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サッカー選手からスターシェフへの華麗なる転身~ゴードン・ラムゼイという男

2014/07/24
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レストランオーナーなら誰でも憧れるミシュランの星付きレストラン。でも、星を獲得するのは生易しいものではありません。

そんな星を合計7つも獲得したスターシェフがいます。ゴードン・ラムゼイです。彼は、単なる有名レストランのシェフではなく、TVに出て毒舌をふるう熱血シェフとしても知られています。

そんなカリスマシェフ、ラムゼイが最初に夢見た職業はプロのサッカー選手でした。サッカー選手への夢が破れた時、彼の本当の人生が始まりました。そんなゴードン・ラムゼイとは、どんな人物なのでしょうか。

サッカー選手を夢見て

ゴードン・ラムゼイは1966年11月8日、スコットランド、グラスゴーで、4人兄弟の2番目に生まれました。父親が職業を転々とするため、ラムゼイ一家はイギリスのあちこちに移り住みことになります。

1976年にイギリスのストラットフォード・アポン・エイボンに移ると、一家はそこでしばらく暮らしました。ラムゼイの父親は酒を飲むと暴れるような人で、やがてラムゼイは16歳になると、家を出て、姉と暮らすようになります。

ラムゼイの初恋はサッカーでした。プロのサッカー選手になることを目指したのです。15歳の時、ラムゼイはプロサッカークラブ、グラスゴーレンジャーズに入団します。

そこでプロのサッカー選手として活躍することを夢見てトレーニングに励むのですが、練習中に負った膝の怪我のため、始めたばかりのサッカーのキャリアをあきらめなければなりませんでした。

プロサッカー選手への道が断たれたラムゼイは、ホテルマネージメントの勉強のためにカレッジに入学します。卒業後、以前から料理に興味があったラムゼイはヨーロッパのトップクラスのシェフの指導の下で修業を始め、シェフの道を歩み始めます。

一人前を目指して!修業の日々

最初にロンドンのレストラン、ハーヴェイズのマルコ・ピエール・ホワイトに弟子入りします。ホワイトは気難しいシェフで、怒号が飛び交うようなキッチンでラムゼイは修業を続けました。

修業を初めて2年後、師匠ホワイトの薦めもあって、彼はフランス料理を学ぶため、ル・ガブローシュのアルバート・ルーの下に移ります。

1年後、ラムゼイはフランスアルプスのリゾート地のホテルで働かないかと誘われます。この仕事がきっかけで、彼はフランスに渡り、有名シェフ、ギー・サボイやジョエル・ロブションの下で修業を続けました。

どのシェフの下でも、ひたすら修業に没頭し、その才能を伸ばしていきました。

初めての星付きレストラン

1993年、ラムゼイは、最初の師匠マルコ・ホワイトからロンドンで新しくオープンするレストランAubergineの主任シェフのオファーを受けて、ロンドンに戻ります。

ラムゼイが店を任されてから3年もたたないうちに、1997年、Aubergineはミシュランの2ツ星レストランに昇格しました。ラムゼイの最初の星付きレストランでした。

しかしながら、レストランの財政的事情が悪くなり、ラムゼイ自身も自分の店を持ちたいと思うようになって、ラムゼイはAubergineを去ります。

1998年、ラムゼイは、妻の父の援助を受けて、ロンドンに自分の名前を冠したレストラン「ゴードン・ラムゼイ」をオープンしました。このとき、ラムゼイは弱冠31歳でした。

レストランは、ロンドンの高級料理を求める人々に歓迎され、2001年、ついにミシュランの三ツ星を獲得します。スコットランド出身のシェフとしては初の快挙でした。

レストラン王国への道

この最初のレストランの成功がきっかけとなり、野心家のラムゼイは着々と自分のレストラン王国を築いていきます。

まず、2番目の店舗、レストランペトリュスをロンドン市内にオープンします。このペトリュスでは、オープンした2001年に6人の銀行家たちが一晩でワインに44000ポンド(770万円)も使うエピソードが生まれました。

ペトリュスを皮切りに次々とイギリス国内のみならず、ドバイ、東京、ニューヨーク、モントリオールなど、世界中に店を展開していきました。精力的にレストランをオープンする一方、本も次々と出版し、その名声をさらに高めていきました。

ラムゼイは成功したシェフとして名誉ある賞も受賞するようになります。2000年にCatey Awardsというレストランやホテル業界のオスカーとも呼ぶべき賞を受賞し、2006年にその功績により大英帝国勲章を授与されました。

スターシェフの誕生

ラムゼイのTVへの進出は1990年代の後半に始まります。「Boiling Point(沸騰点)」というイギリスのTVドキュメンタリーで取り上げられたのです。

2004年、2つめのTV番組、ラムゼイの「Kitchen Nightmares(キッチンの悪夢)」も始まりました。

そして、2007年、彼を一躍有名人にした人気番組「地獄のキッチン」がイギリスで初放映されました。

この番組は、10人のセレブをシェフとしてトレーニングするという番組で、放送中、すぐに激高し、修業中のゲストを罵倒するラムゼイの姿が視聴者の関心を惹き、人気番組となりました。

アメリカでのデビュー

 当時、リアリティ番組が大人気だったアメリカのTV業界がラムゼイに関心を持つようになったのは自然ななりゆきでした。2005年5月、「地獄のキッチン、アメリカ版」がアメリカで放送されました。

アメリカ版では、ホストが有名レストランを目指す若手シェフ達を厳しい目で批評し、どんどん落伍させ、最後に勝者を選ぶという番組でした。視聴者は、ラムゼイの完璧主義を目指す熱血ぶりを支持したり、反発したりしながらも番組に熱中しました。

「地獄のキッチン」の視聴率はうなぎ登りに上昇し、人気番組となりました。この人気を受けて、「キッチンの悪夢」もアメリカで放送されるようになります。

この他にも次々と自分の番組が放送され、他の番組にゲストに呼ばれるなど、TV業界で引っ張りだこの人気シェフとなります。ラムゼイの収入は、レストラン収入と合わせるとおよそ1億1800万ドルにもなりました。

実力派シェフとして

近年の不況により、店舗の縮小を余儀なくされ、また彼の性格ゆえにトラブルを起こすこともあります。

しかし、ラムゼイは依然として、ロンドンでの三ツ星レストランとしては最長記録を持つレストランのオーナーであり、三ツ星を獲得したイギリスシェフ4人のうちの一人でもあります。

その野望も尽きることもないラムゼイは今後も注目すべき人物の一人ではないでしょうか。

最後にラムゼイの言葉を。

「私は22歳にして幸運に恵まれ、フランスへ修業に行くことができた。私は、若いシェフ達に常に言って聞かせてる。自分を危険にさらせと。快適な場所から飛び出ろと。それがとても大切な経験となる。今どきの人達はあまりにも無難に行動しずぎだ。」

【参考URL】http://www.biography.com/people/gordon-ramsay-17169720#awesm=~oI7ya2QEnZJNIY
http://gourmetfood.about.com/od/chefbiographie1/p/ramsaybio.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Gordon_Ramsay
http://www.giantbomb.com/gordon-ramsay/3005-6289/
http://www.imdb.com/name/nm1451059/bio
http://www.contactmusic.com/info/gordon_ramsay
http://www.gordonramsay.com/

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