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貧しかった子供時代から億万長者へ!ラルフ・ローレン

2015/01/21
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ラルフ・ローレンという人物をご存知でしょうか。人物というより、ブランド名でご存知の方が多いのではないかと思います。

そう、あの有名ブランド、ラルフ・ローレンの創設者であるのがこのラルフ・ローレンなのです。彼はアメリカ人のデザイナーで、ファッション帝国を築いた人物でもあるのです。

現在億万長者として富とセレブライフを満喫しているローレン氏ですが、幼い頃は家庭が裕福ではなく、また学校では名前のせいでいじめをうけるなど、つらい幼少期を送ります。

そんな幼少期に決意した「億万長者になる」という夢を叶えたローレン氏。彼の成功の秘訣を探ってみましょう。

人々は私によく聞くのです。ブロンクス出身のユダヤ系の少年少女が、どうしたらプレッピーな洋服を着こなすことができますか?と。

どうしてスタイルは社会的クラスやお金に関係しなければならないのでしょう。そんな事はありません、スタイルはお金でなく夢と関係しているのです。

ラルフローレンの生い立ち

辛かった幼少時代

アイコン的なデザイナーであるラルフ・ローレン氏はニューヨークシティのブロンクスに1939年、10月14日にラルフ・リフシツという名前で誕生しました。

彼の両親はベラルーシからのアシュケナージのユダヤ系の移民でした。母親のフライドルは主婦で、父親のフランクは塗装会社に勤めていました。

リフシツという名前に”shit”(英語で「くそ」)という言葉が入っていた事を常に学校でからかわれており、それにとても辛い思いをしたローレン氏と彼の兄であるジェリーは、16歳の頃、彼らの名字をローレンと改名することにするのです。

彼のいとこも同じ目にあい、名字を「ローレンス」と改名していた頃から、それはいいと思い立ち、彼も「ローレン」と改名することにしたのです。しかし、もう一人の兄であるレニーは、そのまま家族の名前を受け継ぎました。

ローレン氏の家庭は決して裕福ではなく、二人の兄とともに助け合い、幼少期を過ごします。

ラルフ・ローレン氏のキャリア

デザイナーキャリアの始まり

1957年にデウィット・クリントン高校を卒業前にして、職業学校として知られるマンハッタンのバルチ大学で二年間ビジネスを勉強しました。

職業学校在学中、彼はジョン・F・ケネディやジェームズ・スチュワートなどに憧れを描き、自分も映画スターのような人物になりたいと熱望します。学校の卒業アルバムには、彼の顔写真の下に「億万長者になりたい」と当時の彼の夢が書かれています。

裕福でなかった子供時代、彼は夢を持つようにしていたと言います。その夢の一つが、ネクタイや洋服のデザインだったのです。

辛いことがあるたびにデザインへと逃げ、夢の世界で自分の世界を素敵なものにしていったのです。そして学校在学中からすでにネクタイを自分でデザインして作成し、クラスメイトなどに安価で販売していることで学校中に彼の名は知られていました。

学校卒業後はアメリカ軍に入隊し、少しだけそこで奉仕した後、ブルックスブラザーズで営業の仕事につきます。

1967年には、彼はビュー・ブルーメルというネクタイ会社にデザイナーとして採用されます。ローレン氏は男性用のネクタイをデザインし、そのブランドを「ポロ」と名付けてブランドを設立し、ブルーミングデールズなどの大手百貨店に売り込みに行くのです。

彼の幅の大きく、カラフルなネクタイは当時のスタンダードであった細く、暗い色のネクタイの常識を覆し、新しいトレンドを作ることになります。

そして彼のネクタイのデザインは大成功を収め、彼のデザインはメンズウェアのライン全般へと拡大していくことになるのです。

ついに自分の会社を立ち上げる

ビュー・ブルーメル社でデザイナーとして成功を収めたローレン氏。しかしそんな彼の成功を喜んでくれる人ばかりではありませんでした。

中には彼の成功に羨望する上司もおり、次のデザインを考えるころには彼のアイディアは拒否され続け、自分のやりたいデザインができなかったローレン氏は会社を退社し、自分の会社を立ち上げることを決意します。

