イスラエルに訪れたことがありますか。私はカイロに留学していた時、長距離バスに揺られて何度もイスラエルに出かけていました。ずいぶん前の話ですがいまだにはっきりと覚えています。
タハリール広場の小さな旅行会社にてテルアビブーカイロの往復チケットを購入し、カイロシェラトンホテルのバスターミナルから早朝5時に出発しました。
おんぼろのバスごと船に乗りスエズ運河を渡り、シナイ半島の砂漠を横断。右手の空には太陽、左手の空には月が同時に見えました。トイレはなんと砂漠でした。
国境に到着すると、バスを降りて徒歩で越境。一歩イスラエル側に入った途端、そこはまさに先進国!ボットン便所ではなく最新の水洗トイレ!イスラエル側の長距離バスもエアコンが完備し、運転手が流しているBGMもUKポップスでした。
一番驚いたのは「緑」。同じ砂漠という地理条件でありながら、豊富な資金があるせいか、まるでスイスかと見違えるほどの豊かな緑の景色が広がっているのです。
お金と技術と知恵で砂漠を緑地化することはできるのだ!と本当に驚きました。
首都のテルアビブは大都会。高層ビルが建ち並び、ヨーロッパにあるような高級住宅街もあります。「ああ、まさかこんなところ(中東)にこんな先進国の都市があるなんて!」と感動したものです。
テルアビブには白人にしか見えない洗練された装いと雰囲気のユダヤ人ばかりで、人々の格好も都会的でした。
カイロでは決して見かけない、カルバン・クラインやラルフ・ローレンのロゴの帽子やシャツ姿もあちこちで見かけましたし、イスラム教の国ではないので、肌を露出した女性の姿も多かったです。
私の出会ったイスラエル人は全員流暢な英語を話し、日本に好意的でした。誰もが親切でした。
友人のアメリカ人(黒人)女性がひとりでイスラエル旅行をした際は、私とは逆に嫌な経験しかなかったそうですが、私は一度も人種差別をされたり、お金をだまされたり、物を盗まれそうになったことなどありません。ヨーロッパ旅行するより快適でした。
このようにテルアビブに滞在していると、イスラエルの印象が非常に良いものになるのですが、西岸(エルサレム)に移動すると、それは「おや?」に変わります。
言うまでもないですが、ここはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教という三大宗教の聖地。この地を巡り、長いこと(それはもう長いこと)多くの紛争が起きています。
街中には常にUN(国連)の車が巡回し、イスラエル人の若い兵士たちも歩きながら警備。アラブ人の顔を見つければ、声をかけて質問(尋問)。本来は厳かな気持ちになるはずの聖地であるのにもかかわらず、街中には不穏な空気が漂っています。
国中を回ると、さらに目につくのが各地にある検問所の多さ。そしてアラブ人街の貧しさ。何人かのアラブ人(パレスチナ人)に睨まれたこともあります。
「日本人だろ?日本はユダヤと仲のいい国だよな」と言われ、そこで改めて「この土地はもともとパレスチナのものだったのよね。(ただし「もっともっと昔はユダヤのものだった」と言うイスラエル人(ユダヤ人)たちもいますが・・・)」と思い出されます。
パレスチナには祖国を奪われたパレスチナ人たちがガザ地区でパレスチナ建国を願いつつ、パレスチナ自治区の中心都市、ガザ地区(長さ40km、幅10km。種子島ほどの面積)で多くの難民が住んでいます。
日本の報道番組でも時折紹介されるガザ地区。これらの映像画像を見ると、あの素敵でお洒落なテルアビブとのあまりの落差に愕然とします。
何でも手に入るイスラエルの首都テルアビブからそう遠くもないところに位置しているものの、テロ、破壊、悲惨、貧困というフレーズしか出てこないガザ。
ではパレスチナ人たちの生活とは一体どのようなものなのでしょうか。中心都市、ガザ地区に焦点を当てながら見ていきたいと思います。(※今回はBBC NEWSの記事に沿った内容でご紹介していきます)
「検問所」が日常生活
「Checkpoint(検問所)」というイスラエルのドキュメンタリー映画(2003年)をご存知でしょうか。
- Hot Docs Canadian International Documentary Festival・・・Best International Documentary賞
- IDFA・・・best feature-length documentary賞
- サンフランシスコ国際映画祭・・・the Golden Gate Award for Documentary Feature賞
