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張 欣 [Zhang Xin] 北京最大都市開発業及び中国最大オフィスビル開発業会長

2015/01/02
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中国女性実業家の中でも、果敢、勇敢といわれている張欣。1965年生まれの彼女は、1994年 潘石屹と結婚後、夫とともに建築業を手掛け、中国初の民間都市開発業社となります。

‘SOHO中国‘は小型テナント/住居一体オフィス をコンセプトに中国都市計画をリードし、2007年には香港証券市場に上場。いったいどんな背景の女性実業家でしょうか?

生い立ち

1965年彼女は北京で生まれます。恵まれた家庭ではなく、幼いころはあちこちの町へ引っ越し、1979年母親と共に香港に移住。当時14歳だった彼女はとある工場のラインで働きます。

当時の彼女の月給は800元ほど。まず最初の目標は1000元の月給を手にすること。単調な流れ作業の日々、彼女は母親に言いました、`いつか1400元のお給料を手にできたらいいのになー‘ と。今でもそのとき思った1400元という数字をはっきり覚えています。

いわゆるオフィスビルの中でのOLとして働くために、彼女は毎日仕事が終わってから、夜間学校に通います。どんなに疲れていても、天気が悪くても。

そうして やっと`オフィスビル‘で働くことができるようになります。しかしこの時はまだ雑用係。のちに、あるタイヤメーカーに入ることができ、秘書兼経理として勤めるようになります。

イギリス・そしてアメリカへ

ある友人の話から、特別な立場でなくても、学ぶ機会はいくらでもあると聞き、工場勤務で蓄えた幾らかの資金を元に、イギリスへの留学を決めます。一つの中華鍋と一冊の英中辞典を手に、単身イギリスへ。

1992年、名門ケンブリッジで経済学修士課程を修めます。その後アメリカへ渡り、ウォール街の投資銀行に就職。中国との直接投資顧問です。かねて憧れていた、ビジネス街でのOL。しかも世界の金融の中心地ウォール街です。

しかし彼女は3年後、1995年中国に戻ります。

結婚そして挫折

1994年に中国国内の潘石屹と知り合い、その年のうちに結婚。1995年にはアメリカを後にし、中国に戻ります。

彼は甘肃省(中国内陸部)出身の一度も海外に行ったことのない、一言も英語を話せない男性です。彼女の周りのすべての友人は、生活水準の大きく違う二人を手に汗握る思いで見、絶対うまくいかない、やめた方がいいと何度もアドバイスします。

しかし彼女は、`きちんと考えたの。みんなに証明して見せるから‘ といって周りの反対を押し切り、結婚したのです。

潘石屹との結婚は彼女にとって、アメリカでの生活や仕事をあきらめ中国に戻ること。香港にある大きな家を離れ、彼の住む小さな家に引っ越すことを意味します。

こう言っています。

「自分たちで起業しようと計画してた。でもなんて大変なの!自分はほかの人より難しい選択肢を選んだ。もちろんもっと簡単な選択肢もあった。例えば同じウォール街で働く自分より上の留学生と結婚するとか。きっと多くの人にとってはそれが幸せな選択肢でしょう」

そしてこうも言っています。

「自分は自分の失敗を許せない人。仕事も、結婚も、失敗するわけにはいかない」

結婚後、彼女は初めて二人の大きな差に気が付き始めます。思想においても、仕事の方法においてもすべてが違うのです。毎日喧嘩。しかもどんどんエスカレートしていきます。

朝、家で喧嘩し、それを会社に持ち込み会社での意見の違いを家に持ち帰りまた喧嘩。このころ彼らは、周囲の期待の中、彼女がウォール街で得た資本金を元に国際投資銀行からの投資を得、総合開発計画を進めようとしていましたが、商談は失敗。

彼女は、自分が学んできたことがここでは通じないと分かり、挫折。非常な孤独感を感じます。

離れたからこそ

1997年、彼女はこの状況から逃げようと、単身ヨーロッパで休暇を過ごす計画をします。飛行場までの道のりでまた激しく喧嘩。彼女は車を止め、一人車を降りてしまいます。この時二人は完全に終わったかに見えました。

しかし かれらは互いに歩み寄り始めます。

結婚の危機に直面して、互いの大切さに気が付いたのです。そしてお互いの得意を生かして分業することにします。国内の取引、商談はすべて夫潘石屹にまかせ、海外とのやり取り、実際の企画、設計その他を彼女が担当するのです。

彼女はこう言っています。

「もし離婚になったら中国を離れなければいけない。そしてきっと一生中国に来ることはなくなって、本当の中国人ではなくなってしまう。

自分は自分の失敗を許せない人。仕事も、結婚も、失敗するわけにはいかない。感覚で家を設計する人も、理性で結婚生活の問題を処理できる。いつも`違う‘という代わりに、まず相手の意見を聞くようにしたんです。」

建築業

好奇心旺盛な彼女が興味を持ったこと。それが建築。建築工程から室内設計に至るまで、大量の本を読み、専門知識を学んでいきます。そして彼女が専門家と思った人には師事し、専門分野について語り合えるようになるまで、学ぶのです。

こうして多くの知識を取り入れる過程で、彼女自身の発想と方向性が見えてきました。

大きく見えるすべてのことは、実は細かな一つ一つからなっていて、それらの細かな点は、特別なアイディアや設計というわけではなく、多くは工夫や、努力の結果ではないかー と感じたのです。

