地元中国では、ジープのCM・アウトドア用品ブランドのCM等のモデルとしても知られる
王石【Wang Shi】
彼は中国最大住宅開発業者の創業者であり、会長です。また、社会主義国において、不動産開発業を、国内で初めて株式化した人物でもあります。
いったいどんな人物でしょうか?
背景
1951年、広東省に生まれます。王石の父親は安徽省出身で、河南省の鉄道局に勤めていました。
彼は17歳で、軍に入隊します。当時、中国は文化大革命の真っ盛り。
`若者は皆農村へ働きに行くように‘との政策でしたから、この時、彼が農村での厳しい肉体労働を経験することなく、直接入隊できたのは、父親の立場が大きく関係していたことでしょう。
とはいっても、彼が派遣されたのは自然環境の厳しい新疆自治区トルファン。ここで運送兵として5年を過ごします。夏の炎天下、冬は手も足も凍り付く寒さの中、厳しく鍛えられました。
1974年、兵役を終えて、父親の働く河南省鉄道局に入り、修理工として働きます。鉄道局では、働きの良い従業員が大学に行けるシステムがあります。
こうして彼は、兰州大学に進学することができ、そこで政治経済学及び給排水工程について学びます。3年間で卒業し、再び鉄道局へ。このたびは広州に配属されます。
深センへ
1983年春、すでに結婚し子供もいた王石宅へ、深センから親戚が訪ねてきます。もともと彼もよく知っている、あか抜けないごくごく平凡な夫婦が、非常におしゃれになってやって来たのです。
伯父の方は台湾産のジャケットを着、叔母は大きなカールヘアです。彼は直観します。`深センで変わったんだ。深センではいったい何が起こっているのだろう?‘と。
そして 彼は深センへ行って見てこようと出かけます。
1983年5月7日、彼の人生の中で大きな転換点です。汽車で広州から深センに着きます。
そこで彼が見たものは、街全体が巨大な建設用地のような光景。興奮と嬉しさと恐れと。さまざまな感情がこみ上げてきました。
そしてこの気持ちが、この地でのチャンスを手に入れようと彼を動かしたのです。
起業
開発著しい深センで、何か大きなチャンスを感じます。しかし何をしたらいいのでしょうか?
ある日、彼は深センの街を歩いていて、高く積み上げられたいくつもの缶詰を目にします。中身はトウモロコシです。
聞いてみると、アメリカの穀物会社と深センの養鶏業者の合資会社で、飼料生産メーカー[正大康地]でした。広東省ではトウモロコシが採れないため、アメリカ・タイ・中国東北部から仕入れているというのです。
中国東北部のトウモロコシも、物流の関係で、直接現地から輸送されてくるのではないと言います。
彼は、飼料メーカー[正大康地]に掛け合います。`自分は物流の問題を解決でき、組織的に仕入れることができます‘ と。メーカー側は「ぜひ、すぐにでも契約しましょう!」と二つ返事で同意します。初回、いきなり大量注文です。
しかし、彼はこの時中国東北部と深センの物流について何も知らなかったのです。ただ、大きなビジネスチャンスをみすみす逃したくはありませんでした。
彼は、幾度かの商談によって中国東北部から広州までの海上輸送を確保し、こうしてトウモロコシビジネスを開始します。`特発公司 飼料部‘の設立です。
初回、30トンのトウモロコシ。この時彼は、メーカー側は現金で支払いしてくれるものとばかり思っていました。しかし渡されたのは、一枚の紙切れのみ。何の意味か分かりませんでした。彼は、小切手も銀行口座振替も知らなかったのです。
この経験を通し、ビジネスを行っていくには、まず財務についてきちんと学ばなければーと気が付きます。こうして毎晩どんなに遅くても2時間、財務・経理関係の本を読むことに決めます。
事業拡大
3か月後 財務にも通じた彼は、トウモロコシだけでなく、ありとあらゆるものの貿易を始めます。
当時発展著しい深センでは様々なビジネスチャンスがあり、ほとんどが大きな利益を上げていました。彼も日本から電気製品・デジタル製品の輸入。腕時計工場・飲料品工場・印刷工場・衣料品工場の経営・投資と、手広く事業を拡大します。
彼の会社`特発公司‘は知名度を上げていきます。彼は当時を振り返ってこういいます。
当時昼はパン一個だけというのは日常茶飯事だった。従業員に率先して、150キロの飼料袋を運ぶのもしょっちゅうだった。何も話したくない、自閉症になったのではと思うくらいつらい時もあった。
どうやって乗り越えてきたのか?-自信は無くさなかった。それが力になった。
と。
不動産業へ
1988年 社名を`万科‘と改め、不動産業へ参入。そして翌1989年、国内不動産業界初の事として、株式化へ改造します。
そして2800万人民元の資金集めに成功。1991年、正式に深セン株式市場へ上場します。
こうして中国内で最も早くに株式上場した不動産開発業者となりました。同時にこの時までに手掛けていたほかの事業の売却を開始します。
不動産業一本にしようと計画したのです。そして不動産専門企業として、国内十数の大都市へ事業を展開します。
ビジネス戦略
`25パーセント以上の利潤はあげない‘ このふれこみで、事業をすすめます。中国社会主義初期の市場、とりわけ1992年、暴利を上げる開発業者が少なくなかった中、この営業戦略は人々の関心を集めます。
`庶民の味方‘の企業イメージを作り上げ、`万科集団‘の住宅開発計画は非常に順調に進みます。
2010年 売上面積897,7万平方メートル。売上高1081億人民元。純利益72.8億人民元。この数字は、アメリカの4大住宅メーカーの最盛期売上合計に相当する数字です。
プライベート
王石はとても多趣味な人物です。一番の趣味は登山。ほかスキー・スカイダイビングも楽しみます。
中でも登山は本格的です。すでに7大陸の最高峰に登頂。つまり、エベレスト登山にも成功。さらに南極・北極探検も成功させています。
彼のアウトドア好きはよく知られており、有名アウトドア用品メーカーのCMにモデルとして登場したり、ジープのCMにも出演しています。1年の3分の1をこうしたアウトドア(しかも危険を伴うものもある)を楽しんで過ごしているのではーとも言われるほど。
そのため、株主たちからは、批判もあります。`業務を行っていない‘と。
しかし彼は言います。
「一般社員に言うかのように言わないでくれ。会長に向かってそのような言い方はしないでくれ」
そしてこう言っています。
1:重要な決定において、社の方向性を示すこと。
2:決定を監督すること。
3:責任をもって新たな人材を育てること。
もし自分が万科を離れれば、万科は息も切れ切れになってしまうーそれこそ危険だ。
と。
「何かを成し遂げたい」という強い願いを果たし、時間をかける趣味を楽しむ。恵まれた背景も大いに影響しているようです。
それに加え、自分の理想を強く持ち、そのために努力を惜しまない。自信をもって突き進む。そんな王石の人物像が見えてきます。
【参考URL】http://baike.baidu.com/view/99576.htm
http://baike.baidu.com/view/338652.htm?fromtitle=%E4%B8%87%E7%A7%91%E9%9B%86%E5%9B%A2&fro
http://finance.qq.com/a/20101104/001872.htm