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エクセルやワードを開発した天才プログラマー。チャールズ・シモニー

2014/08/09
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エクセルやワード。お世話になっている人多いですよね。この記事もワードで作っています。

このお馴染みのソフトウェアの開発者、チャールズ・シモニーが今回のお話の主人公です。世界有数の大金持ちであり、最近では世界で5番目の宇宙旅行の体験者となりました。

天才プログラマーにして、宇宙を旅する男。彼はいったいどんな人物なのでしょうか。

若きコンピュータの天才

チャールズ・シモニーは、1948年、ハンガリーのブダペストで生まれます。父親、カーロイ・シモニーはブダペスト工科大学の電気工学の教授でした。

シモニーは、高校在学中にコンピュータに興味を持つようになります。

そして、コンピュータ研究所で夜警のバイトをしながら、研究所のエンジニアからプログラムを教えて貰いました。当時、研究所にはハンガリーには数台しかなかったコンピュータがあったのです。

高校を卒業する頃には、すっかりコンピュータのエキスパートになったシモニーは、いきなりプロのプログラマーになってしまいます。彼の作成したコンパイラが政府機関に高値で売れたのです。

1966年、弱冠18歳のシモニーはそのコンパイラの経験を見込まれて、デンマークのコンピュータ会社で働くようになります。その会社で、さらにアメリカでコンピュータの勉強をするためのお金を稼ぎました。

そして、コンピュータの聖地、アメリカへ

1968年、シモニーはアメリカに渡り、念願の名門カリフォルニア州立大学バークレー校に入学します。バークレー校では大学のコンピュータセンターで働きながら勉強を続け、1972年に物理数学と統計学の修士号を取得しました。

その後、シモニーは、同じく名門のスタンフォード大学に進み、しばらくしてからゼロックスのパロアルト研究所でも働き始めました。

当時のパロアルト研究所はきら星のごとく、アラン・ケイ、バトラー・ランプソンといった今のコンピュータを作り上げたパイオニア達が集っている場所でした。

パロアルトでシモニーも世界最初のパーソナル・コンピュータの一つ、Xerox Altoの開発に携わります。彼が開発したのは、Alto のためのプログラム、WYSIWYGワープロソフトのBravoでした。

WYSIWYGとは?それは、画面上で見たままの結果がそのまま出力されるという、今では当たり前の技術ですが、この技術を最初に開発したのがシモニーだったのです。

スタンフォードでも、シモニーは一際才能の目立つ存在で、教授からも高く評価されます。1977年、シモニーは無事にスタンフォードで博士号を取得。

その後1981年まで約10年間、パロアルト研究所で働きました。

マイクロソフト社の伝説のプログラマー

「パロアルト研究所をそろそろ離れようか。」

そう考えたシモニーは、元同僚から「誰と会うべきか」というリストを渡されます。そのリストのトップに書かれた名前がビル・ゲイツでした。シモニーはマイクロソフト社で働くことを決意します。

1981年、シモニーはアプリケーション開発ディレクターおよびチーフ設計者としてマイクロソフト社に移ります。

そこではチームを率いて、Multiplanや後にマイクロソフト社のベストセラーソフトウェアとなるMicrosoft ExcelやMicrosoft Wordの開発に携わり、一躍名を馳せるようになります。

シモニーは「ハンガリアン記法」という変数を命名するための方法も生み出します。

この方法は、プログラマーがソースコードを記述しているとき、変数名やクラス名などの識別子に特別な接頭語、接尾文字をつけることで、識別子の使用方法などが簡単にわかるようになる方法で、今でも広くマイクロソフト社で使われています。

およそ20年間に渡り、シモニーは、劇的に進歩していくソフトウェアの世界で、マイクロソフト社の全盛期時代を支えたトップレベルのソフトウェア開発者の一人として活躍しました。

そして、2002年、長年勤めたマイクロソフト社を離れ、シモニー自身の会社「Intentional Software」を立ち上げ、そこで自分の考え出した「インテンショナルプログラミング」の研究を続けています。

宇宙に飛び立つプログラマー

シモニーには少年時代からの夢がありました。宇宙へ行くことです。そして、その夢が遂に実現する日が来ました。2006年、「Space Adventures, Ltd」と契約し、宇宙旅行の切符を手に入れたのです。

ソフトウェア開発者である一方、シモニーは飛行士としても訓練を積んでいて、ヘリコプターを始め、あらゆる飛行機のライセンスを持ち、2000時間以上の飛行時間の記録を持っていました。

2007年、メディカルチェックを受け訓練を受けた後、遂にミッションを受けて宇宙に飛び立ちます。

彼のミッションは、民間人の宇宙飛行を推し進めることと、宇宙ステーションの研究のアシスト、世界中の若者に宇宙旅行の科学に興味を持ってもらうことでした。シモニーは、最初に宇宙ステーションに到着した時の経験を驚きと共にこう語ります。

「すべてが壮大で「ぶっ飛んで」しまった」と。

シモニーは、この2006年のフライトの後、2回目の宇宙旅行を果たしました。宇宙旅行を2度体験したのは、シモニーが初めてでした。

彼は、このフライトで、バージニア州ブリストーの小学校などと無線で交信したりしました。シモニーはこの2回の宇宙旅行に6000万ドル(約60億円)支払っています。

華麗なる億万長者ライフ

2008年にシモニーは、32歳年下のスウェーデンの富豪令嬢と結婚します。スウェーデンで開かれた結婚式には、ビル・ゲイツがわざわざ駆けつけました。

ワシントンに豪壮な屋敷を構え、豪華ヨットを購入したりする一方、妻と共に様々な慈善活動も活発に行っています。

科学と芸術のための財団を設立し、芸術、科学、教育分野で素晴らしい業績を持つ組織に何千万ドル単位の寄付をしています。寄付先はオックスフォード大学、シアトル交響楽団、シアトルの公立図書館、デンマークの美術館など多岐にわたります。

