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李兆基〈Lee Shau Kee〉 小学校卒業のみで、香港No3富豪に 

2014/10/09
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一人の無名の若者が、地を揺るがすかのような大きなことを成し遂げます。ほんの数十年で多くの人が注目する香港の不動産大手 永恒基业を創設した李兆基Lee Shau Kee。

細やかな処世術と計算高さ。`小さなビジネスは勤勉さ、大きなビジネスは正確な読みが大切‘と語る彼の名は、世界の富豪の中にランクインしています。

その成功の秘訣は、なんでしょうか?

生い立ち

李兆基は1928年、中国広東省順徳に生まれます。

教育制度が整っていなかった当時、彼は地元の個人塾で学びます。

父親は広州で高利貸し(のちの銀行業)を行っていました。今でこそ広東省珠江三角地帯は工業、貿易の中心地ですが、1930年代の広東省順徳、漁業・農業の郷ではあったものの、工業生産は相当遅れを取っていました。

彼の父親は、仕事に精通し一生懸命働きますが、やはり地元の小さな一件にすぎません。幼かった頃、彼はよく父親のもとへ行ってご飯を食べ、父親の仕事を観察し、ビジネスというのがどんなものか、子供ながら理解するようになっていきます。

のちに、学校を卒業し、父親のもとで働きます。社長の息子の立場ですから、楽な業務だけを行うことも可能だったでしょう。しかし彼は雑用係りから始まり、特別な待遇を受けることなく、高利貸しについて学んでいきます。

まだ10代だった彼は、紙幣に夢中になります。

大小の札束が出たり入ったりする様子をとても面白く思いました。すべてのことにお金が必要なこと、同時に、ほんの数日で紙幣の価値が変わり、昨日一枚の紙幣で買えたものが、今日は買えない、という事実をも知ります。

香港へ

1948年 高利貸しが続行できなくなり、父親と共に香港に移住。新天地です。

しかしどのように生計を立てていったらいいのでしょうか?この時の彼について、1000人民元の手持ち資金で香港にやって来たーとも、ある程度の蓄えがあったーとも言われています。

いずれにしても、中国と香港では貨幣制度が異なります。両替しない以上、どんな大金も紙くずにすぎず、価値がありません。広州で高利貸しを行っていた彼は、両替を熟知しています。

こうして、香港のとある路地で、両替及び金の売買を始めたのです。

当時マカオでは金の専売権がありました。彼はマカオで力のある数名と提携し、金の売買において大きな成功を収めます。

さらなるビジネスへ

資金を得た彼は、さらなるビジネスを進めます。金属部品等の輸出貿易です。これも軌道に乗り、ますますお金が入ってくるようになりました。

1958年、中国の有名な歴史書・三国志に出てくる3人の勇士の逸話 `桃園の誓い‘に倣って、香港ビジネス界の3人―李兆基 郭得胜 冯景嘻―で決議、提携します。

郭得胜が最年長、豊富な経験を持ち、的確な深い読みができる人物。冯景嘻は財務管理に精通し、株式市場にたいへん明るい人物。そして李兆基は3人の中で一番若いにもかかわらず、知能にたけ、敏捷に動くことができます。

三国志の登場人物 劉備玄徳・張飛・関羽ほどの誓いではなかったものの、3人の共同ビジネス。香港ビジネス界において、同じ思いで協力し起業する美しい成功エピソードとして知られるようになりました。

さらに5人の株主を加え、`永业企业公司=永業企業会社‘を設立。まず手掛けたのが、香港沙田にあるホテルの買収です。ホテルは大変人気を博し、経営は大成功しました。

不動産業へ

1963年、3人は他の5人の株主と一線を引くため、新たに`新冯基企業有限会社‘を設立。それぞれの氏名から一文字ずつ取っての命名です。

創業当時の規模はとても小さく、一人100万香港ドルの出資で、資本金300万香港ドル。従業員は十数名。当時の香港ビジネス界において、3人は中流の企業家にすぎませんでした。