そして1997年、北京の風光明媚な地所に、人がうらやむ大きな別荘を建てます。

香港の建築士・張永和に設計を依頼し、自身で修正、資材購入、現場監督したものです。名付けて`山語間[シャンユージェン]=山と語る‘ 北京の多くの人が見学に訪れ、人気を博します。

構想

そして多くの人が、自分もこんな風に建てたいと言い、何人かは設計図まで依頼します。

しかし実際は、土地、資材、工程、予算、資金繰り等、考えなければいけない要素の多さに、誰も着手しません。そこで彼女は思いつきます。`わたしたちで100の同じような物件を建てられないかしら?‘

こうして再び 香港の建築士・張永和を探し、自身の構想を伝えます。

`建築家の回廊を建てたいと思うの。20世紀、ほとんどの有名建築物はヨーロッパ。ヨーロッパが優れた建築の舞台だった。でも今、建設計画の多くが東に移ってきている。

アジアの建築家が表舞台に出るときではないかしら。若い、さほど有名でない建築士をさがそう。そして`山語間‘のような住まいを、特別な人だけでなく一般の人でも楽しめるように市場を開拓しよう‘と。

折しも、2001年10月、北京でアジア革新建築大会が開催されていました。彼女はその機会に、若いアジアの建築士たちを、自身のプロジェクトに招待します。

予想を超える熱烈な反応。辞退した人は一人もいませんでした。

こうして2400万アメリカドルを投じアジア数か国(中国大陸・台湾・香港・シンガポール・韓国・日本)出身の新進気鋭の建築士たちと共に`建築士回廊=Architect corridor gallery=アーキテクト・コリダー・ギャラリー‘を建設します。

別荘・クラブ・ショッピングゾーンをはじめとする複合総合建築物です。これがイタリアのベネチア建築祭において建築芸術推進大賞を受け、中国初、建築分野での国際舞台での受賞となります。

さらなる事業拡大

こうして知名度を上げ、さらなる開発計画へと事業を拡大していきます。

2007年 香港株式市場上場。フォーブス2007年中国富豪リストにて、SOHO中国の张欣38億アメリカドルの個人資産で第7位。

2008年 アメリカ・フォーブス社、「世界の影響力ある女性100人」の一人に。

2010年 アメリカ・フォーブス社 母の日の前に発表した「世界の女性(母親)億万長者70名」の一人に。この中で8名のみが、相続したものでなく自身の努力によって財を築いていますが、张欣はハリーポッターの作者と共にそのうちの一人です。

まとめ

ウォール街で働き続けていたら、銀行家として金融界で成功したであろう张欣。

夫・潘石との結婚について「妥協だったのか?」と記者に聞かれ、「多くの場合、前進するより後退する方が勇気がいる。一生の中でそういう時も必要。わたしはとても理性的な決定をしたと思っています」と答えています。

また「女性として、ある程度のキャリアで、ある程度の収入で、良い男性と結婚し、安定した生活をーとは考えなかったのか?」との質問にはこう答えます。

「全くありません!小さいころから、変化の激しい生活をしてきた。5歳で両親が離婚し、小学校から中学まで10の学校を転校。私にとって変化があって当たり前。

落ち着きや温かさといったものにはあまり魅力を感じることはなく、興奮に満ちていることや、理想の追求といったものが、わたしに感動を与えてくれるものなのです」

张欣。実力、果断な行動力と共に、強い意志をもった熱い女性です。

【参考URL】http://baike.baidu.com/subview/85663/5061960.htm?fr=aladdin
http://www.zhlzw.com/lz/ys/36070.html
http://www.zhlzw.com/lz/ys/59443.html

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この記事に対するコメント
  1.     より:

    中国不動産バブルの背景なしで成功できたのかは怪しくて、
    どこまでが才能でどこまでが時流だったのか現段階じゃ見分けが難しい。
    不動産バブル崩壊が始まったこの後に生き残れるかどうかで真価が問われる人って感じ。
    生き残れなければ単なる中華バブル成金の一人。

  2. 名無し より:

    ※1 

    だよねー・・物語の内容は個人の生き様としては多少面白いけど、何かを生み出したわけでもなく、何か世界に貢献・あるいは流行でも起こしたのならまだしも。
    中国の経済成長の中で起こった出来事に絡んでるだけですよね?
    日本でも忘れ去られてますが、バブル期に生み出された有名若手企業家とか多いです。
    ホリエモンとかねw

    やっぱカップヌードルくらい世界的に成功したり、有名でなくてもLEDのように実はココでも使われてるんです!ってくらい世の中に貢献してる物を生み出したり、そういった人間でなければ偉人扱いは笑われますよ。

    この人何なの?ダレ?ってね。
    読んだ感じキップの良さと金の運用が当たっただけのように見えますが?、何か生み出した人ではないですし、経済革命家でもないですよ。

  3. 日本の名無しさん より:

    先ず、名前をなんて発音すればいいかカタカナで書いてくれないかな

  4. 日本の名無しさん より:

    ちゃきんじゃね?

  5. 日本の名無しさん より:

    >>2
    単なる立身出世の話に何でそんなにむきになってケチつけてるの?

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