と、複数の賞を受賞している映画です。恐らくネットの動画でも視聴できるはずです。
イスラエルにはパレスチナ人相手のCheckpoint(検問所)がいくつかあります。パレスチナ人たちの日常を知る上で、検問所のトピックは絶対外せません。これがいかに厄介で煩わしいものかを理解する上で、この「Checkpoint」の映画は非常にお勧めです。
映画の中ではこれらの様々な検問所での日々の出来事、イスラエル人兵士とパレスチナ人市民の間でのやり取りが繰り広げられています。2年間延々と撮影を続けたそうです。
イスラエル人兵士たちにもマイクを向け、彼らの人間味を引き出す一方、パレスチナ人たちの憤り、屈辱にも耳を傾けています。
パレスチナ人は日常において、ちょっと「あっち」に行くのにいちいち検問所を通過しなければなりません。許可書とIDカードを提示すればすんなり通れる、というわけでもなく、何時間も待たされることがあれば、引き返せと強固に命令されることもあります。
これが毎日です。通過するために、雨天でも雪が降っても時には長い列に延々と並ばされます。
荷物もくまなくいちいちチェックされ、細かい質問も矢継ぎ早にされ、しかもぐっと辛抱強く耐えても、なんと兵士たちの気分(?)で通過させてもらえないこともあります。
映画の冒頭に登場するスクールバス。毎日そこを通っている上に、運転手はIDカードも通行許可書も持っているのに、なぜか日によっては「引き戻せ」と言われ、通過させてもらえない。兵士たちの指示によっては児童たちを学校に送り届けてあげることができない。
「そもそもテロリストはこんな検問所を通らないぞ!だからこれは意味ないぞ!」と怒り叫ぶパレスチナ人の青年・・・ごもっともです。
やはり若いせいか、気分のムラだけで通過許可を出す出さない、をコロコロ変えている兵士たちがいます。毎日そこを通らなければならない日雇い労働者たちに対してかなり威張り腐った、横柄な態度をとる兵士たちもいます。
しかし一方では、上からの命令でこのような役割を担っているだけで、内心「やってられない、検問所はばかげている」と感じているまともなイスラエル兵士たちもいます。
イスラエル人の兵士「おいおい、インシャアラーじゃないぞ、絶対に、だぞ!」
※インシャアラー・・・イスラム教の絶対神。「神の御心のままに」という意味で、「なんとかなるさ」といったノリで使われる。
兵士「なんでそんなにそわそわしているんだ?態度がおかしいぞ」
パレスチナ人の若者「結婚を控えているんだ」
兵士「ああ、それじゃあ仕方ないな、そわそわするな」
映画ではこういった人間味あふれるやり取りの様子も映しだされており、そこにちょっと「救い」があります。
移民でも外国人でもないのに、後から入ってきたイスラエル人たちにいちいち足止めを食らう。ちょっと学校に行くのにも、勤めに出るのにも、友人宅に行くのにも買い物に行くのにも、葬式・結婚式に出かけるのにもいちいち検問所でひっかかってしまう。
そして、嫌がらせとしか思えない尋問をされ、時には通過させてもらえないこともある。パレスチナの人々のうんざりした気持ちを思うと、心底気の毒に思います。
しかし別にイスラエル側の肩を持つわけじゃありませんが、イスラエルがパレスチナ人たちに同情を寄せるこういうドキュメンタリーを製作した、ということにもあっぱれです。
パレスチナの歴史
さて聖書にもよく登場する地名、パレスチナ。地中海とエジプトに隣接しており、地図によってはP.L.O.にもなっています。この土地の歴史を簡単に見てみましょう。
数千年前にユダヤ人達が住んでおり(※諸説あり)、その後古代エジプト人、古代ローマ人、東ローマ人、イスラム帝国等に支配されます。第一次大戦まではオスマン帝国(トルコ)に支配され、その後イギリスに占領されます。
1948年にイスラエルが建国。祖国を持たないが故に不幸の歴史のオンパレードだったユダヤ人たちにとって、これは悲願でした。長年使われることのなかった、母国語のヘブライ語も復活されます。
一方で、この土地にそれ以前から住んでいたアラブ人たち、つまりパレスチナ人たちが追放されるような形になり、難民となり今度はパレスチナ人たちがまるで流浪の民のようになってしまいます。
そしていくたびの戦争も起き、紆余曲折を経てパレスチナ人たちはガザ地区に追いやられます。しかも自由に地区の外を出入りすることができず、前述した「検問所」を通過しなくてはならないのです。