しかし、新たな起業、大望を持ち勢いに乗っていた彼らは、他社が行っていないことに目を付けます。多くの開発業者が、ビジネスエリアや工業地、さらには大型住宅の開発を手掛ける中、彼らが手掛けたのは、中小住宅の開発。

香港の急激な経済発展を背景に、多くの若者が、マイホームを持とうとする中、このプロジェクトが大成功。こうしてその後5年にわたり、不動産業界において経験を積み、しっかりとした基盤を築きあげていったのです。

独立

1972年、彼は新冯基企業有限会社の会長の座を退き、副社長としてのみとどまります。3人は資産を分割しそれぞれ独立します。そしてこの年、別の同志と共に`永泰建業公司‘を設立。

新たな会社を起業したての頃、株式市場は大変動。彼はこの機会を逃しません。1元の株価が17元に急上昇した折、大きな利益を上げます。

しかし翌年1973年3月、香港株式市場大暴落。不動産価格も急落。前年、巨額の利益を上げていた彼は、すかさず古いビルや価格の下がった土地を次々に購入。実際の不動産は、株より安心と考えたのです。

自身の巨大企業へ

1975年、ついに自分の会社―恒基兆業有限会社―を設立。始まりは株式市場に上場していない個人企業にすぎませんでした。しかし、わが子のように会社経営に心を配ります。

自身の物件を元に、永泰建業公司の株式を大量購入。42.9%の株式を得、最大株主となり、永泰建業公司への経営権を強めます。

1981年、香港の不動産バブル期。恒基兆業有限会社を株式上場。10億香港ドルの資金を得ます。これによって、その後の不動産低迷期にも、安定して、危機を乗り切ることができました。

さらに1988年、永泰建業公司を完全に買収。すでに不動産業に加え、香港タイヤメーカー・中国ガス企業への投資も行っていた同社を傘下に入れ、新たに12億香港ドルの株式を発行。巨大企業へと発展していきます。

仕事ぶり

`小さなビジネスは食べられなくなることを心配するが、大きなビジネスは生きられなくなることを心配する‘ 

と常々言っている彼は、大きなリスクを負って巨額の投資をすることはありません。周到に調査し、緻密に計算するのです。どれだけの利息が付くのかあるいは支払うのか、細かな点もしっかりと計算。少額であってもお金の動きに敏感です。

さらに、アジアとりわけ人脈を重視する中華系ビジネスマンの中では珍しく、飲食をはじめとする接待に費用を費やすことはありません。

会長の立場でありながら、新たな開発計画においては、それが住居ビルやマンションといったものでも、自らかかわり、窓の向きや大きさ等意見することも少なくありません。

現在

李兆基が会長を務める`恒基兆業有限会社‘は、現在香港最大企業グループの一つ。また彼自身は2013年3月アメリカ・フォーブス社の世界の富豪ランクにおいて24位にランク付けされています。

2014年3月 フォーブス香港富豪ランクにおいては第3位です。

まとめ

小学校までしか学んでいない李兆基。それでも、子供の頃からいつも紙幣に囲まれ、計算計算の生活。そうした若いころからの経験は、彼を数字に強い、計算高い、先見の明に富んだ人にしたようです。

彼の残した格言に、`小さいビジネスは勤勉に。大きなビジネスは計算高く‘というものがありますが、まさにそれを地で行ってきたのです。

また、よいビジネスパートナーに恵まれたことも彼の成功の一因かもしれません。彼の人柄かあるいは人を見る目があるのか、あるいはその両方かもしれません。

【参考URL】http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%85%86%E5%9F%BA
http://www.zhlzw.com/lz/ys/37018.html
http://www.mrgushi.com/chuangye/1655.html

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この記事に対するコメント
  1. 日本の名無しさん より:

    んー高利貸しの話は昔の日本人にもありますし
    商売人の基本ですよね、しかも詐欺の多い韓国や中国のありふれた話なんで
    何の感動も無いですね。
    サムスンやアリババだって似たようなモンですよ?そりゃ頭は良いでしょう、人を騙す。

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