この膨大な資金を支えているのが、彼の個人資産です。その総資産は、およそ1億万ドル(約100億円)になると言われています。

そして、この資産の源になっているのは、マイクロソフト社のストックオプションなど彼が開発したソフトウェアの賜物なのです。

好きなことは仕事です

若い頃より才能に恵まれ、ひたすらプログラミングの仕事に取り組んできた人生でした。シモニーは言います。

「自分がプログラミングをするのは仕事だからだ。好きだからじゃない。プログラミングが好きじゃなくて、仕事が好きなんだ。」

彼は、自分の書いたプログラムに喜びを見出すのではなく、人々がそのプログラムを使って、それを楽しんでくれることに喜びを見出すプログラマーでした。ここにこそ、彼の成功の秘訣があります。

莫大な資産を持つ大金持ちになっても、シモニーはこんなことを夢見ています。

「自分のライバルのプログラマーたちと組んで仕事ができたらすごいことができるんじゃないか。火星人が襲ってきたらコンピュータのマンハッタン計画に取り組まなくちゃいけなくなるかも。そうしたら、ニューメキシコに皆閉じ込められちゃったりしてね。」

【参考URL】http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Simonyi
http://www.famousinventors.org/charles-simonyi
http://www.simonyifund.org/charlessimonyi.asp
http://www.shamit.org/charles_simonyi.htm
http://programmersatwork.wordpress.com/programmers-at-work-charles-simonyi/
http://www.ias.edu/about/publications/ias-letter/articles/2013-fall/ias-questionnaire-simonyi
http://www.spaceadventures.com/index.cfm?fuseaction=orbital.Charles_Simonyi
http://major-world.com/mix/hungarians/charles-simonyi/

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この記事に対するコメント
  1. 日本の名無しさん より:

    広島・長崎をジョークにする人間に呪いあれ

  2. 日本の名無しさん より:

    >彼は、自分の書いたプログラムに喜びを見出すのではなく、人々がそのプログラムを使って、それを楽しんでくれることに喜びを見出すプログラマーでした。ここにこそ、彼の成功の秘訣があります。

    この感性だよね

  3. 日本の名無しさん より:

    後発で作ってソフト無料配布した糞野郎だろw
    いくつも表計算ソフトがあっていい勝負してたのに
    ゲイツが無料配布してシェア独占されてしまったがために
    今おかしなことになってる
    企業もいまさら変えられないからボッタクリのソフトに永遠つき合わされてる

  4. 日本の名無しさん より:

    Lotus1-2-3やWordStarを作った人の方が偉いし天才だと思う。
    あとから真似したのを作るのは一から作るよりは簡単。

  5. 日本の名無しさん より:

    ジャストシステムとロータスはかわいそうだった。

    ワード95は本当にクソだったんだけど、シェアで勝ってしまったので、一太郎は没落してしまった。もちろん、今さらワードを使わないということはないんだけれど、マイクロソフト関連の話は、競争がフェアでない話が多いよね。

  6. 日本の名無しさん より:

    マイクロソフトはグローバルビジネスに長けていた。
    技術力より資本力、日本企業は技術力があっても資本力に欠けていた。
    だからシェアを拡大できなかった。
    資本力があれば勝てたかというと、多分無理だっただろう。
    それに見合った経営者がいなかった。
    だが資本力は永久に持続するわけではないので、最後は技術力を保持し続けた企業が勝つ。だからむやみに技術を売り渡さないことだね

  7. 日本の名無しさん より:

    ハードよりソフトか、それもありじゃね

  8. 日本の名無しさん より:

    どこの県でもそうなのかは知らないが、自分の住んでる県の公務員(県庁とか美術館とか市役所とか教職員とか)は一太郎で作業してる。

  9. 日本の名無しさん より:

    国産品を使うのは、やはりセキュリティの面があるからだよね。
    同じ理由でLinuxへの移行も徐々に進んでいる。ワードやエクセルは中身がわからないし、使用ライセンスの料金がばかにならなくて、市民の税金をそんなもんに費やせないから。

  10. 日本の名無しさん より:

    アメリカの企業って潤沢な資産でむちゃくちゃやるからな
    欲しい技術があれば提携するんじゃなくて買収すれば効率いいとか平気でするもんな

  11. 日本の名無しさん より:

    あれ、エクセル、ワードって全く使えない糞ソフトじゃなかったっけか?

  12. 日本の名無しさん より:

    ワード、エクセルの糞さはデザインの糞さだからプログラマは優秀だったのかもしれんがね
    古のワード、エクセルの糞重さを思い出すと優れたプログラムだったとも思えないが、
    それも軽快さより多機能というマーケティング的選択のせいかもしれんしね

  13. 日本の名無しさん より:

    ワードのせいでどれだけ仕事の効率が悪化したか、こいつに教えてやりたい。

  14. わたしも作りました。 より:

    マイクロソフトの事をマネクロソフトと言って良く笑ってました。
    MB3000のMSDOSが動かなくて、自費で奈良まで行って、直したこともあります。MSに文句を言ったらパッチの返事がちゃんと来ました。そういった積み重ねで今があります。それで儲けた人もいればそうじゃない人もいます。ただその頃は楽しかった!!それで良いと思ってます。

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