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世界初のコンピュータを作った無名の男 【コンラート・ツーゼ氏】を知っていますか?

2014/07/17
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世界で最初にコンピュータを作った人は誰でしょうか。この素朴な質問の回答は、実はひとつではないのです。

1930年代から1940年代にかけて「世界で最初のコンピュータ」を作った人たちが何人かいます。その中でも最も知られていない人物はコンラート・ツーゼではないでしょうか。

彼は、その記念すべき作品を戦争により失いました。そのため、長い間、彼の業績は埋もれていなければなりませんでした。

輝かしいスポットライトを浴びることはなかったけれど、コンピュータの仕事に関わる人なら誰でも彼に興味を持つのではないでしょうか。

なぜなら、まだ原野そのものでそこには黄金があるかどうかわからなかったコンピュータの世界に、独創的なアイデアで飛び込んでいったパイオニアの一人であることは間違いないからです。

コンラート・ツーゼの生い立ち

コンラート・ツーゼは1910年、6月22日、ドイツ、ベルリンで生まれます。その後、家族は東プロイセン州ブラウンズベルグ(現在のポーランド、ブラニェボ)に移り住みます。

1927年、ツーゼはベルリン工科大学に入学します。絵が上手かった彼は、最初は建築の勉強を志したのですが、その後、土木工学を学ぶようになります。ここでの経験がツーゼが計算に使う機械式装置の開発に興味を持つきっかけとなりました。

当時、土木工学の勉強の際には、まるでそれがトレーニングだと言わんばかりに、長い計算式と格闘しなければならなかったのです。

コンピュータの作成

1934年大学を卒業後、ツーゼは、ヘンシェル航空機製造会社に就職します。彼は、そこでもまた膨大な計算を必要とする応力分析の研究に携わることになりました。

ツーゼは会社でも将来有望視された存在でしたが、1935年、退社してしまいます。

当惑する両親にツーゼは言いました。

「自動計算機を作るからリビングルームを貸してくれないか」

そして、ツーゼは友人たちの助けを借りながら、自動計算機、コンピュータの作成に取り掛かりました。

ツーゼが、同時代のコンピュータパイオニア達と違うところは、全く単独でコンピュータを作ろうとしたところです。

大学や研究所には属さず、他の地域で進んでいたコンピュータの研究についても全く知らず、コンピュータの理論も設計も彼独自のアイデアでした。作成の動機も、いつも悩みの種だった計算式を自動計算機で処理することでした。

当時の計算機で、最も難しいのは、全ての中間結果の経過を記録し、それらの結果を適切な場所で計算に使うことでした。ツーゼはこの困難をなんとか解決したいと考えます。

そこで思い付いたのが、3つの基礎部分、制御とメモリと演算各々のユニットを独立させた自動計算機でした。3つの基礎構成ユニットの他に、2進法を取り入れ、パンチカードでプログラムする。

そうやって作られた自動計算機は、驚くことに、現代のコンピュータの基本的な要素を備えた機械だったのです。

最初のコンピュータの完成

1938年、3年がかりでツーゼは最初のコンピュータZ1を完成させました。しかしながら、Z1は「成功した!」と手放しで喜べる発明ではありませんでした。

というのも、0と1を表す金属板の切り換えを通じて命令を送る方法が上手く働かなかったのです。

Z2の開発と完成

そこでツーゼは、より優れたコンピュータ、Z2の開発にとりかかります。Z2では電話交換に使われる機械式リレーを演算ユニットとして採用しました。

ツーゼの友人で技術者のヘルムート・シュレイヤーは、真空管の使用を勧めましたが、真空管はリレーより信頼性が劣るとツーゼは考えていました。

彼の目指したゴールは、企業で現在使われている計算機にとって代わる機械で、そのため、実用的でかつより耐久性のある機械を作りたいと考えていたのです。

しかしながら、この計画は、第二次世界大戦の始まりと共に中断せざるを得ませんでした。ツーゼも徴兵されたのです。彼は軍を説得し、また友人たちの助力を得て、再びコンピュータの作成に戻ります。

そして、1940年、ツーゼはZ2を完成させました。しかし、まだまだZ2は実験的なマシンでした。

ツーゼはZ2を当時のドイツの航空研究局で披露し、次のZ3の開発資金の一部を援助して貰うことに成功します。

1941年、世界最初に実用化されたプログラム可能な電気機械式自動計算機、Z3が完成します。Z3は、Z2で成功したリレー式を取り入れたマシンで、浮動小数点を採用することで、小さい桁から大きな桁の計算まで高い精度で計算することを可能にしました。

Z3はアイデアを試すというより実用性を目指して作られ、実際にドイツの航空産業で使われました。

会社の設立と戦争

ツーゼは政府のために働く一方で、1941年、ベルリンで世界最初のコンピュータの開発のみを目的とした会社を設立し、更に改良したコンピュータ、Z4の開発に取り組みます。

1945年、Z4の完成を目前にして、ベルリンは空襲され、ツーゼの他のコンピュータは破壊されてしまいます。

ツーゼはZ4と共に南ドイツに避難しました。そこで戦後を迎えたツーゼは、連合軍により取り調べられますが、そのキャリアを停止されることはありませんでした。

開発の再開

戦後、ツーゼはスイスに移り、Z4の開発はそこで再開されます。Z4はジュネーブの工科大学に貸し出され、世界最初の商業用コンピュータとして稼働します。

ツーゼはそこでもう一つの研究も再開しました。それは、コンピュータのプログラム言語「プランカルキュール」でした。

「プランカルキュール」は、世界初の高水準プログラム言語で、現代に使われている言語の基本的な特徴をほぼ備えていました。

ベルリンであらゆるものを破壊されてから数年後、1949年にツーゼはドイツに戻り、会社を再び設立します。そこで次々とZシリーズを開発していきました。

しかし、時代はアメリカの時代でした。世界中のマーケットをアメリカのコンピュータ産業が席巻し、また完全な電子化が遅れたこともあり、ツーゼの会社は財政的に困難となります。

1967年に会社はシーメンスに売却され、Zシリーズの生産は打ち切られてしまいました。

引退後

ツーゼは、シーメンスのコンサルタントなどを続けながら、1960年にZ3、1984年にZ4のモデルを再び制作します。

引退後は、好きだった絵画に取り組み、1995年ドイツ、ヒューンフェルトで亡くなりました。

まとめ

どの大きな組織にも所属しないで、ただ一人でひたすら自分の夢のコンピュータを作ることに打ち込んだ。ツーゼの人生はそんな人生でした。

誰よりも優れた才能を持ちながら、彼の業績は、戦後長い間埋もれていて、公に評価されることはありませんでした。そんなちょっとほろ苦いけれど、まさにイノベーターそのもの人生は、今も多くの科学者や技術者達を惹きつけてやみません。

【参考URL】http://inventors.about.com/library/weekly/aa050298.htm
http://www.konrad-zuse.de/
http://www.idsia.ch/~juergen/zuse.html
http://zuse.zib.de/;jsessionid=6B825081776333822282C8109853737A
http://www-history.mcs.st-and.ac.uk/history/Biographies/Zuse.html

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