペリーとアトランタを本拠地として働いている350人のスタッフは休むことを知らない。映画最新作「Temptation: Confessions of a Marriage Counselor」 が2013年5月に公開され、Rob Cohen監督の Alex Cross に出演。

2013年には、舞台と同タイトルの映画 A Madea Christmas続々と出演作品が続いていた。2014年には 「The Single Moms Club」脚本兼監督として従事した。

他を圧倒するまでのスタジオも作成

2008年の秋、ペリーはアトランタに20万フィート平方のスタジオを開設しました。スタジオには、5つの音響ステージ、撮影後の編集施設、池、映画の撮影セット、400席をそなえた劇場、プライベート映写室、娯楽とホストイベント用の施設に使える広いエリアが用意されています。

タイラーペリーに耳を傾けると、かつては登ることを夢見た成功という山の頂上に辿りつくまでに、彼を今まで支えてきてくれた人たちのことは忘れていない、と語る。

差別を受ける黒人への慈善活動も

彼の故郷であるルイジアナで起こったJENA6事件(2006年ルイジアナ州ジェナという町で起こった白人学生と黒人学生との間におこった不公平に起訴された黒人学生の事件)や、ホームレスをサポートするチャリティ、

Feeding America
Covenant House
Hoses Feed the Hungry
Project Adventure
Perry Place

や、ニューオリンズでハリケーンカトリーナの被害にあった人たちのために、20ものホームコミュニティを建設しています。2009年には、郊外の水泳クラブでは肌の色が原因で利用を拒否されたことを知った後、65人の子供たちのウォルトディズニーワールド旅行へのスポンサーになったといいます。

また、コミュニティーのつながりを大事に考える彼は、教会2つを建設し、またNAACP (米国黒人地位向上会)へ多額の寄付も行っています。2010年には、ハイチ地震の被害者の生活再建支援のために、タイラーペリー基金から100万ドルを捻出すると約束した。

タイラーペリーは、彼の作品の中で何百万人というファンに向けて、スピリチャルなメッセージと南部特有の素朴なユーモアを絡ませながら、作品を通して、人々を元気づけています。

【参照元】
ttp://tylerperry.com/biography/

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