オスカー受賞のラッキーアイテム。そう呼ばれる靴があるのをご存知ですか?
アカデミー賞のレッドカーペットを歩くスター女優達にとって欠かせないアイテム。それがジミー・チュウの靴です。かつてダイアナ妃が愛した靴でもありました。
今や世界中の都市にジミー・チュウブランドのお店があり、セレブな女性達がこぞって彼の靴を買い求めます。けれど彼は、ビジネスより一足の靴作りを大切に思う職人でもありました。
生い立ち:マレーシアの靴職人の息子に生まれて
ジミー・チュウは、1961年11月15日、マレーシア、ペナンで中国系の靴職人の息子として生まれました。父親は靴職人として靴屋のために靴を作り、その収入はわずかなものでした。
幼い頃より父親の跡を継いで靴職人になるつもりだったジミーは小学校に入ると、父親に靴作りを学ぶようになります。
そして11歳の時に初めて1足の靴を作りました。世界的デザイナー、ジミー・チュウの第一歩でした。
その後、ジミーは当時ペナンで有名な靴職人の下で働き始めます。しかし、ジミーはそこでの靴作りに満足することはありませんでした。単なる靴職人ではなくシューデザイナーになりたかったのです。
ロンドンでシューデザイナー修業
やがてジミーはロンドンで靴のデザインを勉強したいと思うようになります。しかし、彼にはお金がありませんでした。
父は息子をロンドンに行かせるために、友人や親戚中からお金を借ります。そして、ジミーは人生の新しい扉を開くためにロンドンに旅立ちました。
夢と希望を胸に訪れたロンドンでしたが、最初は苦難の連続でした。ハックニーの「Cordwainers Technical College」に入学したジミーは、デザインの勉強をする傍ら、レストランや靴工場の清掃の仕事をして学費を稼ぎました。
父が持たせてくれたお金は、1年と持たなかったからです。
1983年、ジミーはカレッジを優秀な成績で卒業します。卒業後、靴工場でデザインから生産までの製造過程を学びながら靴作りを始めました。
そして、この頃、ジミーは香港出身の妻レベッカと結婚します。レベッカもカレッジで靴のデザインを学んでいました。
ジミー・チュウ伝説の始まり。ダイアナ妃も顧客に
1986年、ジミーはハックニーに初めて店をオープンしました。ジミーの靴はデザイン性に優れるだけでなく、靴型から作成し、素晴らしい手仕事で作られた靴は、まるで魔法のように顧客の足にぴったりでした。
瞬く間に、ファッションに敏感な女性達の間でジミーの靴は評判を呼ぶようになりました。
1988年、Vogue誌で8ページに渡って特集が組まれます。これがきっかけとなり、ジミーの評判はロンドンのみならず、世界中で注目されるようになりました。
セレブの顧客もでき、1990年以降は、ダイアナ妃愛用の靴として知られるようになります。ダイアナ妃は、あらゆる場所にジミーの靴を履いて出かけるほど、ジミーの靴を愛しました。彼のシューデザイナーとしての評価は高まるいっぽうでした。
ジミー・チュウブランドの誕生
彼の靴への人気が高まるにも関わらず、ジミーは依然として高品質のハンドメイドの靴を作り続けたため、1週間で20足ぐらいしか靴を作ることができませんでした。そこに現れたのが、Vogue誌のアクセサリーエディター、タマラ・イヤーダイ・メロンでした。
タマラは職業柄、1年間に何百人というシューデザイナーに会ってきましたが、ジミーには特別な才能があると感じていました。彼女は、ジミーの靴は大量に作れば、もっと儲かると考えたのです。
そして、ジミーに一緒に組んで、既製靴のブランドを立ち上げないかと持ちかけます。
1996年5月、ジミーはタマラと共同で「Jimmy Choo Ltd.」を設立します。ジミーとタマラ、それぞれが会社の株50%を持ち株とし、タマラの父親、トムが会長となり、ジミー・チュウブランドの既製靴が誕生したのです。
世界中のセレブが顧客に
ジミーとタマラは一緒に高品質の靴を作ることに集中し、急速にビジネスを拡大していきます。二人は、イタリアの工場と契約し、靴の大量生産を始め、1997年、最初の直営店をロンドンにオープンしました。
90年代後半までには、ロサンジェルス、ニューヨークなどにも出店し、ハリウッドセレブが顧客に名を連ねました。有名なTVドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」でもヒロインがジミーの靴を履き、スター女優達がレッドカーペットの上をジミーの靴で歩いたのです。
ものづくりへのこだわり
ジミー・チュウブランドは華々しく世界中に拡大していくのですが、ジミーとタマラとの間には考え方の相違が現れます。