そしてマンハッタンの洋服製造会社であるノーマン・ヒルトンの経済的支援を受け、ニューヨークに小さなネクタイショップをオープンします。

そしてその小さなネクタイショップは大繁盛。店舗をビバリーヒルズのロデオドライブなどの名誉ある地区にオープンし、会社も拡大していきます。

ブランド名も同じ「ポロ」というブランド名にし、イギリスとアメリカのスタイルをミックスし、上階級のクラスをイメージしたブランドを立ち上げるのです。

ローレン氏のメンズウェアは成功を収め、1970年にはローレン氏はメンズウェアのデザインでコーティー賞という、デザイン業界で名誉ある賞を受賞します。

この栄誉で自信をつけたローレン氏は男性もののクラシックなスタイルを取り入れた女性用のスーツをデザインします。

1972年には、24色もの幅広いカラーバリエーションで展開したコットンの半そでシャツをリリースし、それが話題を呼びました。このデザインにはすべてポロのロゴが胸に刺繍され、ブランドの代表的なルックスともなるのです。

成功続きのローレン氏は更に翌年、ラルフ・ローレン・パープルと名付けたラグジュアリーなスタイルの洋服のラインや、ラルフ・ローレンホームといった家具や日用品をデザインしたラインを立ち上げます。

その後男性ものから女性もの、子供洋服にまでラインを拡大し、アメリカのオリンピックのユニフォームをデザインするまでにと彼の名声を広めていきました。

ラルフ・ローレンブランドの成長

特に1980年から1990年代の成長が顕著で、アメリカ国内だけでなく、海外にもブティックをオープンするようになり、グローバル企業へと成長していきます。

1984年にはローレン氏はニューヨークのラインランダーマンションというハイブランドのファッションが立ち並ぶ地区にブティックをオープンし、ブランドの名声を確立します。

ラルフ・ローレンは1997年の6月11日に株式公開し、ローレン氏は億万長者の地位を確立するのです。この成功はローレン氏に650億ドル(約6千500億円)もの個人的な資産を手に入れるのです。

そして現在、ローレン氏は世界中で122番目にリッチな人物として、そして有名ブランドの創設者として世界中にその名が知れています。

ラルフ・ローレン氏のプライベートライフ

幸せな結婚生活

ローレン氏は元受付嬢であったリッキー・アンネ・ロウビアーと、1964年にニューヨークで挙式を上げます。結婚前まで両親の反対を恐れ、リッキーがピュアなユダヤ系でなく、ユダヤ系とのハーフであるという事実を隠し通し、挙式までなんとかこぎつけるのです。

そしてそれ以来幸せな結婚を維持しているローレン氏は現在、アンドリュー、デイビッド、ディランという三人の子供のよき父親です。

その中でも一番上の息子であるデイビッドのみがポロでのキャリアを選び、元大統領であるジョージ・W・ブッシュ氏の姪と結婚しています。

脳の手術を経て

ローレン氏は1980年に脳にできた腫瘍を取り除くための手術も経験しており、そのときは「とても怖くて、震えたよ」と、彼の明るく陽気な姿勢を壊さず笑顔でインタビュワーに話しています。

また、彼の有り余るほどの資産で美術館やアート施設に寄付も行っています。

まとめ

現在はセレブリティとして世界中にその名が知れているローレン氏ですが、幼い頃は家庭が貧しく、またいじめを受けるなどの辛い幼少期を経験します。

そんな頃に描いた夢。「億万長者になる」それを堂々と、身をもって叶えたローレン氏。人は環境に左右されてしまいがちですが、自分の現在の環境に屈することなく、大きな夢をもって生きた結果ではないでしょうか。

また、職場でも、彼の成功への周りの羨望から自分のデザインが拒否されてしまい、自分のやりたい事ができなくなってしまいますが、そんな状況を振り払おうと自分で会社を立ち上げます。

そのチャレンジ精神と、周りの状況に左右されることなく、自分のやりたいことを貫く生き方には頭が下がります。ローレン氏のの生き方からは私たちも学ぶことも多いのではないでしょうか。

これからも、ラルフ・ローレン氏がどんな新しいファッショントレンドを作ってくれるのか、楽しみですね!

【参考URL】http://www.notablebiographies.com/Ki-Lo/Lauren-Ralph.html
http://www.biography.com/people/ralph-lauren-9374814#personal-life&
http://en.wikipedia.org/wiki/Ralph_Lauren

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