検問所をコントロールしているのはイスラエル側で、すでに述べたように非常に厄介な代物なのです。
「なぜわざわざもめ事が起きるような場所にイスラエルを建国したんだ?この地球上には他にも余っている土地はいくらでもある。アラスカ辺りに建国してもよかったのに」
と発言したとか。
頼りだった密輸トンネル
2013年半ば以降、ガザへの移動とアクセスの自由が大幅に制限されました。エジプトとガザの境界の下(地下)において、密輸用のトンネルが発見されたからです。
2013年前半には毎月4万人もの人々がガザからラファ(エジプト)の国境に出たり入ったりしていました。しかし同年12月にはその人数は9550 人までに減少しました。
近年、北部のエレズの検問所はイスラエルにより人々の往来を大幅に制限されていたため、ラファの検問所はパレスチナ人にとってガザ地区を出たり入ったりする主要な「門」になっていました。
密輸トンネルはガザ封鎖の締めつけが強いものになった後に、頻繁に使用されるようになっていました。
彼らは、建設資材、家畜(山羊など)、燃料、食料、現金や武器を密輸するためにこのトンネルを利用していました。もっともドラッグの類も大量に運びこまれていましたが・・・。
2010年6月に封鎖が緩和された頃には、この密輸トンネルの利用頻度も減少していました。
トンネルの主な利用者(密輸業者)は、イスラエルよりもエジプトで購入する方が安価である燃料用の建設資材を運んでいました。(イスラエルとエジプトでは物価が全く異なっています。)
2013年6月に開始したトンネルの取り締まりは、建築資材や燃料、食糧価格の急騰の不足を招きそして密輸をほぼ壊滅させるという結果をもたらしました。
(↑)2015年5月時点の状態
- Erez Crossing- ガザ地区からの唯一の出口。しかし情勢の緊張が高まると閉鎖。
- Gaza Port- 漁師のみ許可。ただし6海里限定。
- Rafah Crossing- 年に8日オープンし、エジプトのラファに行くことができたが今年3月からは閉鎖。
- The tunnels- 大半が破壊。
- Kerem Shalom Crossing- イスラエルとの国境。貨物車のみ許可。
- Gaza International Airport- 2000年に閉鎖され、2001年に爆破。
- Karni Crossing- 2011年に閉鎖。
十分でない教育
46万3600人もの子どもたちが694もの小学校・中学校に通っています。学校の数はまったく足りておらず、授業はダブルシフト・・・交代制で行われています。
1クラスには40~50人もの生徒が在籍しています。また13もの学校が頻繁にイスラエル軍とパレスチナの武装勢力が衝突する危険な地帯に建っており、大勢の子どもたちがそれらの学校に通っています。
爆発的な人口増加問題
ガザの人口は今後10年以内に213万人に到達すると予想されています。これは世界でトップクラスの人口密度増加をガザにもたらすことになります。
現在のところ、ガザ内すべての1平方キロメートルに住んでいる人数は平均4505人。それが2020年までに1平方キロメートル当たり5835人に上昇すると予想されています。
この激しい人口増加は無論自然に起きていることですが、国連によれば7万ほどの住宅が不足する事態に陥っているということです。また1万2000人もの家は破壊されたままの状態になっています。
15歳から29歳の若者の人口率は全体の53%。非常に若い人たちが多いということです。これは一見素晴らしいことのように聞こえますが、前述したように彼らが学ぶ場や働く場が十分ではありません。
よって何もすることのない若者たちによる暴力や過激な行動、社会的緊張が生まれる可能性が強いのです。
実際に前述した密輸トンネルを経由して入ってきたマリファナドラッグを購入していた大半が、エネルギーを弄ばせくすぶっている若者たちでした。
深刻な医療健康問題
ほとんどの医療施設では十分な治療を施す機材や薬がそろっていません。至急、最先端のものにする必要があります。
そしてエジプトのラファへ渡ることを閉鎖された事態により、それまで随分と依存していたエジプトからの貴重で重要な医薬品の供給がなくなってしまいました。
それまで4000人以上もの病人患者が治療のためにラファに渡っていたものでしたが、彼らの大半がそれをできなくなってしまいました。