タマラは靴を大量生産し、セレブの顧客を獲得し、ブランドのマーケティング戦略全てを取り仕切っていました。一方、ジミーには、全てが巨大すぎ、早急に過ぎるように思えたのです。
2つのジミーチュウブランド
2001年4月、ジミーは自分の持ち株50%をタマラに1600万ドル(約16億6400万円)で売却します。そして、ジミーは、自分の名前を冠したブランドから退き、最上の顧客のみのためにオートクチュールの靴作りに専念するようになります。
一方、既製品のジミー・チュウブランドは、ジミーの姪サンドラをヘッドデザイナーとし、さらに事業を拡大し続けます。ハロッズのような高級デパートにも靴を卸し、世界中の大都市での店舗数は3年の間に26店舗にもなりました。
靴のみならず、バッグや革小物の販売も始めました。ブランドの成長は止まるところを知らない勢いです。
オートクチュールの職人として最高の栄誉
今やブランドが世界中で知られるようになる一方、ジミーは、自分のルーツに戻り、ロンドンで王族や大富豪などお得意様のみを相手に靴を作り続けています。
その靴は、靴底に「Handmade」と刻印され、一般に販売されている靴と一線を画します。そして、その傍ら、大学で学生達相手に最高級の靴の作り方を教えています。
2004年7月、ジミーはその教育の実績に対して名誉博士号を授与されます。その他にもダトゥという貴族に匹敵するマレーシアの称号、大英勲章第4位なども授与されました。11歳で靴職人だった父親に弟子入りして、長い道のりの末にたどり着いた栄誉でした。
まとめ:完璧な靴作りがビジネスより大事
ジミーのビジネスのスタイルは古臭いものかもしれません。父親から受け継いだ職人気質。それがジミーにとっては、ファッション性や利益を追求するより大切なことだったのです。
ジミーはあるインタビューでこう答えています。
「皆、スケッチブックにデザインを描きます。けれど、靴が快適であること、その人にぴったり合うこと、バランスが取れていること。重要なのはこのようなことなのです。」
【参考URL】http://en.wikipedia.org/wiki/Jimmy_Choo
http://teochiewkia2010.blogspot.jp/2010/03/penangs-world-shoe-king-jimmy-choo.html
http://www.biography.com/people/jimmy-choo-20692491#going-out-on-his-own
http://www.bornrich.com/jimmy-choo2.html
http://www.stylesequel.com/designers/jimmy-choo/biography
http://www.blog.jewelryaccessories.com/fashion-designers/428-jimmy-choo.html
http://www.notablebiographies.com/newsmakers2/2006-A-Ec/Choo-Jimmy.html
http://fashionforrealwomen.com/blog/jimmy-choo-shoes/
http://row.jimmychoo.com/en/home
オタクのダニーさんのお父さんだよね
ダニーチュウ氏がアニメ好きなのも、「強大な父との対立」みたいなのがあるからかな。
ほーダニーチュウのお父さんか!
しかしダニーはそんな父親ながら結構苦労して頑張ってるんだな!そこら辺のオタクとは全然違う子供時代を過ごしてるんだよね。
父に対する感情は尊敬の方が大きいみたいだよ?その父も苦労してるんだからね。
ダニー・チュウってジミー・チュウの息子だったのか!!!
基本的に善良で品の悪くない人だとは思ってたけど
まさかセレブの息子とは…
こんな立派な父親がいたのに、どうして息子は害人へと成り果て、
他社商品をコピーして売り出す商売に手を染めてしまったのか…orz
おまいらダニーチュウを知ってるのか?ググって調べろ。
セレブの息子?何を想像してるんだ?おまえらより苦労してるぞ。
※6
セレブの息子には違いない。
そちらこそ勝手に単語に余計な意味を付与して想像しているのでは?
セレブ=子供を甘やかす、大金を与える ではない
ダニーチュウの自伝を読んだら、苦労と信念と決断の人だよね。
親がセレブならセレブの息子だろ?
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