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吸引力の変わらない、ただひとつの掃除機 …で有名なダイソンの開発者〜ジェームズ・ダイソン〜

2014/07/05
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イギリスのプロダクトデザイナーであるジェームズ・ダイソン氏

今回は、彼のサクセスストーリーについてお話をさせていただきます。

以下、ダイソンと略記する場合は、ジェームズ・ダイソン氏のことを指します。会社のことを指す場合は、「ダイソン社」と区別させていただきます。

ダイソンは、革新的な、家電機器の開発、販売を手掛けている「ダイソン社」の創始者でもあります。

ダイソンは、何より、デュアル・サイクロン方式(紙パック不要)の掃除機を開発したことで有名です。

彼のサクセス・ストーリーには、計り知れないほど、多くの情熱と忍耐が存在します。

ダイソンの生い立ち

ダイソンは、1947年5月2日、イギリスのノーフォークで生まれました。ダイソンは、1956年から1965年まで、ホルトの寄宿舎の学校で過ごします。

彼は、長距離走が、ずば抜けて得意でした。それは、体力的に優れていたからだけでなく、「強く決意することができたからだ。」と、自分自身で語っています。

その後、2〜3年ほど、英国王立美術大学で家具と、インテリアのデザインを学びます。

後にエンジニアになるわけですが、エンジニアとデザイナーの2つのスキルの融合が、彼の未来に影響を与えることになります。

27歳の時、ダイソンは、ボール式猫車を開発します。これは、手押し車の車輪の代わりにボールを使用したものです。移動する際、地面が柔らかくても車輪の跡が付きません。

この時のアイデアは、将来の発明の兆しを感じさせるようなものでした。後に、デュアル・サイクロン式の掃除機にもこのボールを車輪として使うアイデアが活かされました。

ダイソンとサイクロン掃除機

1978年、ダイソンは、自分の家にあるフーバー製掃除機が紙パックの中に少しのほこりがあるだけで吸引力が弱くなることが、ものすごく気になりました。

そこで、彼は、ボール式猫車を製造している工場で使用しているサイクロンを、掃除機に利用できないかと考え始めました。

サイクロン分離技術とはシリンダー内部の空気を高速で回転させて、粒子を取り除くものです。

ダイソンは、サイクロンのミニチュアを自作しそれを、フーバーの掃除機の紙パックの部分に取り付けました。

スイッチを入れると、彼自身が製作した掃除機はちゃんと動きました。初めて、紙パック不要のサイクロン式掃除機が、誕生した瞬間です。

それから、ダイソンは、何度も試作品を作り改良をする。また、分解して作り直すといった格闘の日々が続きました。5年もの間、実にその数5127回です。想像を絶しますよね。

彼の試作品はその当時、イギリスの小売商には相手にされず、拒否されてばかりいました。

その5年間、彼の妻が美術の先生として働きながら生活を切り詰めて、ダイソンを支えてくれました。また、3人の子供の子育てもやり遂げてくれました。

ダイソンは、自分の自叙伝を献身的に支えてくれた妻に捧げると言っています。

しかしですよ。掃除機の吸い方が弱いぐらいでここまで熱中しますかね。私にはできません。

これを読んでおられる方だってそうでしょう。

食器乾燥機が、完全に乾かない。シャワーが出てから温かくなるのに、20秒もかかる。

だからって、その後の人生を、素早くお湯が沸くヒーターの開発のために費やすなんてこと、しますか?

しかも、家族はその夢のために破産の危機まで追いやられてしまう。なんてことになっても、やり続けますか?

ダイソンだったら、この問いに対して「イエス」と答えるんでしょうね。

ダイソンは、掃除機の開発に、新しい掃除機のマーケティングに自分の人生を捧げるような勢いで、まい進しました。

で、話は元に戻ります。

妻にサポートのおかげでなんとか暮らしていたダイソンですが、彼に救いの手を差し伸べたのが日本なんです。

ダイソンと日本

ダイソンは、イギリスでは、自分の掃除機を製造してくれるところはないと、判断して日本での販売に踏み切ります。

最初のモデルであるGフォースは、日本でのみ販売されていました。ピンクと紫の製品です。

東京で、瞬く間に圧倒的な人気が出ました。

日本でヒットにより、彼は、リサーチ会社と工場を設立するのに十分な資金を印税によって得ることができました。

1993年、イギリス、ウィルトシャーに拠点を移しましたダイソンは、イギリス全土に向けて彼の製品を売る戦いが始まりました。

彼は「紙パックよ、さよなら」というスローガンを掲げ、サイクロン式掃除機を売り込みました。それまで、イギリスで販売された掃除機の中で最も速い売れ行きとなる大ヒットへとつながりました。

しかも、かつて彼の製品を相手にしなかった会社は、もちろんのことそれを超える数の会社で、販売されました。

ダイソンのブランドがイギリスや、アメリカで最も有名なブランドの一つになったのです。ダイソンの、デュアル・サイクロン方式の掃除機がその価値により、市場をけん引するリーダーへとのしあがりました。

1990年代の半ば、彼のデュアル・サイクロン式の掃除機は、大勝利をおさめ大声でイギリスの人たちに迎えられました。そして、今もなお、彼の設立したR&D(リサーチと開発)センターはイギリスのウィルトシャーにあります。

ダイソンは2007年国から、ナイトの爵位を授かりました。

ダイソンとダイソン社

現在彼は、自社のエンジニアのチーフです。そして会社のCEOです。ですが、彼はCEOと呼ばれることを拒みます。

ダイソンは自分の持つ時間とエネルギーのほとんどを850人の若くて有望な、エンジニアのために注いでいます。

センターで、リサーチや開発の業務を行う際に、彼が掲げている一つのルールがあります。それは、「技術無き者は、許されない。」というルールです。

ダイソンは言います。

「エンジニアは、自ら考案したアイデアを生活の中に取り入れなければならない。」と

「また、どのエンジニアも、自分で試作品を作り、テストをしなければならない。」

「そうした者が、何が機能し、逆に機能してないかを見極めることができるのだ。」と

「他者が作った試作品や、テストの結果を見ても、何も得られない。」とも

言っています。

必死に自分でやっていくからこそ、見えてくるもの、勝ち取るものがあるということでしょう。

ダイソンのように、工夫を重ね、練り上げてきたようなエンジニアでさえ、自分が成功しているとは認めていません。

これって、意外ですよね。そこまでして、まだ、成功してないってどこまで謙虚なんでしょう。

彼の耐えることのない研究心、エンジニア魂についてダイソン自身が語っています。

「私の発明そのものに対する情熱は、より役立つものを開発したいという欲求や、渇望からくるものである。」

本当に、エンジニアが天職なんですね。

以下、彼の哲学で、私が感銘を受けた言葉を列記させていただきます。

「これこそが、正しいということなんて、ひとつもない。大胆に発想せよ。そして、常に疑え!」

と、自分の卒業生たちに、メッセージを送っているそうです。ダイソンは,英国王立美術大学で教鞭をとっておられます。

「いつも、自分の周りには正しく解決すべき困難や課題が存在している。自分はいつもそんな風に感じて生活している。」

「それが、自分のベースとなっている。」

「私は、失敗が好きだ。繰り返し常に、挑戦し続けることが好きだ。」

失敗を糧にして、研鑚し続けたダイソンならではの言葉ですね。

たくさん失敗したからこそ、勝ち取るものが多い。失敗を恐れずに挑戦し続ける人生。それこそが、サクセスストーリーなのかもしれませんね。

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