密輸トンネルの閉鎖は燃料と電力不足に繋がり医療施設機能を最悪のものにしました。頻繁かつ長時間の停電は医療機器に多大な悪影響を及ぼしているのです。
魚を食べたい!食料問題
ガザにおける食料不足のレベルは2012年から2013年の間には44%から57%に跳ね上がってしまいました。ガザの80%もの人々が食料援助を受けて生きながらえています。自力で基本的な食事を賄えている人はほとんどいないのです。
農業や漁業へアクセスするにも、イスラエルによるさまざまな制約が理由でうまく回っていません。
2012年11月の停戦合意後、釣りの制限が3海里から6海里に延長はされました。とはいえ、ガザからのロケット弾が飛んでくると、すぐにまた3海里に狭まれます。
パレスチナの漁船が接近したり、船の運航が制限範囲を越えてしまうと、イスラエル海軍がたちまち発砲してきます。国連はこの漁業の制限を解除するよう要求しています。
漁業範囲が広がりもっと自由に魚を捕れるようになれば、当然これは雇用拡大の機会に繋がります。また十分な魚を捕られると、人々に安価のタンパク質供給源を提供することができ、栄養失調問題の解決になるからです。
そんな大昔の話でもないのですが、ガザでは漁業が盛んでした。パレスチナ人たちも日本人同様、魚の食事が好きなのです。
自由がきかないのは漁業だけではありません。イスラエル宣言緩衝地帯での農業を営むのも許されていません。
これは、年生産の推定7万5000トンの生産の損失につながっています。ちなみに制限された領域は、ガザの最高の恵まれた耕作地だと言われています。
停電は当たり前
停電はもはやガザの日常光景です。ガザには発電所はひとつしかありません。イスラエルと共同で提供しています。エジプトからわずかな電力提供もされていますが、実のところまったく足りていません。
多くの家庭では独自の発電機を持っていますが、燃料を購入することは非常に高価であるため、発電機があるもののそれを動かすことができません。
密輸の取り締まりがされる前までは、エジプトの安いディーゼルに頼り、まだちょっとはましな状態でした。
2013年には電力が足りなくなり43日間、発電所が強制的に閉鎖される事態が起こりました。この長い停電は人々の生活や健康、衛生面でどのくらい大きなダメージを与えたことか、想像し難いことではありません。
ちなみにこの後、カタールからの寄付金により、なんとか発電所を再開することができました。
汚水を飲まなければならない・・・
ガザにはほとんど雨が降りません。地下水の供給を補充する淡水源を持ってはいますが、需要にまったく追いついていません。
世界保健機関(WHO)の品質基準を満たしている水道水はほんの5.5%ほどです。赤ちゃん、老人、病人を含む34万人もの人々が劣悪な水を飲むことを強いられています。
排水と下水問題はガザ地区の頭痛の種のひとつになっています。2013年に発電所が止まり長い停電が起きた、とすでに書きましたが、これは廃棄物の処理ができなくなり、雨水システムへの下水のリリース麻痺を起こし、洪水をも招き起こしてしまいました。
未処理又は部分的にしか処理されない下水の約9000万リットルは汚染、公衆衛生上の危険や問題を生み出し、毎日このとんでもない品質の水が地中海に圧送されています。冬の嵐が起きた時には下水と雨水が街中に流れこみ、公衆衛生がより悪化しました。
経済はガタガタ
最後にお金の問題です。
ガザの経済状態は1990年代より悪化しています。21%もの人々が毎月1832シュケル(約6万円)以下で生活することを強いられています。実際はこの数字より下回る金額で、これは深刻な貧困です。
ガザでの失業率は50%以上。イスラエルに比べてはるかに多い数字です。また2013年のトンネル封鎖(密輸取り締まり)は、ガザの経済において460万ドル(約5億5000万円)の損失を招きました。
他にもこの密輸取り締まりは、徴税収入の減少により、政府がガザの5万人もの公務員への給与支払いを遅延させるという要因になりました。そして密輸封鎖による深刻な建築材料不足は資材の価格の高騰、建設部門の労働力のリストラにつながりました。
さらに燃料不足は、輸送、漁業、農業部門で数千人もの雇用労働者が収入を失う結果になってしまいました。
移住すれども・・・
昨年の2014年の7月には、イスラエルはガザ地区にて地上戦を開始し、500人以上ものパレスチナの民間人たちが死亡しました。
もはやこの地の悲劇はお金だけでは解決しないですし、そもそもお金を生み出す術すら奪われています。外国からの寄付金や援助が全てといってもいいかもしれません。
