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アメリカン・ドリームへの道を創った男 -デニス・ワシントン-

2014/07/07
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デニス・ワシントンという人物をご存知でしょうか。まだ日本では知名度はあまり高くないかもしれませんが、彼は建設業の企業で成功し、フォーブズ誌では「アメリカで最もリッチな人物」の10位以内にランクインされている起業家なのです。

幼い頃は苦労も経験し、何も無いところから起業をして、今では世界屈指のセレブの仲間入りを果たしたデニス・ワシントン氏。彼の成功の秘訣を見ていきましょう。

デニス・ワシントン氏の生い立ち

デニス・ワシントンはワシントン州のスポケーンという町に生まれます。

彼がまだ小さい頃、彼の母の故郷であるモンタナ州のミズーラという町に引っ越します。そしてアメリカが第二次世界戦争に突入し、家族は再びワシントン州のブレモントンに引っ越すのです。

そこで彼の父は政府供給物質を運ぶ船で働くのです。その船の周りで、ワシントン氏は友達であったクインシー・ジョーンズと共に働いてお小遣いを稼ぎます。

8歳の時にポリオにかかり、その年のほとんどをシアトルの病院で過ごします。

戦争が終わり、彼の父親がしていた船での仕事もほとんど無くなったため、彼の両親は離婚し、ワシントン氏はカリフォルニアの親戚の間を転々とします。

彼の一番お気に入りの家は、モンタナ州ミズーラにある祖母の家でした。彼の病気が何回か再発し、彼は学校の勉強についていけなくなる事が何度かありましたが、彼は勤労で、いくつか仕事をもち、自立するようになります。

放課後にはガソリンスタンドで働き、傍らではブルドーザーやクレーンの動かし方を学びます。19歳の時にアラスカへ移住し、重機器の操作を学ぶのです。

ワシントン氏のキャリア

その後ワシントン氏はモンタナの、彼の大好きな祖母の元に戻り、そこで建設会社のキング・マクラフィン社で働きます。その会社は母親方の叔父によって経営されていた会社で、モンタナで一番大きな建設プロジェクトを進めていました。

同年には、NOXIONラピズダムでも契約社員として働いていたのです。そして20年後、彼とその会社はお互い全く違う環境で、再び一緒に仕事をする事になるのです。

26歳と言う若さでワシントン氏はキング・マクラフィン会社の副社長となり、モンタナ中で進行しているプロジェクトを監視します。

29歳で起業

29歳の時、自分自身で会社を立ち上げます。地元の重機器ディーラーからブルドーザーを借り、自分で建設会社を始めるのです。

国が行っている公共事業に参加するには彼の会社は小さすぎましたが、彼は自分の会社のニッチマーケットを見つけ、森林事業に集中し、遂にはグレーシャー国立公園の道路建設に携わるのです。

34歳になる頃にはワシントン氏の会社はモンタナで一番大きな建設会社でした。それでも、セキュリティ会社や保険会社などから、自分の家を抵当に入れるよう支持されたことが何度もありました。

たった一つの災難が彼から全てを奪ってしまう可能性と常に隣り合わせにされていたのです。しかし、彼はそんな状況にも負けずどんどん会社を大きくしていき、1960年代にはワシントン社はダム建設に携わるほど大きな企業となったのです。

1986年にはワシントン氏はアナコンダ社を千八百万ドルで買収し、銅の発掘事業にも乗り出します。そしてバット・ウォーター社を買収し、炭鉱事業にも乗り出すのです。従業員600人という大規模な企業で大きなプロジェクトをいくつも進行していました。

3年後には銅の価格が二倍には値上がり、ワシントン氏は最初の投資として一億円を投資します。

その後ワシントン氏はモンタナ鉄道社を一億円ほどで買収し、それを「モンタナ・レイル・リンク」と解明します。

そしてそれは全米で最も大きな私有の鉄道会社となったのです。そしてワシントン氏の類稀なるビジネスセンスでどんどん野お菊なって行ったモンタナ・レイルリンク社は鉄道会社の中でも最も利益を上げる大企業となったのです。