ここでもう一本紹介したい映画があります。「アメリカ(Amreeka)」(2009年)恐らくこれもネットの動画で視聴できるはずです。
- カイロ国際映画祭・・・ベストアラブ映画賞受賞、ベストアラブ脚本賞受賞(2009)
- カンヌ映画・・・Firpesci賞受賞(2009)
- ドバイ国際映画祭・・・主演女優賞受賞(2009)
- 米国映画批評会議賞・・・One of Top Ten Independent Films受賞(2009)
- The Heartland Film Festival・・・One of Top Ten Truly Moving Pictures For 2009受賞
クリスチャンのモナはwest bankのパレスチナ自治区で年老いた母親と1人息子と3人で暮らしていました。夫とは別れています。モナは銀行に勤め、それなりのステータスを持つ生活をしていました。
ある時、アメリカ永住権を取得できたという通達の書類を受け取ります。ずっと以前に申請をしていたのですが、とうにそんなことを忘れており、気乗りはしません。
ところが息子のファディは狂喜して「絶対にアメリカに行こう!」とプッシュしてきます。モナは悩みますが、年老いた母親は兄に任せられるし、毎日のイスラエル兵の検閲にも辟易しており、ここにいれば息子の未来もない・・・。ついに渡米を決意します。
アメリカ人の入国審査官が「どこの国出身だ」と尋ねます。
モナは「私たちには国がありません」と答えます。
再び入国審査官が「occupation(職業)は何だ?」と尋ねると、
「イスラエルに長いことoccupation(占拠)されています」と答えました。
モナの姉(パレスチナ人の大女優Hiam Abbass)は夫と3人の娘たちとイリノイ州で暮らしています。この姉家族を頼り、モナとファディはそこに居候します。
姉がパレスチナを去り、アメリカに渡ってきたのは10年以上前。ホームシックで胸がいっぱいでした。アメリカにはもう疲れています。一方モナは、日々の暮らしが大変だったパレスチナからようやく脱出できて、新大陸アメリカでの新生活に胸を弾ませています。
すっかりアメリカ人のようになっている姉の心は遠く離れたパレスチナにあり、コテコテのパレスチナ人の妹の気持ちはすっかりアメリカ・・・よって仲が良い姉妹ですが、どうもやりとりがぎくしゃくします。
モナが(祖国にはなかった)アメリカのネットワークビジネスをあっさり信じてサプリメントをネットで買い込むのも、息子のファディの(国から持参した)服装が野暮ったいと従姉妹に指摘されるのも、いかにもさもありなん。
モナは張り切って銀行での仕事を探しますが、故郷ではエリートでもアメリカでは単なるアラブ人移民。パレスチナでの学歴も職歴もまったく役に立ちません。結局挫折してファーストフード店に就職。しかしそれを息子や姉一家には恥ずかしくて話せません。
息子のファディは夢に見ていたアメリカに失望します。高校でもなかなかなじめませんが、やはりそのことを母親には言えません。
話が進むにつれ、アメリカがイラクと戦争をします。無知なアメリカ人たちにモナたちまでもがテロリスト呼ばわりされます。
一見、辛い映画なのですが主役のモナが明るくポジティブな上、最後も「なるようになる、希望をもって生きていこう」といったような終わり方だったのが良かったです。
ただし現実は故郷を離れずいるのも、故郷も離れても過酷でシビア。アメリカに限らず、エジプト、ヨルダン、レバノンに逃れたパレスチナ人たちも、同じアラブであるのに「難民」扱いされよく差別されます。
イスラエル、パレスチナの主張のどちらが正しいという議論はさておき、パレスチナの一般の善民たちがとんでもない劣悪な環境の下に置かれている事実は否定できません。
他にも悲惨な状態の民族はいますが、こういったことは「自分には関係ない」といって無視するのではなく、少なくとも同じ人間としてしっかり考えていかねばならないのではないでしょうか。
そして世の中、お金で解決するものは数多くありますが、このパレスチナ問題は一筋縄では解決できない、お金の力だけではすっきりしない、という地球が抱えているとても深刻な問題のひとつといっていいでしょう。
ネット上では常にこの件には多くのコメントが寄せられています。
自分の国籍、民族、宗教によって大きく意見が変わってくるのは当然のことですが、それぞれ歴史認識があまりにも異なっているのも、人々の議論が平行線になっている大きな理由と言えるのではないでしょうか。一部をご紹介します。