ワシントン氏はバーリントンが長年所有してきた電車関連の修理施設を再オープンし、100以上の雇用を生み出します。そして全米中の電車や鉄道の修理を請け負うのです。

彼の建設業への展開は州外へもどんどん広がり、コロラド州のオーロラにあるセナクダムやネバダ州にあるブルフロッグ金鉱での仕事なども請け負うようになります彼はセレブの仲間入りを果たし、どんどんと栄えていくのです。

そしてワシントン氏はオレゴンに55000エーカーの土地を購入し、自身の家を建てるのです。フォーブズ誌によると、ワシントン氏の個人資産は五億ドルにも上るとの事なのです。

1992年にワシントン氏は自身の会社であるワシントン社グループを株式公開しようとしますが、五百九十億もの時価総額の会社を保証してくれる会社がみつかりませんでした。

1996年にはアナコンダ社の利益は八千ドルにもなっており、ワシントン社グループは二億三千万円もの収益を得ていました。ついに、ワシントン氏はあのネバダ州の有名なフーバーダム建設にも関わった歴史ある会社の買収に乗り出すのです。

そうして彼のワシントン社グループはどんどん拡大していき、今ではワシントン氏は世界屈指のセレブとしての地位を確立しています。

ワシントン氏の素顔

そうして今ではセレブとしての確固たるものにしたワシントン氏。その使い切れないほどの資産で、妻のフィリスとカナダのブリティッシュコロンビア、カリフォルニアのパームデザート、モンタナのミズーラに家を建てます。

そしてワシントン社のヘッドクオーターをモンタナのミズーラに置いています。ワシントン氏はボートが趣味で、カナダにある彼の332フィートもあるヨットはアルテッサ号と呼ばれ、世界でも最も大きなヨットの一つです。

彼は教育機関に多額の寄付を行っており、彼の故郷であるモンタナではよく知られています。モンタナ大学のフットボールスタジオはデニス・ワシントンの名前が付けられ、彼の多額の寄付を讃えています。

また、モンタナで大学進学への奨学金プログラムも作っており、大変な思いをしている大学生に金銭的な援助を行っています。

オレゴンに買った65000エーカーの牧場はサマーキャンプへ提供しており、キャンプ用の施設を設立するのに6億円もかけ、少年達のサマーキャンプに協力しています。

1998年にはフィリス・ワシントン基金を設立し、1億以上の資金をチャリティに寄付しています。

まとめ

決して楽ではない子供時代を過ごしたデニス・ワシントン氏。両親の離婚を経験した後親戚の後を転々としたり、その後持病のポリオが何度も発症して学校について行けなくなったりと、様々な苦労を子供ながらに経験します。

しかし、それにもめげず、勤労振りを発揮して仕事を持って自分で生活していけるようになったり、道をはずしたりする事無く、ビジネス面でどんどん才能を発揮していきます。

周りの環境をものともせず、明るく未来を切り開いていった事が、成功の要因かもしれません。

ビジネスを始めてからも、家を抵当に入れるよう強要されるなど、彼にとって決してビジネスは楽な道ではありませんでした。しかし、いつ何が起こるかわからないという危険を覚悟で、ビジネスを続けていった結果、今では世界屈指のセレブとしての地位を確立し、世界でも類稀なるヨットや三件の家も購入しています。

何もない、ゼロから上り詰めてフォーブズ誌では「アメリカで最もリッチな人物」で10位以内にランクインするほどの成功者となったデニス・ワシントン氏。彼の生き様はまさにアメリカンドリームを掴んだと言えるのではないでしょうか。

彼の生き方からは、私達も大いに学ぶところがありますね。

【参考URL】http://www.achievement.org/autodoc/page/was0bio-1
http://en.wikipedia.org/wiki/Dennis_Washington

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