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「許し、受け入れ、理解、交流」が大事なんだ。
ユダヤ人もパレスチナ人もそこのところを分かって欲しい。まずは互いに許し合うところから一歩踏み出そうよ。
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イスラエルがパレスチナに与えたダメージの大きさは計り知れないな・・・。
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大昔はこの土地がどっちのものだったか、と争い続けるのは滑稽ね。私たちアメリカ人は昔より未来を大事にしているわよ。
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アラファト議長の交渉のやり方も間違っていたんじゃないかな。
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一番の問題がイスラエルもパレスチナも罪もない民間人が巻き添えをくらっているということだ。
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現代世界において、すべての人々がナチスの行った残虐行為を非難している。しかしこの中東以外でも、このような民族宗教差別は行われている。
我々人類はもっと大人にならなければならないのだ。
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中東のあちらこちらにアメリカン大学があるけどさ、裕福なアラブ人たちをアメリカやイスラエル側に引っ張り込むための洗脳する場所になっているんじゃないかな。
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イスラエルだけが悪者のように言われるのは心外だ。
南アフリカのアパルトヘイト然り、世界中にはもっとひどい紛争があるのになぜかイスラエルだけが弱い者いじめをしていると悪口を言われている。
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パレスチナ問題は国連でもスル―されているよね。
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この問題はイスラエル寄りか、パレスチナ寄りかで意見が大きく分かれる。昔にさかのぼっても、この土地が本来はどっちの民族に属していたのか、決定的な証拠がない。
ただこれだけはいえる。たった一日で自分の国によその国の旗が立ち国名が変わり、突然自分が難民になる・・・どういう気持ちになるか・・・。
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シオニズムの名目でユダヤ人の入植が行われたけど、パレスチナの土地を横取りする資格はあったのかな。
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何もわかっていないぼんくらが多すぎる!最初はパレスチナ人が喜んで自分たちの土地を差し出したんだ。大金に目を眩んでね。
「こんな不毛な砂漠の土地はいらないよ、さあどうぞ」と言ったんだよ。
ところがイスラエル人たちがみるみるうちにその砂漠を立派な近代都市に変身させてみるやいなや、パレスチナ人たちは急に惜しくなって取り戻したくなったんだ。
国境問題も頻繁に取り上げられているが、国境(検問所)だってパレスチナ人が先に始めたんだ。自分たちが苦しくなるとすべてイスラエルのせいにしてくる・・・おいおい。
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無実で良心的な人々に与えられている過激な試練・・・気の毒に。
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どんな価値観を持っているか、によってこの問題についての意見は分かれるでしょうね。
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イスラエルもパレスチナでも罪のない人々が大勢殺されているのは間違いない。そろそろ両国はどうにかすべきだ。
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「イスラエルに対するアラブ侵攻」という見出しをよく見かけるけど、イスラエル側による完全なプロパガンダだな。
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1929年4月のNYタイムズの新聞を読んでみて。最初はアラブがイスラエル人たちを殺していたのよ。
イスラエルに苛められている気の毒なアラブ(パレスチナ)というイメージは完全なるパレスチナ側の戦略よ。
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そもそもの悪者は二枚舌外交のイギリスよ。ある意味イスラエルもパレスチナも犠牲者よね。
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自爆テロを英雄と見なすパレスチナの風潮もどうかと思う。
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神の土地は神に属するもの。決してイスラエル人のものでもパレスチナ人のものでもない。このことを忘れている人があまりにも多い。
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両者とも聖書の世界を持ち出すからややこしくなる。歴史的観点のみで議論すべきだ。
【参考URL】http://www.bbc.com/news/world-middle-east-20415675
http://topdocumentaryfilms.com/life-death-gaza-strip/
ガザ地区についてざっくり知れる良い機会だったな。検問のやつちょっとみたことあるけど、実際あんな風なんだったらほんとヤだ。「ガザ地区」で画像検索するとヒエッ・・・ってなるよ。オススメはできない感じ。彼らの日常を考えると結構つらい。
>「許し、受け入れ、理解、交流」が大事なんだ。
>ユダヤ人もパレスチナ人もそこのところを分かって欲しい。まずは互いに許し合うところから一歩踏み出そうよ。
現在進行形で殺しあってるのになに言ってるんだ?
お前の家族を殺し次はお前の命を狙ってる殺人犯を許して受け入れ理解して交流できるのか?w
>大昔はこの土地がどっちのものだったか、と争い続けるのは滑稽ね。私たちアメリカ人は昔より未来を大事にしているわよ。
その台詞をネイティブインディアンに直接言ってこいよw
>1929年4月のNYタイムズの新聞を読んでみて。最初はアラブがイスラエル人たちを殺していたのよ。
NYタイムズはユダヤ系メディアだし、ユダヤ人に関する昔の記事は偏向が酷かったからなぁ…。
勉強になるコメ
>>大昔はこの土地がどっちのものだったか、と争い続けるのは滑稽ね。私たちアメリカ人は昔より未来を大事にしているわよ。
そりゃぁアメリカという国は…
アメ公とまともに会話しても意味ないからw
どうしたらいいのかサッパリわからんわ。
イスラエルが経済力武力影響力において優勢なんだからイスラエルの行動次第だとは思う。
でもイスラエルはパレスチナ人がいなくなるまでやるんだよ。
薄着のお姉ちゃんがいるユダヤが正義であり、薄着のお姉ちゃんがいないイスラムは悪だ。悪は殺せ。
日本の報道とは真逆ですね。
なんでガザ地区のパレスチナ人は人口抑制政策とらないのかな?
宗教上の理由かね
同じパレスチナでもヨルダン川西岸地区が、ガザ地区ほどヒドイ状態という話は聞かないね
俺が無知なだけかもしれないけど
ブリカスが責任とれよ
これは日本にも当てはまる
例えば中国人や韓国人が過去の歴史で嘘をついた事に日本人が
いくら反論しても、英米のメディアは「日本人が歴史を歪曲している」と
信じない おまけに日本についての歴史は中国系や韓国系が英語で書いて、
そこには出鱈目な情報を載せている 豊臣秀吉が朝鮮人を大量虐殺したが、
日本は韓国人に対して謝罪の気持ちはなく、まるでアイルランド人を苛めた
イギリス人の様に過去を忘れろと命令してくると教科書に書いてある
こういう事が書かれている為に、無知なアメリカ人やドイツ人からも
「どうして日本人は今でも中国人や韓国人を苛めるんだ。だからお前ら
嫌われるんだよ」と言われた事がある 言ったもん勝ちの世界なんだと思った